介護は感情労働(1)-感情報酬と低賃金- 介護労働Ⅳ-1.
1.感情労働とは
感情労働(emotional labor)とはアメリカの社会学者であるアーリー・ラッセル・ホックシールド(Arlie Russell Hochschild 1940~)の造語です。(参照:上野千鶴子(2011)『ケアの社会学』太田出版p150)
ホックシールドの推定によると、アメリカの労働者の三分の一が、実質的に彼らに感情労働を要求するような仕事に就いていて、さらに、働く女性のうち約二分の一が感情労働を必要とする仕事に就いているといいます。
Wikipediaでは感情労働は次のように説明されています。
ようするに、感情労働とは、お客さんに対して、心理的にポジティブな働きかけをして報酬を得る労働で、求められる一定の感情コントロール規則があり、その感情表現が業務の質や成果を決めるものということです。
感情労働が求められる業界としては、接客を伴うサービス業など、お客さんに直接対応することが求められる航空業界、飲食業界、小売業界、宿泊・ホテル業界などがあげられています。この他に医療、介護、保育や教育業界も該当します。
介護は介護される者と介護する者の相互行為ですから、当然、感情の交流もあります。ですから、介護労働には接客という側面もありますし、感情をコントロールしなければいけない場面も多いと思います。
確かに、上述のように、介護労働も感情労働でしょう。しかし、この「感情労働」という概念を強調しすぎるのは次の点で問題だと思います。
介護が感情労働であるということで、介護職員の低賃金を許してしまうことになってはいないか?
介護職員に過剰なストレスを与え、自己否定、罪悪感を植え付けることになっていないか?
感情労働という概念は、果たして介護労働を考察する上で有益な概念なのでしょうか。いろいろと考えてみる必要がありそうです。
2.感情的報酬と低賃金
感情労働においては、感謝や手応え、生きがいのような感情的報酬をともなうといいます。
気になるのは、この感情的報酬を称賛し強調しすぎる傾向です。
確かに、介護労働が感情労働であり感情的報酬があり得ることは理解できますが、必要以上に介護労働を感情労働であると強調するのは何らかの意図、狙いがあり、問題があります。
上野千鶴子さんは介護労働が低賃金である原因を感情労働に求める珍妙な説を紹介しています。
この説では、介護労働の値段は「低賃金+感情的報酬」だとしています。
ようするに、「介護労働の賃金は低賃金だけれど、あなたたち介護労働者は感情的報酬もあるのだからそれでよいでしょう。」という論理です。
しかし、同じ感情労働のホステスなどは高賃金なのをどう説明するのでしょうか。
いずれにしても、介護労働が低賃金であることの弁解に感情的報酬を持ってくるのは無理筋でしょうし、一種の詐欺です。
斎藤幸平さんも次のように指摘しています。
やりがいがあるから低賃金って、意味がわかりません。非論理的な話で、まさにやりがいの搾取です。
介護事業経営者が「介護は感情労働でやりがいのある仕事である」と強調する場合は、気を付けた方が良いです。
それは、「介護ってこんなに素晴らしい仕事なのだ」と強調し、感情的報酬を利用して介護労働の賃金を低いままに維持したいという魂胆が透けて見えるようです。
介護が感情労働であって、感情的報酬を得るから介護労働は低賃金で良いという論理は破綻しています。
では、介護はなぜ低賃金なのでしょうか。
上野千鶴子さんは介護労働の低賃金の理由[1]を性差別にあるとして次のように説明しています。
「(1)ケアが女の仕事と考えられており、(2)しかも女なら誰でもできる非熟練労働だと考えられており、(3)さらに供給源が無尽蔵だと考えられている、という三つの前提がある。」
上野千鶴子さんは介護労働が低賃金なのは介護が「女の仕事」と考えられてきたからだとしています。残念ながら、これは非常に明快かつ納得できる理由です。
(引用及び参照:上野千鶴子(2011)『ケアの社会学』太田出版p157、158)
介護労働者の低賃金の原因には、感情労働説(感情的報酬説)と性差別説がありますが、前者の感情労働説は経営者側の詭弁にすぎません。後者の性差別説が説得的です。
近年、介護職員処遇改善加算、介護職員等特定処遇改善加算、介護職員等ベースアップ等支援加算、介護職員処遇改善支援補助金など介護職の賃金を上げる施策がとられていて、2024年6月以降には統一されるということですが、まだまだ他の職業より低賃金であることには変わりはありません。
この現状を打破しない限り日本の介護に未来はないと思います。
介護労働者の低賃金は性差別をその基底にもっていて偏見や差別という大きな社会問題と地続きの構造的なものです。
介護労働者の低賃金を改善するためには、再生産労働者の再評価、そして、性差別との闘いをとおして政治を変えるしかないと思います。
3.感情規則(feeling rules)
怒りの表情、感情は相手にも怒りの感情を呼び起こし、徐々に怒りの度合いがエスカレーションしていきます。また、微笑みは相手の微笑みを呼び起こします。
人間の付合いではよくあることですが、これが規則化されているとしたらどうでしょうか?
① 感情規則とバーンアウト
上野千鶴子さんは武井麻子(日本赤十字看護大学、看護学科教授)さんが看護師のバーンアウトの原因は感情労働、感情規則[2]であるという論を紹介しています。少々長くなりますが紹介します。
上野千鶴子さんも「・・・看護労働がそれほどまでに疎外された労働なのか、と疑いたくなるが、・・・」と記していますが、確かに武井麻子さんの紹介している感情規則は看護師だけに求められる一方通行の規則であり、患者と看護師が同じ人間として平等であるという視点が欠落した不条理な規則となっていると思います。
このように、感情規則は感情労働従事者に大きなストレスを与え、自己否定、自己嫌悪を強いることになってしまっているのではないでしょうか。
例えば、当事者(お年寄り)に対して常に微笑むという規則があるとして、ある介護職員が微笑むことができない情況に陥った場合、この職員は自分を責めてしまうでしょう(罪悪感)。
② 表情筋と声帯の筋肉労働
また、そもそも感情とは自在にコントロールできるものなのか。感情をコントロールするといっても、実際には怒りの感情が起こった場合、それを嬉しいという感情に簡単に変えることなどできません。
感情規則に則り感情をコントロールするということは、実は、怒りを感じても、顔の表情は怒っていないように顔の筋肉を操って誤魔化すということです。
要するに、感情労働とは社会一般が求める感情規則に従って表情などを取り繕う、表情筋と声帯の筋肉労働ということになります。
このような感情労働では「自分は嘘つきだ」「相手を騙している」などと自己否定、自己嫌悪に|陥《おちい》ってしまう怖れもあります。
表情筋と声帯の筋肉労働を蔑むつもりはまったくありません。確かに、最低限の感情規制は必要でしょう。しかし、介護における相互関係は平等であるべきです。当事者(お年寄り)の不条理な言動に晒された場合、介護職員が怒りを感じるのは仕方のないこと、自然なことだと思います。
介護の人間関係は、レストランやホテル、理美容などの接客と比べても濃密な人間関係です。
当然、感情的な軋轢、葛藤もあるでしょう。状況によっては、それを表情筋や声帯を使って誤魔化しきれない場合もあるでしょう。
状況次第で、「怒り」は誰でも起こる感情ですが、この感情が他者及び自分に悪影響を与えないためのアンガーマネジメント[3](Anger management)は確かに大切かも知れません。
③ 正当な怒り
しかし、介護職員に対してだけ怒りをコントロールすることを求めるのには疑問があります。当事者も介護職員もお互いにエチケットとして、ある程度の感情の管理は必要でしょうし、「怒り」には正義を求める正当な「怒り」もあり得ます。
次のマルクス・ガブリエル(ドイツの哲学者)の言葉には「なるほどなぁ」と思います。
怒りや悲しみなどの感情は人間関係の軋轢、葛藤がもたらすものですが、その感情をもたらした人間関係こそ変える必要があのではないでしょうか。しかし、感情の契機となった軋轢、葛藤そのものに触れず、職員の感情表現だけをなんとかしようとするのはあまりにも姑息な対応だと思います。
経営者・施設長は感情規制のことだけを強調するのではなく、当事者と介護職員の人間関係から生じる軋轢や葛藤に対して、話合いや適切な距離の取り方、第三者の介入などの解決に向けた体制・場・仕組みなどを準備し提供すべきでしょう。
そこから、より良い公平な人間関係、公平な相互関係、相互行為がみえてくると思います。
[1] 引用個所の実際は、介護の値段がなぜ安いのかを説明しているので介護労働の低賃金ではないが、介護の値段(介護事業者が受取る介護報酬)と介護労働の値段(介護職員が受取る賃金)は連動している。
[2] 接客・医療・教育などの対人サービス職には、職務にふさわしい感情が期待されている。 これを「感情規則」という。1980年代、米国の社会学者A・ホックシールドは、感情規則に照らして感情管理を必要とする仕事を「感情労働」と定義した。(引用:朝日新聞デジタル2018.03.07「感情規則」に向き合う看護師 大日向輝美)
[3] アンガーマネジメント(Anger management)の究極の目標は、怒りが深刻な問題にならないように上手く制御し、管理することである。
以下のnoteも併せてご笑覧願います。
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