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駄文歴半世紀

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「モノ書くコドモ」から「モノ書くおばちゃん」に至るまでに否応なしに書いたボーダイな駄文を、モノ書くばーちゃんが読みやすいプラットフォームに整えて蔵出しし、みなさまからおひねりがい…
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2019年8月の記事一覧

非常に勉強になった恋愛(容姿コンプレックスOrigin9)

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褒められるって危険(容姿コンプレックスOrigin13)

褒められると不安になる キャンパスで生涯のパートナーを見つけた母の「青春の体験談」が、単なる体験談のようには聞けず、あたしにとっては「呪い」のように脳にインプットされてしまっていたのは、なぜでしょう?  やっぱり主に自分の親が満足してくれていなかった、特に思春期の愛に飢えた不安の季節に、褒められることがなく、きっちりかっきりメスとしての自信を奪われたってところが大きいです。  親というのはある種子供の性に「封印を施す」役割を担う存在だ、ということもいえるのですが、それは

せっかく番茶も出花なのに(容姿コンプレックスOrigin12)

空費される出花たち 呪われた長続き”を記録した恋が、大いなる学習効果をもたらした後、その最後を迎えた頃のことです。  今から思うとその最後の頃にあたしの「番茶出花」は本番を迎えたようでした。出花が出たのに一人になって、あたしはメスとしては、ずいぶんと控えめな自信しか持ち合わせていませんでした。   考えてみれば、その時期大学にいれば、まわり中が出花ばっかりなわけだからさ、はなから全然目立ちませんけども。女多かったし。  別に目立たなくていいんです。  あたしは、あ

あの呪いはいったい何だったのか(容姿コンプレックスOrigin11)

呪いの主は呪いを忘れる 今、気が付きました。  母の不気味な予言:「番茶の出花」の呪いは、あたしが小学校の時にかけられて根を下ろしたのですが、それ以降は耳にしていないってことに。  中学校の時にも聞いていない。    10代の終わり娘らしくなって、色んな人とデートしてる頃になると、母もすっかりそんな事は忘れているようでした。  あたしは相変わらず容姿コンプレックスを抱えながら”楽しくも苦しく”デートしてたんだけどさ。ふん。  ですから、「ほら、今のうちよ。」と

番茶も出花暗示の結末は(容姿コンプレックスOrigin10)

予言はある意味当たってしまい 「17歳ぐらいになったら、番茶も出花というのが来るから、そのときに求婚されたらさっさと婚約をしてしまいなさい」 (詳しくは過去のnote:番茶も出花は呪いの言葉(容姿コンプレックスOrijin5 https://note.mu/syndi/n/nf7fd56e061cc )  この、母の呪いのような予言は、しかし、ある意味当たっていました。  件の注目男子は結婚という言葉を口に出していたからです。  チューニングを完璧にしてコミュニケーシ

試行錯誤の恋(容姿コンプレックスOrigin8)

試行錯誤の恋 注目男子が何を思ってあたしを好きになったのか、当初はさっぱりわかりませんでした。本人だって、きっとわかってなかったに違いない。だって日本語がおかしいぐらいの人だからな。  あたしの中でも、「かわいいほう」の女子の価値観に”つられた”ことがきっかけであること以外、はっきりしていることはあんまりなかったです。  ”つられた”のは世間ってやつに怯えていたからです。「かわいいほう」は、その時点のあたしにとっては、世間に認められた女の象徴でしたね。やることなすこと愛

自信がなくても恋は始まる(容姿コンプレックスOrigin7)

こんな理由で恋におちるなんて 出花前夜のあたしが、クラスメイトの女の子の影響で恋に落ちたいきさつの続き。    その女の子はそもそもあたしのコンプレックスをいたく刺激する人でした。一緒にいるとあちこち痛い。特別の美人ではないのかも知れませんが、とにかく抜群に男ウケがよかったのです。  ある時、同級の男子が彼女の名前を思い出せず、誰かにきいていました。あたしと彼女は行動を共にしていたので、きかれた人は「あの、2人のどっち?」ときき返しました。  同級男子は言い放ちました

これが「番茶も出花」なのか?(容姿コンプレックスOrigin6)

これが出花なの? 高校生になり、番茶も出花のプロローグを迎えたあたしの混迷、のつづき。  このころ覚えているのは、”新入生女子を品定めする上級生男子の儀式”です。お顔に自信のない女の子にはうんざりな現象ですが、どこの学校でもたぶんあるよね。彼らは入学式の集合写真を手に入れて、あれやこれやと集団でさわぐのです。  その高校には、あたしの出身中学の先輩で、中学時代に「何でも出来て運動が抜群で優しくて面白くて」これ以上はないというぐらいにモテモテだった男子がいました。その人

「番茶も出花」という呪い(容姿コンプレックスOrigin5)

「番茶も出花」は呪いの言葉 小学校時代を通して、親戚のおばちゃんたちも話題にしなかったあたしの容姿に、母が満足するのは難しかったと思います。  だけど、仮に親が満足してくれていれば、子供はそんなに強いこだわりを持つことはないのでは?と思うのです。それは、そのほかの能力についても同じだと思います。  世間的に見ても明らかに目だって容姿に恵まれていなかったり、逆に初対面の人がびびるほどキレイなら親以外のファクターも出てくるでしょうが・・・。  母親の呪縛はでかい、です。親

美貌の代わりになるもの(容姿コンプレックスOrigin 4)

容姿のコンペンセーション 容姿コンプレックスの話のしつこい続き。  母方の親戚がお顔の話などするのが好き、という話を書きました。これは、あたしがそう感じるだけで、あるいは普通のことなのかもしれません。  父方の親戚もその語彙はだいぶ違うけど、やっぱり子供の容姿の話はしていたからです。  つまり美しい人たちも、そうでもない人たちも、お顔の話などは等しくするわけですね。  法事などで集まると、おばさんたちはあれこれ子供たちの成長について話あいます。  大きくなった、

肥満児の悲哀(容姿コンプレックスOrigin3)

     なかなかに露骨な扱い  これを読んでいる方で、肥満児だった人おられますか?  あたしは小学校の終わりぐらいまで、それ、でした。数字的にはぎりぎり、だったそうですが、今と違って小学生が太っていることが珍しい時代だったのです。時々他の体が大きい子と一緒に保健室に呼ばれ、データを取られたりしていました。なんつーか、ロコツだよな。でっかいからだの子供の群れが、授業中、渡り廊下を並んで歩いていく光景なんざ。    肥満児というのは、それだけで、かわいいといわれる回数が

なぜ母は娘の容姿に不満を抱いたのか(容姿コンプレックスOrigin 2)

親たちに不当な扱いを受けがちな、子供の容姿について、のつづき。 なあんで自分の親はあれほどあたしの容姿に不満足だったのか。その謎はいまだに解けない部分もあるのですが、うちの場合は、母が自分の姿かたちに満足しており、自分に似ないものが嫌いだったから、という部分がありました。  彼女は娘の容姿容貌について、自分や自分のきょうだいに似た部分を褒め、父方に似た部分をことごとくけなしていた気がします。    結婚相手を選んだのは自分でしょうから、これはいかにも不当なことです。娘

容姿コンプレックスの話で盛り上がる(容姿コンプレックスOrigin1)

どうしてコンプレックスが始まるか イラストレーターの仲間と、青春話で盛り上がっていた時に、容姿コンプレックスの話が出ました。  彼女の説では、容姿にコンプレックスを持っているかどうかは、実際の美醜とあまり関係がないのだそうです。何が関係しているかというと、自分の親がその子の容姿に満足していたかどうかなんだって。親なんだから、客観的である必要はない。  これはかなり鋭いぜ!とあたしはその時ひざを叩いたの。  彼女はおしゃれでセンスもよくて、面白くて才能もあって、かわい