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容姿コンプレックスの話で盛り上がる(容姿コンプレックスOrigin1)

どうしてコンプレックスが始まるか

 イラストレーターの仲間と、青春話で盛り上がっていた時に、容姿コンプレックスの話が出ました。
 彼女の説では、容姿にコンプレックスを持っているかどうかは、実際の美醜とあまり関係がないのだそうです。何が関係しているかというと、自分の親がその子の容姿に満足していたかどうかなんだって。親なんだから、客観的である必要はない。

 これはかなり鋭いぜ!とあたしはその時ひざを叩いたの。

 彼女はおしゃれでセンスもよくて、面白くて才能もあって、かわいい人で、全然醜くないのに、ひどいコンプレックスを持っていたわけです。そしてその時あたしが彼女の話をよーく理解することに対して、とても感激したようすでした。
 
 そりゃ、理解するよ。あたしも容姿コンプレックスがあるんだもん。だからきれいなもんが好きだし、だからお洒落したりもするんだもん。自分の容姿に自信がないことと、絵を描いていることは、どこかでつながっている気がしていました。
 何でこんなに自信がないのか。自信がないけど美についてあきらめることがなくて、非常にしつこくなるのか、自分でもわからないけど、その危ういバランスの中を生きるってのが、まあコンプレックスってもんでしょう。

 それで、そのあと自分たちの親が、子供の容姿について、いかに無神経な事を言い続けたかを話し合いました。生まれてから思春期に至る長い間に、自信やポジティブな希望の代わりに、不安や絶望を”これ以上ないほど効果的に”植えつけてきた彼らの言説。
 ずいぶんと不当な扱いを受けてきたね、と。あたしたちはその時、手を取り合いそうに意気投合していました。「いやー、苦しかったよね」という同士愛みたいなもんがわいたわけです。
 その苦しさは現在進行形でもあったのですが、それでももうそのときは大人で、男性が自分の美を認めると言うことがわかっていましたから、まだしも救われていたのです。
 本当に苦しかったのは、「男が作れない少女の時よね」というところでも、同意を見て、大変楽しく盛り上がっていました。

 さて。あたしたちの関心は、女の友達を作るなら、この辺のことがわかってて欲しいよね、ってところに移っていき、「美人でもわかってる人は驚くほど多い」と結論しました。
 だけど、やっぱり「わかってない人」ってのはいて、その中には飛びぬけてキレイな人もいるけど、全然そうじゃない人もいる。なぜなんだろう、ってことろに行き、それで最初の「親が満足していたかどうか」のところに話が戻りました。
 
 では、親の満足ってのはどこから来るのか?自分たちの親はどうしてあそこまで不満足だったのか?自分は生まれた子供の容姿に満足できるのか?
 
 2人とも子供が生まれたら自分たちのような思いはさせたくないと考えていましたから、真剣に考え込んでしまいました。

 この項次回に続く。

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「モノ書くコドモ」から「モノ書くおばちゃん」に至るまでに否応なしに書いたボーダイな駄文を、モノ書くばーちゃんが読みやすいプラットフォームに…

おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。