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せっかく番茶も出花なのに(容姿コンプレックスOrigin12)

空費される出花たち

 呪われた長続き”を記録した恋が、大いなる学習効果をもたらした後、その最後を迎えた頃のことです。

 今から思うとその最後の頃にあたしの「番茶出花」は本番を迎えたようでした。出花が出たのに一人になって、あたしはメスとしては、ずいぶんと控えめな自信しか持ち合わせていませんでした。 
 考えてみれば、その時期大学にいれば、まわり中が出花ばっかりなわけだからさ、はなから全然目立ちませんけども。女多かったし。

 別に目立たなくていいんです。
 あたしは、あたしにとっての異性、というのを見つければいいんだから。ああ、でも男に思える男子、あんまりいないじゃん?見つかったとしてもだね、こっちが愛される保証などないしね。この不安をどうしようか?

 だけどもし見つかったなら、また自分はめったに人に見せない「異性としての顔」をその人に見せればいい。そしたら、きっとわかってもらえるから、その後のことはそれからだ。
 あたしは上記のようなことを漠然と考えていました。

 しかしある時気が付きました。この控えめな構え方って珍しいかも?って。
 ほとんどの女子は、わりとのべつまくなしに女子のオーラを振りまいていたのです。異性に対して、いつも異性だったりするわけです。というか、この時期、なんか自分の「メス力」を試しまくっているようにすら見えました。

 はにゃ?
 あれらの女子は、例えば彼と彼と彼と、複数の人が「勘違い」してオス丸出しで寄って来ちゃったりしても困らないわけ?嫌じゃないのかね?そういう勘違いされるのって。こっちに気もないのにさ。

 「嫌じゃない」らしかったです。
 人はそれを「モテる」と定義していたのです。
 それは違うんじゃないだろうか?とか思っているのは、少数派のようでした。いることはいたけど。

合コンで目撃した全然ステキじゃない女子の生態

 ほんの1度2度だけ、合コンとか呼ばれるイベントに参加し、自分の魅力を武器のように使って遊ぶ女子達の様子を観察しました。
 その頃、あたしは女子のことを、やたらと詳しく見ていました。
 二十歳前後の女子というものが何かと面白いからでもあるし、自分がどのようなメスになりたいか、あるいは「なりたくないか」考えるためでもありました。

 実は合コンで女の匂いを振り撒いてオスをからかうメス達は、あたしにとっては全然すてきじゃなかったです。
 それらのメスにからかわれるオスたちも愚か過ぎでした。手もなくだまされる様子に、あたしは本当に失望しました。いや、時代もそういう時だったんだろうな。バブルのにおいが始まっていたから。

 それにしたってさ。女子たち。君らはそんな風に男の子をバカにするのが面白いわけ?自分にそんなバカな男しかたかって来ないのを恥だと思わないわけ?
 それらのオスだって、ありていに言って美大のあたし達よりよっぽど勉強はしてるし、知識だって向上心だってあるのに。
 彼らの一番ダメなところだけ見て、メスのチャンネルでバカにしたって、自分らが利口になれるわけでもないってことに気が付かないわけ?
 
 女子たちが、じらしたり気のあるそぶりを見せたりして大金を使わせたりしていた、それらの男子たちは、あるいはオスとしてうかつなだけで、すごい才能がある人達なのかも知れません。それに、彼らはもとからエリートコースを歩むお金持ちのお坊ちゃんたちだったりしたんだけど、にもかかわらず、”それだからこそ”なのかな?女子たちはその男子たちの真価とは関係のないところで、彼らを見下げて面白がっていました。

か弱き女の憂さ晴らし?なのか?

 エリートの権威とか、親のお金とか、男のプライドとか、そりゃからかってみたいでしょうよ。あたしたちは虐げられてきたか弱き女性なんだから。初めて有効な武器を手にしたようなものなんだから。

 わからないでもなかったです。だけど、ついていけない。全然面白くない。

 ああいうことが「遊び」として成り立つには、あたしは”男の子の味方”でありすぎたのかも知れません。チューニング能力が高すぎて、男子の声無き悲鳴が聞こえてしまうんだもん。
 悲鳴は聞こえるけど、だからってそういうものに騙されてしまう男子をいとおしく思うのも無理でした。しっかりしろよ、と肩をたたいてやりたくなるだけです。

 彼女たちの「番茶も出花」はそうやって空費されていました。その空費の現場を目撃して、あたしは思い知りました。
 これが母の言っていた出花なんだ。これが現状なんだ。

 確かにこんなことが長く続くわけが無い。続くわけがないけど、女たちは今ならオスをひきつける。全く不真面目であってさえ、あんなにひきつける。
 だからこの時に、もしも見る目があるんなら、きっと自分の男を見つけるのでしょう。昔ならお見合いなどにもいい頃合。そうよね。「結婚」がそんなに重大だった時代ならば。
 今はどうだろう?これを空費している女子たちをいさめる空気さえないじゃん?

 あたしは困惑したまま「出花」を手にして周囲を見回していました。
 もしかして、あたしが欲しいのは、出花なんかに目がくらまない男なのでは?だけど、少しは目がくらんでくれないと困るのかな?

 ここまで考えてなぜこの時気が付かなかったのかと思います。母が父と出合ったのは、大学のキャンパスだったことに。
 母はその大学初の女学生のひとりでした。学部にたった2人だったそうです。本当に引く手あまたのなかから父を選んだらしいのです。

 あたしは気が付くべきでした。「番茶も出花」の物語を生きていたのは、母自身だったってことに。

 あの予言は、娘に自信を失わせるために母がかけた「呪い」などではなく、母の「サバイバル体験談」だったのだとしたら?

 だけどその時は気が付いていなかったのですよ。
 まだ続く。かな?

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