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肥満児の悲哀(容姿コンプレックスOrigin3)

     なかなかに露骨な扱い

 これを読んでいる方で、肥満児だった人おられますか?
 あたしは小学校の終わりぐらいまで、それ、でした。数字的にはぎりぎり、だったそうですが、今と違って小学生が太っていることが珍しい時代だったのです。時々他の体が大きい子と一緒に保健室に呼ばれ、データを取られたりしていました。なんつーか、ロコツだよな。でっかいからだの子供の群れが、授業中、渡り廊下を並んで歩いていく光景なんざ。
 
 肥満児というのは、それだけで、かわいいといわれる回数が激減するものです。
 母が難癖をつけていた個々の”アンラッキー”なパーツのことよりも、この子供の肥満についてもう少し気を使ってくれていたら、あたしの思春期の始まりはもう少しマシだったかもと思わないでもないです。母が気に入らなくても、他の人が褒めてくれたかも知れないものね。

 子供の肥満は体質的なもの、代謝異常などの病気でない限り、ほとんど親の責任だと考えます。親にとっても、鼻の形や皮膚の質なんかより、責任が持ちやすいことは確かでしょう。
 なのに母はそれを黙認していました。それは母が自分自身肥満していたからだと思います。肥満していることに対して、”醜い”という概念をほとんど持っていない人でした。なんなんだろうね。自分に都合の悪いことは見ないでいられるのかも知れません。

つまり、”本来”ならば見るからにあれって母の責任だったのですが、ともあれ あたしは肥満児として小学校時代を過ごしていたのであります。

 肥満児にはゆがんだ色気がある

 肥満児はかわいくないのですけども、子供としてはある種の「発達をしている」状態です。平均より体重なり肉づきなりが過剰に発達している、バランスの悪い状態だと言っていいです。バランスの悪いものというのは、けっこう目立つものです。

 そのせいだと思うのですが、あたしは小さいときから、よく痴漢にあいました。最初は意味がわかりませんでしたけど、そのうちわかるようになりました。

 なぜわかるようになったかというと、それは親戚の大人などが、なにかというとあたしに触りたがるからでした。
 たぶん子供ならみんな覚えがあるでしょう?ほっぺたをうにーっとされたり、頭をなでられたりするでしょう?「かわいいかわいい」などと言いながら、だいたいがありがた迷惑なものです。
 だけどあたしの場合は、それに加えて、ふとももをなでたり、お尻をぺしっと叩く、などのことをする人がたくさんいたのです。しかも「かわいい」というかわりに、「こんなになっちゃって」などと失礼なことを言うのですね。男でも女でも同じです。

 痴漢はいやーな人たちですが、親戚は守ってくれるはずの人たちです。
 だけどあたしにとっては、それらは「断りもなしに体にさわりたがる人達」ということにおいて、同列でした。
 前者はこわいけど、後者は腹立たしい、というだけのことです。前者は目的がはっきりしていますが、後者はたいした決心もなしに無神経なことをする・・・・・どちらにしても、子供にとっては強者で、あたしは要するに弱い、慰み者でした。

 さて触られるのは、魅力があるからでしょうか?そうではない、ということが、あたしにはわかっていました。
 魅力的ではないれど、何かゆがんだ色気があることは確かなことです。そしてそのゆがんだ色気は、本人に自覚がない限りにおいてからかいやすく、その幼さごと軽んじられている。だから気軽に触ったりできるのです。

 触られるという経験を通しても、容姿容貌をあれこれ話題にされる経験を通しても、子供は性的魅力の周辺にある言葉や価値観を学んでいきます。
 あたしはちっともかわいくないらしいのに、色気があるらしいことを、嗅ぎ取っていました。魅力と色気は関係がありそうなのに、どうやら違うものらしいことも、うすぼんやりと感じていました。

 それは子供時代という中途半端な過程にいる人間が、バランスの悪さからかもし出す刹那の色気でしょう。それは惜しまれる花のようなものですらなく、「早く通り過ぎればいいのに」「早く終わってくれればいいのに」と思われるような、危なっかしい、こっけいな、じゃまくさい色気で、しかも軽んじられ、無神経に撫で回されるような種類のものでした。

 小学校3年生で、初潮がきました。
 母は心底めんどくさそうにその世話をしました。
 こうやって、あたしのコンプレックスは、根を深めていったのです。

 なんとなくまた続く。



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「モノ書くコドモ」から「モノ書くおばちゃん」に至るまでに否応なしに書いたボーダイな駄文を、モノ書くばーちゃんが読みやすいプラットフォームに…

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