試行錯誤の恋(容姿コンプレックスOrigin8)
試行錯誤の恋
注目男子が何を思ってあたしを好きになったのか、当初はさっぱりわかりませんでした。本人だって、きっとわかってなかったに違いない。だって日本語がおかしいぐらいの人だからな。
あたしの中でも、「かわいいほう」の女子の価値観に”つられた”ことがきっかけであること以外、はっきりしていることはあんまりなかったです。
”つられた”のは世間ってやつに怯えていたからです。「かわいいほう」は、その時点のあたしにとっては、世間に認められた女の象徴でしたね。やることなすこと愛されて。何なのあの女?
あ、あたし彼女を出し抜いてみたかったのかな?ぐあん。今、チラッとそう思っただけだけど。
複雑化した容姿コンプレックスを抱えつつ、来るべき”番茶も出花”を待つため、「正しい片思い生活」に入ったはずの思春期のあたしは、こうして、わけがわからないまま、「あんまり正しくないかも知れない恋愛生活」の方にずれ込んで行きました。
何もかもが試行錯誤でした。”錯誤”の方が成分多め。だって、日本語が通じないのにいったいどうやって付き合うんだい?
お前の周りにはいくらでも気の合う男子がいただろう!色んな男と合いすぎぐらいのやつだろう、だいたい。何でわざわざそこへ行くかな?
・・・・もしも心ある人にアドバイスを求めたなら、そのぐらいのツッコミは入れられていただろうと思います。
しかし。女子の友人たちは祝福しちゃってくれてたんだね。色めき立ち、あたし以上に喜んでました。彼女らは「心無い人たち」だったわけ?いえいえ。
たぶん、「あなた、それってやってみないとわからないよ。一回やってみ」といった親心で見ていてくれたんじゃないかな?
あとね、彼女らがこの”錯誤成分多目”を祝福していたことについて、考えられる理由はこれです。
「見てると面白いから」
あたしたちは、もっとも見かけが似合ってない組み合わせだったかと思います。
身長差が35センチありました。もっとあったかも。
あたしはやたらと丸いパーツによって構成されていますが、彼はやたらと細長いパーツでできていました。
形の要素、色の成分ともに合ってませんでした。
美術部の語彙で言うと、「タッチの違う絵」「スタイルの違う絵」もっと言うなら「全然時代の違う絵」のようでした。
写真部の語彙で言うと「合成写真」ね。
彼がハンサムだったかというと、答えるのは難しいです。なぜならあたしは彼の見かけを魅力的だとは思っていなかったからです。誰かが「素敵な人ね」というたびに、「へーそうなのか」と思っていました。そういうことが、通算すると3回ぐらいはあったかしら。
あたしは”世間”並みのことをして自分の怯えをなだめようとしていたのですから、彼が他人の目(少なくとも3人)にはかっこよく見える、ということは喜ばしいことではありました。
しかし、絵を描いているくせに、自分の美意識の方は無視していいのかね?いいわけないです。はい。でも、、一般性というものも学ばなきゃいけないのよ。よその人がキレイだというものをキレイだと判らないといけないのよ。自分に似合わないドレスのショーだって見たりするじゃん?(しくしくと泣く)
一方彼の方は一般的な日本語というものを学ぶべき状態にありましたが、学ぶ気があったのかなかったのか。まあいいや。
女子を正しく扱える男子とは
彼の方でもあたしのことをキレイだなどと思っていませんでした。
ああ、やっぱり。
出花、まだなんだね。というか、もしや出花でも無効?あたしって。
こういう怯えを持った少女を正しく扱える男子だってたくさんおります。簡単なことです。キレイだと言ってあげればいいのです。自分の彼女にキレイになってもらいたかったら、それっきゃないじゃん。これは常識なんじゃないの?
しかし敵は女を正しく扱える男子ではなかったのです。日本語の使い方同様、女性の扱い方も目いっぱい間違っていました。
彼の通じない日本語をつなぎ合わせて翻訳を施すと、こんな感じです。
「君はキレイではない。だけど好きである。好きなのでかわいいと自分は思う。一方自分は自分を美男子であると思っている。時々鏡を見てうぬぼれることがある」
この項は容姿コンプレックスについての話ですから、こういうところにフォーカスして話が進みますが、別に彼がしゃべった(そしてあたしがインタープリテーションをしていた)内容はこれだけではありませんから、念のため。もし、これだけだったらホンモノのアホーだよな。
ともあれ、彼には容姿に対するコンプレックスなどありませんでした。自分の世界に住んでいて、独自の言葉で暮らしていましたから、自分が一番好きだったのだと思います。
あたしはどんなところもちっとも彼に似ていませんから、たとえ出花が出ていてもキレイに見えるわけないです。
同様に、あたしからも、彼の持っているものは見えにくかったのです。二人はあまりにも違っていました。
もっと判り易く言い直しましょう。
相性最悪だったんですよ。たぶん。
でも、その時のあたしにはそれが解りませんでした。「これって出花のせいじゃないみたいだけどとりあえずがんばろう」とけなげに思います。
そして自分が知りうる限りでもっとも理解に時間がかかる日本語を必死で解読し続けていました。
回りの人たちは祝福しながらも心の底で思ったでしょう。「理解不能だ。しかし面白い」
高校生のカップルなんてのは、多かれ少なかれそんなもんじゃないでしょうか?はたで見てると異様にあぶなっかしかったり、何か見てるほうが恥ずかしいような問題を抱えたまま進行しちゃってたりしない?
とりあえず続くわよー。
おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。