私には何もない。
今日は、大嶋先生のブログで「覚えておきたい!」と思った言葉を見つけたので、その自分用メモです。
元記事はこちら。
本のレビューに対して、先生が「私には何もないんです。」と書かれていたんですね。
これを読んで、なぜか心がふわっと温かくなったんです。
無意識を使うと、心の傷を向き合える
「無意識」に対して「意識」というのは、「私は何でも知っている!」という万能感だったり、「これが私!」と思いこみを握りしめているものかな? と個人的に思ってます。
みんなその裏には「心の傷」がある。 後ろめたさや恥、悲しみを抱えて生きている。
先生はこうも書いてます。
私も、クエリ(指振り)を使っていくと「私はこんな風に感じていたのか!」「こんな思いこみがあったのか!」ってよく感じます。
それに向き合うって、とっても辛くて勇気がいることだと思ってました。けれど、クエリや「心に聞く」を使うと、淡々とできるんですよね。
握りしめてるそれは、手放していいものかも
世の中の情報に触れると、いかに「持っているか」が大事だと思いこまされる気がします。
お金、実績、人脈、友人の数、影響力、幸福。
人によって向き不向きはあるんだろうけれど、私はそれに巻き込まれるのがすごく苦痛でした。
「でした」というか、今回の先生の記事をみてハッと気づかされました。
「『私は何もないんです。』って思っていいの?」って。
その瞬間、ギリシアの街で、通行人を捕まえては問答をかけていたソクラテスの姿も思い浮かびました。
ソクラテスは「自分にわかっていることは『自分は知らない』ということだけだ」と言い、問いかけを繰り返していたそうです。
(「無知の知」というやつですね)
違う広がりもありながら、「私には何もないんです」との繋がりも感じます。
そうだなぁ、私には何もないんだ。
知識も知能も経験もない。
だから犬がお腹を見せるように、無意識にゆだねてみるんだな。
読んでくださってありがとうございました。
(メモ:ポメラで20分)
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