何もしない。ことが実は一番難しい理由
こんにちは!映像クリエイターの渦原です( ^ω^ )
すっかり秋になりましたが、皆さんお体大丈夫でしょうか?
私はやっとお仕事が落ち着いてきて、少しのんびりと過ごしております。
鎌倉に行ったり、温泉に行ったり、一人ホテルを満喫したり、、
仕事のことを忘れて、ゆっくりと羽を休めようと時間を過ごしております。
ただ面白いことに、あんまり羽を休める事はできませんでした。
いや、身体は休めることができたんです。
ただ心が中々休まらなかった。という感じなんですね。
何もしない。頭を使わない。
そんなことに慣れていないせいか、どうやって気を緩めたり仕事を気にしなくなるのかが分からなくなってるんですね、、
皆さんも、そんな経験ないでしょうか?
週末前の金曜日は休みにワクワクしていたのに、週末終わりの日曜日はなんかもう仕事のこと考えちゃうといったこと。。
土曜日と日曜日が本来休みなのに、休みでない金曜の方が至福を感じる社会人や学生は多いのではないでしょうか?
本来休むとは、頭も体も休めることをさすと思うのですが、頭を休ませるって実は意外と難しいんです。
究極的に何も考えないし、何もしない。
どうして私達は、これができないのか。
今回はその理由についていくつか紹介していきます。
仕事の境界線がはっきりしない
今の時代、本当にたくさんの仕事があります。
そしてほとんどの仕事に必ず使われるのが、パソコンです。
通信技術が確立された事で、私達は時間の縛りから抜けることができた分、コントロールすることが難しくなってきております。
少し前までの人類は、太陽が沈んだら活動は基本終了。
といったシンプルな法則を持っておりました。
今でも夜行性を除き、ほとんどの動物がこの習慣にそって活動をしております。
がしかし、動物的本能よりも人間が決めた社会ルールに沿って行動するのが現代です。
必然と時間の流れ方は人それぞれで違うため、どのように休息を取るかも自由なんです。
しかし自由だからこそ、何をしたら休息になるか分からない人がほとんどです。
たくさん寝ればよいのか、友達と遊べばよいのか
選択肢が多いからこそ、分かりません。
そしてパソコンという機器によって、いつ何時仕事の連絡が来るか分かりませんので、精神的に緊張してしまう状態が続きます。
仕事をしていないといけない。お金を稼がなければいけない。
正しいことではありますが、こういった概念が自分の固定概念として深く根づいてしまう社会になっているのです。
考えることが多い
今の私達は、普段から考えなければいけないことが多い世代だと私は思っています。
法律や規範が確立されたことで、正しいことがよりはっきり見えてきたからです。
もちろんその背景には過去の経験から学んで生まれた素晴らしい経緯がありますが、それが人の生きる時間を豊にしたかといえば、甚だ疑問に感じる事はたくさんあります。
公園で花火をしてはいけない、居酒屋でタバコが吸えない、10代の子と接してはいけない、20歳未満はお酒を飲んではいけないなどなど
昔なら全然気にならないことが、今は当たり前のように法を犯すラインとして社会に認識されております。
普段生活をするだけでも、00をしてはいけないという意識が常に私達の頭の中に根づいており、無意識に自分の行動を制限しています。
もちろんこれらのルールを肯定する気はありませんが、だからと言って厳格にルールを決めればよいわけでもありません。
人生一度きりだからこそ、自分の時間は自分の好きなように使う。
本来であれば、人間として生まれただけでも奇跡なのに、人間にその自由を奪われている私達は、皮肉な生き物とも言えるでしょう。
そしてそこに気づいてない人が多いのは、社会がそれをうまく隠しているからであり、自ら頭を使わないものは社会のために生きる人=社会人としての生活を送るしかないのです。
何もしないことが悪だと認識されている
社会が成り立つには、人が働いて経済が成り立たなければいけません。
必然と普段から働くということに頭を働かせる必要があります。
なので、何もしないということに慣れている人はとても少ないです。
そういう点では、実はニートってある意味すごいんです。
でも現実的には働かないと生活できないので、働くことをやめる事は中々難しいでしょう。
なので、休み方について私達は多くのことを学ぶ必要があります。
個人個人によって、何をすればリラックスになるかが分からないからこそ、学ぶ必要があるんです。
正直、私も何をしたら気が休まるのかはまだはっきり分かっていません。。
なので引き続き最適な休みを模索中です。
それさえわかれば、仕事の効率も良くなりますし、日常時間をより深く意識することにつながります。
まとめ
宗教は怪しい。
そう思うことが一般的だと思いますが、そういったものが生まれる理由として、人は人を統治出来ないというのが根本としてあるからだと思います。
法律はもちろん、人が作ったものです。
なので理屈的には正しい内容がそこに記載されており、通常その通りに生活をすれば大きな災は生まれない仕組みとなっています。
しかし、人はそんな簡単ではありません。
自分の感情と向き合ったとき、ふと錯乱する事は人生に何度かあります。
そういった時、敢えて何もしない。という事が大事であるかを理解するだけでも気持ちはだいぶ変わっていきます。
そしてどうしたら何もしない。ことができるか。
深く考え、模索することでも精神的な薬なのではと私は思います。
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