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やっぱり、好きだった。

8月某日

肩まであった髪の毛を人生1ばっさり切ってショートにした日、原宿にある美容院の帰り道で目に留まったのは arena ショップだった。

arenaというのは水泳界で代表的なブランド。
mizuno と並んで競泳現役時代にお世話になりまくったブランド。

4〜5年前に現役を引退した身でありながら気になってふらっと、本当に何気なく立ち寄った。

東京に来てから、プール付のジムで本当に数えるほどだけ、泳いだことがある。だけどゴーグルの紐が切れていたり、そもそも競泳用すぎる目の周りにゴムなしのゴーグルだったり、ハゲハゲのスイミングキャップだったりで、いくらなんでも現役でなくとも買い替えないとなぁとぼんやり思っていたことが後押ししたのかもしれない。その気持ちが1階だけでは飽き足らず、2階まで私の足を運ばせた。

目的はスイミングキャップやゴーグルといった小物なのに、2階にたどり着いてまず目をやったのは水着だった。きっと、一度でも本気で水泳をやった人のサガなのだと思う。

ふと、通りに面した窓の方に目をやると、一気に惹きこまれた。

そこにパリがあったから。


派手に見えるかもだけど、
水泳ガチ勢の練習用水着ってこんなもんなんです。


エッフェル塔、エトワール凱旋門、サクレクール寺院、ノートルダム大聖堂。


奇しくも8月というのは、私がパリを旅した日から1年の、記念すべき時期でもある。そんなタイミングで導かれるように arena ショップに入り、この水着に出会えたことに何かを感じずにはいられなかった。


気がつけば店員さんに声をかけて、試着させてください、と言っていた。競泳用はないんですか、も確認していた。

残念ながら競泳用はなく、フィットネス用のみだったけれど今の自分には十分だと思った。仕事帰りにプール付のジムで少し、自分のためだけに泳いで、ついでに自動的に身体が引き締まるくらいが、私と水泳の新しい距離感だと思った。

パリを身に纏った姿が鏡に映ったとき、胸が躍った。もう一度、プールサイドに立っている自分が浮かぶのは必然だった。

気づけば、パリ柄の水着に合う色のゴーグルとスイミングキャップを手に取っていた。ついでに、プールバッグも。

サイズも色違いのSとフランスカラーのMで着比べたけれど、ゆったりめに作られているフィットネス用の水着ではSの方がいいだろうと判断した。Sはオンラインにしか在庫がなくて、水着の到着は自宅で数日待つことになったけれど、そんなことはどうでもよかった。

もう一度泳ぐチャンスをパリがくれたこと、その喜びが身体中を駆け巡っていた。



8月23日

普段は残業だらけなのに、残業が1時間で済んだ。半ば諦めつつ持ってきた水着が役に立つ日が来た。

メトロ有楽町線を東京にきてから何かと縁のある飯田橋で降りてB4a出口へ向かうと、そこはすでに懐かしい塩素の匂いがした。

着替えを済ませてプールサイドへ向かうと、そこにあったのは2列しかなくて、しかも途中から深さが変わるヘンテコなプールだった。

片道が25mであることを信じて「往復で泳ぎたい方向け」のレーンに腰掛けたが最後、文字通り水を得た魚のように、私は夢中で泳ぎはじめた。


現役を退いて4〜5年。

当時の自分が見たら泣きたくなるほど酷いタイムとフォームで泳いでいるとわかる。それでも、それでよかった。この水着とだったら、今の自分なら、どこまでも泳いでいける気がした。

1時間が経過しそうな頃、ふと800mを泳ぎたくなった。現役時代には100m泳いでいたバタフライは今じゃ25mが限界だけど、800mのクロールなら、泳げるかもしれない。そんな気がした。



50mや100mといった短距離が花形の水泳界で、400mや800mの長距離を選んだのは、勝てないと思ったからだった。


飛び込み、潜水、浮き上がり、ターン、ラストスパート。


短距離は、何か1つでもミスったら崩れてしまう。その焦りが自分の泳ぎをダメにしてしまう。

なにより、泳ぐ時間が30秒ちょっとや1分ちょっとしかなくて、泳ぐ楽しさを感じる前に終わってしまうところが私には向いていなくて、高校入学してすぐにスランプに突入して、タイムが頭打ちになってしまった。


はじめて800mを泳いだとき、距離の長さに慄くよりも先に、ワクワクした。横のコースの選手に抜かれても「まだ大丈夫、この800mのうちのいつかどこかで挽回してやる」と思える安心感があった。なにより、1秒でも早くゴールを目指していながら、他のどの種目よりも長く泳いでいられることの喜びがあった。

長距離専は、私にとっての存在意義だった。



運動不足と水泳不足でカチカチだった身体が、運動習慣と疲労を思い出してグニャグニャにほぐれてきた頃だった。

300m、450m、650m。

途中から入ってきたおじさん2人を3回ずつ抜かした。正確には、25m差をつけてスタートしても手抜きをしても追いついてしまう私に、おじさんが往復を終えるたびに止まって前を譲ってくれた。

数えまちがえた気がした周は+1ずつ足した。 

しっかりと800m、たしかに泳いだ。

そのあと、背泳ぎをさらに100m続けて泳いだ。


パリと泳ぐ800mは、たのしかった。

大会のプレッシャーも、自分が自分に勝手にかける期待もなく、自分のためだけに泳ぐ800mは気持ちよかった。




ああ、私、まだ800mぶっ続けで泳げるんだ。

その安心と喜びは、まだ「水泳が好きです」「得意です」と言ってもいいんだ、という自信だ。


泳ぎ終わったあと、大盛りの油そば


8月26日


今日でパリへ行った日から1年。
2023年の8月25日(昨日)日本からの飛行機に乗って、8月26日(今日)私はパリに着いた。

初日は丸一日かけてセーヌ川沿いを散策した。そして、ルーブルの前で絵描きの人に「絵のモデルになって」「Free!!(無料)」と頼まれて、本当に無料で自画像を描いてもらったことを、今日先ほど起こったことかのように思い出せる。

シャルル・ド・ゴール空港
寮の窓から
寮に荷物を置いて訪れたパリの街


人生で最も刺激的で楽しくて自由で、毎日毎日カメラを携えて歩き回ったあの日々を、1日たりとも忘れたことなんてない。

いまだにグッズや雑誌でパリを見つけるだけで嬉しくなるし、インスタを見て次にパリへ行くときにはどこをどう回ろうかなと考えているし、次またパリへ行ってもメトロの路線図さえあれば地図なしで街を歩ける自信がある。


1回、1ヶ月間行ったからといって、満足することなんてなかった。
満足なんてできなかった。
知れば知るほど、パリの持ついろんな顔をこの目で確かめたくなる。


もう一度、あの街に行けるのなら生きていたい。
そのためになら仕事をがんばりたい。


パリは、私の生きる糧だ。


ただ憧れているだけではダメだった。
あの美しさを自分の目で見て、肌で感じたあの日々があったからこそ、語れる言葉がある。感じられる幸せがある。


ただパリに憧れていただけだった私に、パリを知った後の人生を授けてくれたのは、そのきっかけをくれたのは原田マハさんだ。

2年前の夏、マハさんの小説に出会っていなかったら、『たゆたえども沈まず』に出会っていなかったら、私にとってパリはきっと憧れのままだった。絵画への理解もなく、新婚旅行で7日間くらい行って満足して終わっていたのだと思う。


マハさん、
私の人生に美術館という新たな趣味と、パリという2度と揺らぐことのない灯火を与えてくれて、ありがとうございます。

これからもマハさんの小説を一読者として、楽しみにしています。


そしてパリ、また会いに行くからね。
来年こそきっと、会おう。










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