
記憶が消えてもおぼえてる
パリから帰ってきてからの2ヶ月間、1日たりともパリを思い出さなかった日はない。
その街並みがまぶたの裏に浮かんでくることもあれば、胸がギュッとなるように "その時" の感情が思い出されることもある。
大学生活に追われてとも言えるし、心の故郷に思いを馳せ始めるとキリがないから ”あえて” とも言えるけれど、確実に写真を見返すような時間は少なくなっている。
だけどいつだって、パソコンを開けばオルセーの大時計がいて、iPhoneを開けばサクレクールがいて、インスタを開けばレコメンドでパリ関連のものが出てくる。
そう、私の心にはいつもパリがいる。
パリ初日、人生で初めてパリのメトロに乗って、Chatlet駅を降りてからの1日のこと
あとからわかったことだけれど、Chatlet駅はおそらく最難関の駅だ。
メトロ1番、4番、7番、11番、14番が止まるだけではなくて、RERもA線、B線、D線が止まり、バスも10本止まるし、出口も全然違う方向に散らばってたくさん在る。
右も左もわからないまま、とりあえず降りた先に広がっていた世界は私が思い描いていた通りのパリの建物に囲まれた空間だった。


初日のミッションは3つ。
その1つ目はパリ市庁舎で情報を集めることだった。
Chatlet駅からパリ市庁舎へ向かう途中、パリに来て初めての歴史的建造物であるサン・ジャックの塔に偶然出会った。
やっぱり歴史ある建物って並々ならぬ独特のオーラを纏っている。それが有名なものであろうとなかろうと、立ち寄らずにはいられない、と思わされる。


パリのトレンドマークである通り名プレートがたくさんあった。パリの道には1本1本名前がついていて、道ごとにプレートがあるからたくさんあるのは当たり前なのだけれど「ついにパリに来たんだ…!」「これが本物のパリか…」と、うわぁぁぁぁ!!!と叫び出したいような、興奮を胸に抱えて歩いていたから、ここに至るまで頭に入ってこなかった。
やっと細部にまで脳内情報処理が追いついたのは、サン=ジャックの塔からパリ市庁舎へ向かう道でのことで、1番に目に入った通り名プレートが「RUE SAINT-MARTIN」だったものだから、カメラに収めずにはいられなかった。ここは4区なはずなのに、地図的には3区を挟んで右斜め上に位置する10区にあるはずのサン=マルタン運河の名前を冠した名前の通りがあるのはちょっと想像の斜め上すぎた。しかも地図を確認しても、サン=マルタン運河に辿り着く気配もないところでこの道は途切れている。私にとっては意外性を通り越して、もはや謎だった。
なんで「サン=マルタン通り」なんだろう。もしも、パリの通り名マスター検定なるものがあったとして机上で勉強して受験したら、絶対まちがえる自信がある。し、私が名づけるなら絶対この道は「Rue Saint-Jacques(サン・ジャック通り)」にする。

金網の上を通って地下からメトロの風が吹き入れる風によってスカートが捲れあがったことに慌てつつ、やむごとなき感じのデパート(BHV Marais)をぽけーっと見上げながら歩いているうちに、パリ市庁舎に到着した。
一目で歴史的に価値があることがわかる建物。パリの魅力が文化であることを自覚して、それを誇りとして、昔からある歴史的建造物を大切に護っていく、遺していく。国が1357年から変わらないこの建物をパリ市庁舎として使っていることにそんな意志があるように感じて、その姿勢を好きだなぁと思った。

観光案内所の中に入って、いろんな施設のパンフレットや地図を手に取った。質問もあったので、日本よりオープンで明るくて整った窓口に並ぼうとすると、「どこから来たの?」と初老のムッシュ(職員)が聞いてくれた。「日本です」と答えると Great だったか Wonderfulだったか忘れたけれど、とにかく好意的な反応が返ってきた。初老のムッシュはとにかく愛想が良くて親切で優しくて、少し並んだのち、マダムのいる窓口に笑顔で案内してくれた。
「Velib(レンタル自転車)で移動したいのだけれど、登録方法がわからなくて。教えていただけますか?」
と尋ねた私に、窓口のマダムは「No problem. 私、ちょとだけ日本語勉強してマス。日本語でだいじょぶ!」と一旦伝えたのち「Velibね。OK…but おすすめしないわ。パリの人はとにかくスピードを出すし、車道を走らないといけないから危ないのよ。メトロは本数も多いし、安全だから、メトロにしましょう」と英語で言って「Velib、あぶないデス。」と、もう一度日本語で教えてくれた。
この、暑苦しくもなく冷たくもなく、それでいて丁寧で、おもてなしの心が伝わる適切な温度感のやさしさ、あたたかさに対して私が言える最上級のお礼の言葉が「Merci, beaucaup.」だけなんて悔しいと思った。表情や態度やオーラ、全身を駆使して「ほんとうに心から嬉しいと思っているのよ、感謝してるのよ!!」と訴えたし、それが伝わっていると信じているけれど、ああ、もっとフランス語を話せるようになりたい、と心から思った。

市庁舎前にあるおしゃれなビストロ。
次パリに行ったらここで食事をしたい。
ミッション1・市庁舎をクリアして、次に向かう先はミッション2である、この日が最終日(8/27)のチュイルリー公園の遊園地。
セーヌ川沿いには、パリを代表するようなモニュメントのほとんどが集まっていて歩くだけでも楽しいとわかっていたから、市庁舎を出てセーヌ川沿いを歩いてチュイルリーまで向かうことにした。
ずっとリサーチはしてきたけれど、ガイドブックやテレビは1番見栄えがいいところしか映してくれないから、建物の名前と外観が一致しない。
頭の中にある情報をほんものと一緒にファイリングするために、Googleマップと目の前に広がる街を交互に見つめてうっとりしながら街を歩いた。
川の向こうに見えるのは、ノートルダムやサントシャペルで有名なシテ島、なはずだけど、あの並々ならぬ建物はなんだろう。
ああ、なるほど!あれがコンシェルジュリーか。その横が裁判所!あんなおしゃれな裁判所で裁かれるとかもはや名誉だな(んなわけない)。
ああ!これが噂のParis Plage!ほんとにセーヌ川で泳いでる!
これが噂のブキニストか。本当にセーヌ川沿いで出店してるんだなぁ。伝統って感じ、風情あっていいなぁ。
え、なんかピクトグラムある!日本っぽい!
目を開いている限り、美しいものが視界に飛び込んでくるこんな街で俯いて歩くなんて不可能だった。



✔︎「ブキニストから絵葉書を買う」

経済的な事情でバカンスに行けない子どもたちのために毎年行われるセーヌ川沿いをビーチ風に開放するイベント。チュイルリー公園の遊園地もおそらくその一環。




あっという間だけど、ゆったりとした時間が流れていた。写真を撮りながら歩いていたら時間なんて忘れてしまう。
気がつけば並々ならぬ建物が目の前に広がった。
え、まさか、こんなところから全部?と、Googleマップに目線を移すと思った通り、ルーブル美術館の端っこだった。
これも実際にパリを訪れた人にしか、なんならちゃんと散歩した人にしかわからないルーブルの顔。
そう、憧れたちのほんものに逢うって、こういうことだ。

「 "誰もが知るあのピラミッド" があるルーブルの入口」に至るまでのルーブルがどんな姿をしていて、その前にはどんな景色が広がっているのか、知りたくてどちみちルーブルの目の前はチュイルリー公園なのだから、とルーブルのピラミッドを目掛けて歩きはじめたとき、セーヌ川沿いにたくさん並べられている絵が目に留まった。

足を止めずにいられなくて、つい足を止めると、その絵を描いたと思われる画家のムッシュと目が合った。
あなたの絵綺麗ね、と言おうとしたとき、先にムッシュが口を開いて早口に言った。
「You are beautiful!! You are Monna Lisa!!」
「時間ある?君の絵を描きたいんだ、モデルになって欲しい。」
時間はあるっちゃある。
だけどこれ、絶対ヤバいやつじゃん。
こんな初っ端から典型的な旅行トラブル巻き込まれるん、さすがやなぁ…と関西弁でツッコミをいれつつ「Oh, sorry... I have no time...」と断りを入れると
「ちょっとだけでいいんだ、お願い、今画材をとってくるから、ちょっとそこで待ってて!」
と、彼はすぐ後ろにあるカバンをガサゴソ漁り始めた。
もちろんここで逃げる選択肢もあった。
だけど、逃げなかった理由は、彼がいい人そうだったということが1つ。橋を渡った先が有名な美術学校だから、その生徒さんなのかなぁと思ったのが1つ。そしてなにより、"え?これ大丈夫…?" と不安げに辺りを見回している私に、街ゆく人が「あら、いいわね」「美しく描いてもらうのよ!」と言うかのようにあたたかな眼差しを向けてくれていたことが大きかった。
きっとこの人は大丈夫な人なんだ。絵のモデルってパリではよくあること?で、名誉なこと?なんだ。うん、多分絶対そう。(微震)
まあこれもひとつの経験だよな、売りつけられそうになったら走って逃げよう、そのときのために姿を収めておいた方がいいよな、と正面からではないけれど彼の写真を収めた。

絵を描く前も、描いている間も「ほんとうにタダだから心配しないで」と言ってくれた彼はほんとうにタダで、しかも丁重にバスのマップに包んで渡してくれた。
すでにほぼ満タンなショルダーバッグの中で絵が潰れることを恐れて、手で持ち帰ろうとする私を見て彼が「大切な作品、盗まれちゃ困るよ。ほら、ちゃんとカバンに入れて」と忠告するから、カバンに収めると「Great!!」と褒めてくれた。
「(絵を描かせてくれて)ありがとう。ぜひ近いうちにルーブルへ行ってね」と告げる彼に、
「こちらこそ、描いてくれてありがとう。私、あなたの絵、すごく好きよ」と伝え、
「Merci, beaucaup. Au revoir!!」と背を向けた。
私の絵の裏に描かれたセーヌ越しのエッフェル塔は、よく見ると物理的にエッフェル塔の足がこんなふうに見えるわけがないあり得ない縮尺なのだけれど、そんなことどうでもなるくらい美しい絵だったし、
なにより憧れのパリでたまたま出会った画家に自画像を書いてもらえるだなんて、あまりにも美しい体験で幸せだった。
「『無料だから君の絵描かせて」』って言われたから絵のモデルやったらほんとにタダで描いてくれた」と家族LINEで報告すると「絵は!」「絵、くれたん?」とすごい剣幕で母から連絡が来たから、受け取った証拠にカバンとチラシ越しの絵を写真に撮って送った。
寮に帰って中身の写真を送ると、母父妹彼の反応は「こんなゴツくないけどな」「ええやん!」「ブスに描かれてるな」「割と似てるやん笑」と三者三様だった。




画家さんにAu revoir を告げてなんとなくPont des Arts 橋を渡ってみると、何かはわからないけれど並々ならぬ建物が登場した。ちなみにルーブルの端っこの向かい側に建っているこの並々ならぬ建物はInstitut de France(フランス学士院)。

サングラスに白紺ボーダーのTシャツを着た人という
いかにもなパリジェンヌたちがいるポン・デ・ザール橋

左岸に渡ってオルセー側から見たルーブルを堪能しつつセーヌ沿いを歩いていると、かの有名なオルセー美術館が視界に入ってきた。ちなみにセーヌ挟んでオルセーの端っこの向かいがチュイルリーなので、これは遠回りではない。決して。


どちらもバカデカいから少し歩くだけで
全然違う建物に見える



全体の大きさ、イメージ湧きますか?

ここが!オルセー!
有名な大時計は実は2つもあって、その下から入れたらさぞ豪華だろうに、そこではなく端っこが入口だと知って、なんて罪深い建物なのだろうと思った。




政府機関らしい
「まだ初日なんでね」と余裕をかまして中に入るのを見送り、Passerelle Léopold-Sédar-Senghorという名前の橋を渡って、ついに一次目的地であるチュイルリー公園に到着した。
と言いつつ、橋から見える街並みが美しすぎて写真を撮りまくったから「渡って」から「到着した」まで、Google mapsの予測が全く参考にならないほどに時間が過ぎている。

きっと高校で世界史選択の人は知ってるはず






以下、やっと到着したチュイルリー公園。





遊園地の出店は日本とあまり変わらないラインナップ。ゲームの内容が違えど、ゲームの景品としてぬいぐるみが用意されているし、ぬいぐるみのキャラクターは見覚えがないものもあれば、けろけろけろっぴ、スティッチ、ソリック、バーバパパ、ミッキーといった見覚えがありすぎる子たちもいるし、吊るされている系のクレーンゲームではiPhoneやiPad、Macが景品になっていた。スーパーボールすくいの代わりにアヒルの置物を掬って、その景品に子供向けの銃やスティックや聴診器のおもちゃが用意されている。ドリンク系の屋台の中ではカラフルな綿菓子やタピオカも売っている。コーヒーカップの代わりはカーズの車たちやマリオカートの車たちだし、VRの出し物、簡易版のジュラシックパークみたいなやつ、UFO キャッチャーなんかもあるし、お化け屋敷はモンスターで存在する。
日本と同じところ、違うところ、それぞれあって、それらを見つけるたびに楽しくて、おもしろくて、仕方なかった。



チュイルリーの第一印象は「なんてお得な場所なんだろう」だった。
チュイルリーはルーブルの敷地の一部で、もちろんルーブルが見えるし、その境にはカルーゼル凱旋門(誰もが知る方はエトワール凱旋門)が立っている。そのあたりからはエッフェル塔が少し顔を覗かせている。
『のだめカンタービレ』が好きな人には伝わるであろう、映画でのだめちゃんが落ちた池があるのはこのチュイルリー公園だし、その池からはオルセーが見える。
ルーブルと反対側に歩いていけば、モネの睡蓮部屋で有名なオランジュリー美術館と写真が展示されているらしいジュ・ド・ポーム美術館が立っていて、その奥にはコンコルド広場、広場から伸びるシャンゼリゼ通りの先にはエトワール凱旋門。それらが一直線上に在る中に、Grand Palais がそっと顔を覗かせている。
そう、チュイルリーはパリの名所を独り占めしている場所なのだ。
そんな場所に観覧車がある。ということは、ヘリにでも乗らない限り見られない上空から見たパリの景色を楽しめるということ。私は15ユーロだったけど、子どもは無料。少し高いから迷ったけれど、ここでケチってどうする!!と乗らずにはいられなくて、乗った。

1人だったから、後ろのムッシュ(と呼ぶには若すぎる気もする男の人)と相乗りだった。男の人側がエッフェル塔・凱旋門側で、そちらの景色は少々撮りにくいナ…と思ったけれど、
乗り合わせた彼はのびのびとパシャパシャパシャパシャ自撮りを繰り返した後「写真撮ろうか?」と声をかけてくれたり「場所交代する?」と提案してくれたりしたので、難なく楽しめた。




観覧車を降りてからはルーブルの方まで歩いてピラミッドを見に行って、引き返して、コンコルド広場を通ってアレクサンドル3世橋を目指した。







チュイルリー公園を出てセーヌ川沿いを歩けばもう、アレクサンドル3世橋は目の前。パリを代表する景色『アレクサンドル3世橋とエッフェル塔のツーショ』を狙うならココ、と言わんばかりのベストポジション。


数々の作品を彩り、セーヌに架かる橋を代表するアレクサンドル3世橋はこちら。もうとにかく道幅?橋幅?が広くて、ピッカピカしてる。そんな世界一優雅な橋は、右岸(ルーブル側)のGrand Palais, Petit Palais と左岸(オルセー側)のInvalide を結んでいる。



アレクサンドル3世橋で左岸に渡り、この日のミッション3・エッフェル塔を目指した。
エッフェル塔の代表的なベストスポットとして、左岸のシャン=ド=マルス公園と右岸のトロカデロ広場がある。どちらから見るか迷ったけれど、個人的に「人生初めてのパリは初日にエッフェル塔に行く」という理想があって、それを考えたとき頭の中にあるエッフェル塔はいつだってシャン=ド=マルス公園からのエッフェル塔だったから、シャン=ド=マルスへ向かった。
向かうときは、どうせならエッフェル塔のフォトスポットとして有名な道を通ろうと、アンヴァリッドの横を通って Rue de l'Université へ出たけれど、入る場所を間違えたのか、見えるはずのエッフェル塔があまり見られないまま、シャン=ド=マルスに到着した。

ずっと、ずっと、会いたかったよ。」
この日、何度思ったことかしれない。
私はこの日を迎えるために、生まれてきた。
ここにきて、この景色を見るために、この鉄の塔を目指して、これまで生きてきたんだ。



知ってる?エッフェル塔のくびれには、フランスの偉大な科学者たちの名前が書いてあるんだよ。エッフェル塔の色は7年ごとに変わってて、今回の黄土色は2回目なんだって。足元から見たらエッフェル塔はこんなふうに映るんだね。
パリの街の、知らない一面を知るたびに心が跳ねる。
生きて、ここに立つことができている今に、心から感謝した。

シャン=ド=マルスとトロカデロを結ぶイエナ橋を渡って、トロカデロへ向かった。
トロカデロの階段ではアーティストが路上ライブをしていて、それを聴くためにたくさんの人が集まって階段に座って音楽を楽しんでいて、すごく、パリらしかった。


階段を上がってトロカデロへに着いた瞬間、あまりの美しさにしばらく見入った。
ここに着いた瞬間、この空間に一瞬で魅せられて、この場所を気に入り、ああ、私はシャン=ド=マルスよりトロカデロ派だな、とぼんやりと思った。そして、きっと私はパリにいる間、何度もここを訪れるだろう、という予感がした。

トロカデロに着いたのは17:00ごろのことで、その頃、日本で寝ようとしている家族から「早く家帰りなさいよ、危ない」ときているのを無視して、Av. Kléber という大通りを歩いてトロカデロから凱旋門を目指した。
向かっている途中で雨が降ってきたけれど、それだってどうでもよかった。
Av. Kléber から出てくると、そこは凱旋門の側面で、日本では見られないレアな姿に興奮しながら、強い雨から逃げるように走ってメトロ13番線の Champs-Élysées Clemenseau 駅に向かった。
この駅はシャンゼリゼの始点にある。そのシャンゼリゼは予想の3倍長いから、途中で雨宿りしつつ、まだかなーと思いながら走り抜けた。




走り抜けている途中なので躍動感ありすぎる1枚

せっかく走ったけれど、駅に着いた頃には雨は上がっていて晴れ間まで見えていた。雨あがりの Petit Palais と Grand Palais は美しかった。

これで帰れる、と思ったのも束の間、Champs-Élysées Clemenseau でホームを間違えて逆方向へ行ってしまった。
気づいて引き返そうと降りた駅で、帰れないかもしれない、どうしよう、と困って辺りを見回していると、フランス人の若い女の人と目が合った。助けるか迷っているような目でこっちを見てくれていたから、「Excusez-moi?」と声をかけて「Brochant に行きたいのですが、こちらで合っていますか?」と尋ねると、「英語に自信がないから、彼に引き継ぐわね。」と彼女のボーイフレンドに頼んでくれた。
親切なカップルは、私がBrochantに無事にたどり着けるかどうか、各駅に停車するたびにこちらを振り向いて確認してくれていた。
Brochantに着いた時には「ここだよ!」と扉を指さして教え、「Au revoir!!」と言ってくれた。
せっかく初日だからレストランで食べよう、と駅のすぐそばにあるレストランで夕飯を食べることにした。
英語で予約もなしに一人で訪ねてきた私に対して、若い男性の店員さんはすごく親切に、丁寧に接してくれた。
大き過ぎて食べきれなくて申し訳なさそうにしている私に「No, problem.」と告げ、お金を払った私に「ありがとう」と日本語で言って、ショップカードまでくれた。


写真を見て気づいたかもしれないが、パリはとにかく天気が変わりやすい。初日、1日の中で 晴れ→くもり→雨→晴れ とコロコロと天気が変わっていった。そりゃあ、パリの人は傘を持ち歩かないよなあと一人で納得したし、日本みたいに雨となったら一日中 雨で気分が落ちることがないってことは、旅行でハズレの日はないんだ、と気づき、どこまでもこの街を好きだと思った。
パリの人は、英語を話さないとか、日本語なんてもってのほかだとか聞いていたけれど、初日のたった数十分でそんな噂は覆った。冷たいどころか、おもてなし精神で溢れているパリジャン・パリジェンヌたちに、見習うべきはむしろこちらの方だと心から感じた。
私が憧れた街は、歩くだけで楽しくて、親切な人がたくさんいる、美しい街だった。それを知ったこの日は、人生で1番濃い日だった。
きっと、認知症になって我が子の名前がわからなくなるようなことがあっても、この日のことは忘れないんだろう。死んでも、生まれ変わって私が私でなくなっても、魂が忘れない。
パリを思い出すとき、いつだって瞼に浮かぶ、初日の思い出。

チュイルリーらへんはセーヌ挟んで反対側を
歩いています