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教育を完全自由化すべし

「「フリースクールは国家の根幹崩す」発言に批判拡大、市長は撤回せず…多くの施設が運営に困難」
(読売新聞)


 小椋正清氏であるが、この度の発言は絶対に撤回しないで頂きたい。
 何故なら、発言した内容は間違っていないからである。

 先ず、この発言に対して「撤回せよ」と迫るヤツらだが、コイツらは左翼という名の詐欺師か、左翼という名の詐欺師に騙されているタダの愚図か、何方かである。
 それ以外の可能性は無いと決め付けて良い。
 従って、この様なヤツらとは関わらない様にし、関わるしか無い場合は徹底的に糾弾しなければならない。

 今回の件、小椋氏の発言内容そのものを詳らかにする事は無意味である。小椋氏が指摘したのは問題の極々浅い事象に対してであり、本質には言及していないからである。
 なので、私は小椋氏の発言を詳しくは知らないし、知ろうとも思わないし、「知ってから投稿しろ!」などという意見には一切耳を貸すつもりは無い。
 だが、私が知る中で一点だけ「本質」に触れる発言があったので、これだけは紹介しておこう。

「不登校は親の責任」

出典:小椋正清氏の発言より

 正にその通りで、いわゆる「不登校」とは第一に親の責任である。

 さて前置きはここまでにして、「本質」に移りたいと思う。


 子を産んだ親には様々な責任が発生するが、その内の一つが教育である。GHQ憲法に指図されるまでも無く、親は子を教育する責任を負う。
 親が子に施すべき教育とは何か。ザッと羅列してみる。

1.基礎
 人間/人間として育てる
 他者/自分以外の存在を認識させる
 両親/誰が父親で誰が母親か
 言葉/言語を解し習得する
 数の概念/単一と複数の違いを認識させる
 性自認/自分は男か女かを正しく認識させる
 喜怒哀楽/感情という概念の理解
 発声/「どもり」は幼少期の教育次第
 聴き取り/音を正しく聴き分ける
2.道徳
 自制/我慢を覚えさせる
 善悪/人としてやって良いこと悪いこと
 規則/ルールに従うことを覚えさせる
 挨拶/しなくて良い理由など無い
 生命/命の尊さを知る
 所有権/自分の物と他者の物の区別
 食事/好き嫌いをさせない
 感謝/「ありがとう」を言える様に
 反省/「ごめんなさい」を言える様に
 尊敬/産み、育ててくれる両親を敬うことから
 尊重/相手を立てるという事を知る
 男性像/男性としてのあるべき姿を知る
 女性像/女性としてのあるべき姿を知る
3.社会性
 会話/落ち着いて聴き、落ち着いて話す
 読解力/「行間を読む」という概念を知る
 計算/足し算引き算くらいは出来る様に
 生物/人間以外の生命を知る
 安全意識/危険から遠避けるだけでは駄目
 衛生観念/進んで手洗い・歯磨きが出来る様に
 整理整頓/幼少期の間に厳しく叩き込むべし
 学び/経験した事を振り返らせる
 節制と鍛錬/誰にとっても身体は資本
 予測/「経験を活かす」という事を知る
 貯蓄と消費/貯蓄あってこその消費である
 社会/政府、公共機関、民間の役割を知る
 愛国心/国家に帰属せねば人権は保証されない

 ザーっと書いたので抜け漏れもあろうが、概ねこの様なところであろう。
 何も家庭内で講義の時間を設けろというのでは無い。
 例えば日々の家事手伝い一つにしても、子供にとっては大きな学びの機会である。その過程で繰り返される指導、命令、思考、実行、成功、失敗、得られた結果に対する評価と反省。全てが学習足り得る。
 定額のお小遣いを貯めて欲しい物を購入する事で、収入と貯蓄と消費の関係を理解する。お手伝いを頑張って偶に貰えるご褒美で、成果を出す事の意義を知る。

 子供にとって、日々経験する全てが学習となる。その「経験」の場を最も有効に設ける事が出来るのは、親をおいて他に無い。
 昨今、なるたけ早期から集団教育を経験させよという風潮があるが、実に愚かな事である。一人で多数を見なければならない保育士や先生に、親と同じ芸当を期待する事など出来よう筈も無い。
 前述した「親が子に施すべき教育」だが、これらは下地に過ぎない。何の下地かと言えば、家庭という枠組みから出る為の下地であり、集団生活をする為の下地である。下地が出来ていない子供に集団教育など受けさせても、決して良い結果を齎すことは無いだろう。
 人はもっと、早期から集団教育を受けさせることのリスク、親による教育の重要性を理解すべきである。


 第一義的に子供を教育する義務を担うのは誰かと言えば、それはその子の親である。間違っても、幼稚園だったり小学校だったり中学校だったりする訳では無いし、ましてや高校とか大学とか会社とかだったりする訳が無い。
 親は我が子を一人前の社会人にしなければならない。それが大前提である。「学校に通わせる」という方法は選択肢の一つに過ぎない。
 即ち、「親は子供に必要な教育を施すため、カネを払って”学校教育”という商品を購入する場合がある」という事である。

 この様に考えると、「学校というのはサービス業の一形態である」という事実が見えてくる。
 政府の仕事と言えば、国防、治安維持、公共インフラ整備の3つに集約されるという話は別の記事でも再三述べているが、多くの人がこれを勘違いしている。その代表選手こそ「教育」では無いか。(※補足①)
 サービスの質的向上というものは、市場経済の原理に曝してこそ図れる訳だが、その対極にあるのが政府の介入である。政府が法や規制で縛れば縛る程、学校側はそれの対応に追われて生産性を下げる。
 まして、政府が学校運営そのものに関与するなどという事態にでもなれば、目も当てられない。
 古今東西を問わず、政府が提供するサービスというのは低質である。
 圧倒的な権力を持ち、組織体系は複雑で、一度決めた事を変更するのに膨大な時間と労力を要する。その様な組織が密接に関与して、質の高いサービスが提供される筈など無いという事である。

 日本では小学校と中学校で習うカリキュラムを”義務教育”としているが、この様なルール自体は必要である。
 親が子を教育するにしても限界はある。子供達の将来に、なるたけ多くの選択肢を与えられるような仕組みはあった方が良かろう。
 或いは、親がおかしな思想に傾注しており、間違った歴史を教えてしまうという様な事があるかもしれない。
 ある程度の社会性を身に付けた後なら、集団教育はさらなる成長を促す意味で有効な手段となろう。
 だが、そこにどれだけ政府が関与すべきかは冷静に考えなければならない。「重要な事だから政府が責任を持つべき」という様な思考停止だけは許されない。
 政府がやるべきは、「これこれこういう教育を何歳までに消化させよ」というルール作りである。それ以上は要らないし、求めてはならない。

 「政府が率先して学校を作らなければ、その様なルールは形骸化するのではないか?」
 その様な事は無い。
 政府の定める法は、たとえ悪法であろうと守らない訳にはいかない。その様な環境さえあれば、自然とビジネスチャンスを見出し「義務教育を施すためのサービス」を提供するものが現れる。
 ひょっとしたら最初の頃は高額な料金で、一部の裕福な家庭しかその様なサービスを受けられないかもしれない。だが、そこで政府が余計な規制を設けたり、料金設定に口出しなどしない限り、必ず競合が現れる。
 競合が多数出現すれば、サービスの提供者達は競争に打ち勝つ為、商品力向上に励む。
 結果、良質なサービスを提供する者は生き残り、低質・悪質な教育を施す者は淘汰される訳である。
 教育は可能な限り自由化されなければならない。


 さて、不登校は親の責任である。すべての場合においてそうとは言い切れないにしても、概ねその様な認識で間違い無い。

 勉強についていけない?
 クラスの大半がその様な状況になる様なレアケースは別にしても、一人だけがそうなるなら、どう考えてもそれは、親が子供を幼少期にきちんと教育出来ていなかった事が原因だろう。
 友達付き合いが出来ない?
 人付き合いの基礎も親が教育すべき項目に含まれる。クラス全員が皆バラバラという様な話を聞いたことがあるだろうか。自分の子供に友達が一人もいないなら、それは親の所為である。
 先生に殴られた?
 それは本当に怒り任せの暴力なのか。体罰と暴力を混同するバカが氾濫し、体罰防止法なる悪法がものされる昨今だが(※補足②)、体罰を行使出来る者こそが真の教育者である。もしも殴られたのが体罰だとすれば、先生にその様な手を煩わせた事を、親は猛省しなければならない。

 いじめにあってしまった場合はどうか。
 バカな子供が大量に存在した場合、不幸にも我が子がいじめの標的になってしまう事はあるだろう。その様な場合は不登校に陥ってしまうのも致し方無いかもしれない。
 だが、そこでもしも体罰防止法みたいなクソ法律が無ければ、いじめっ子達に待っている未来は、親にブッ飛ばされるか、先生にブッ飛ばされるか、いじめた子の親にブッ飛ばされるか。その何れかである。
 ブッ飛ばされた子供は痛みと出血と共に猛省を強いられ、大抵のいじめなど雲散霧消する。
 よもや「体罰は暴力」などと考えてはいまいな? もしもその様に誤った考え方をしていた矢先、自分の子供がいじめにでも遭ってしまったなら、回りまわって自身のそういった性根がいじめを誘発させる根源になってはいないと、完全には言い切れまい。

 「不登校の子供にフリースクールという選択を」 この様な考え方を、頭ごなしに間違っているなどと言うつもりは無い。
 だが、本当に不登校となった原因は解消出来ないのか? それに立ち向かう勇気も必要ではないか? 子供自身の甘えは無いのか? 安易にフリースクールとかホームワークという様な選択をして良いのか? ひょっとしてそれは単なる逃げではないのか?
 政府や自治体が軽々にフリースクールを支援する行為は、この様な試行錯誤を放棄させる免罪符になってしまいかねない。
 詳しく調べていないので、私は小椋氏がどの様な真意でもって発言したのかは知らない。だが、言葉尻だけ抜き出してみても批判する様な内容では無いし、批判したバカは先ず、己の浅はかさを恥じるべきである。

 もっと言うと、前述したような「教育の自由化」の重要性を理解しておれば、フリースクールがどうのというハナシは単なる枝葉でしかない事が分かろう。
 教育が自由化されることによって、教育というサービス業の質は爆発的に向上する。不登校だ何だという以前に、最初から親は自身の理念に沿った教育を我が子に受けさせる事が出来る。
 もしも我が子がとある学校に馴染めなかった場合、それが致し方無い理由なら、自由闊達な教育市場において必ずやその子に見合う教育を提供する者が居ろう。それが単なる逃げあったならば、その親子はいずれ自身の甘さを理解する事になろう。

 今の日本の教育は、こういった理想状態からかけ離れ過ぎていて、多くの人が本質を見失っている。
 本質を見失っている事すら気付かないバカ親が、我が子の教育を怠りつつ文句だけ言う。我が子はバカ親以上のバカとなる。更に、その様なバカを焚き付ける狡猾なバカが登場し、単に愚劣なだけのバカを増殖させる。
 バカの無限連鎖講である。
 小椋氏の発言をバカ丸出しで批判するバカ共は、自分が如何にバカな存在であるかを自覚せねばならない。


※補足①:本来は政府が手を出すべきで無いもの

 「教育」と並び、「医療」もそうである。
 本来は政府が手を出すべきでは無いが、殆どの人が政府の仕事だと勘違いしている事業。
 その二大巨頭こそ、「教育」と「医療」である。

※補足②:体罰

 体罰とは何か。
 それは、極めて文明的かつ理知的な教育方法である。
 全ての日本人は体罰防止法を忌避しなければならず、これの撤廃を目指さなければならない。

※補足③:親の教育

 「そんな時間ある訳が無い」「共働きでどうしろと言うのか」といった意見があろう。
 だが、その様にブー垂れたところで、親が我が子を教育する責務から解放される訳では無い。是を非としても、教育せねばならない。

※補足④:女性活躍という欺瞞

 昔は父親1人が普通に働いていたら、母親は専業主婦をやっていても子供3人くらい養えていた。
 今はどうかというと、子供1人でも夫婦共働きじゃなければ厳しいというケースが増えてきているのではないか。昔もそういう家庭はあっただろうが、相対的に増えてきているのは確実である。
 その様な状況をして、「我が子の教育は親の責任」などと言われ、思わず腹を立てる人もいるだろう。
 だが、どれだけキレ散らかそうが事実は不変である。

※補足⑤:女性活躍

 日本は女性の社会進出を阻んできたのか。
 「父親が働きに出て、女性が子育てと家事を担当する」という家庭が多いのは事実である。
 何故にその様な家庭が多いのか。
 男性が女性の社会進出を阻んでいるからか?
 いきなりそうやってキレ散らかす前に、少しばかり冷静に考えなければならない。
 家事や育児は男性でも出来るが、出産は女性にしか出来ない訳で、だったら育児まで出産からの流れで女性に担当してもらった方が、遥かに合理的であろう。
 少なくとも、女性が産休を取る→男性が育休を取る という形だと、女性も男性も長期休暇を取る事になってしまう。数カ月仕事から離れて全くパフォーマンスを落とさない人が居るだろうか。ゼロではないにしても殆どいないだろう。
 詰まりは生産性が落ちるという事である。
 「そうならないように、会社がきちんとフォロー出来る体制を作るべきだ」などと騒ぎ、会社に体制づくりを強いたところで、生産性の減少を限りなくゼロに近づける事は出来ても、絶対にプラスにはならない。なる筈が無い。
 更に言うと、フォロー出来る体制づくり自体が生産性を低下させる行為に他ならない。
 合理性を捨てて非合理な形を採る為に、どの様な体制を構築するべきか時間と労力を使って検討するというのだから当然である。

※補足⑥:女性活躍推進法なる愚法

 その様な無駄を民間企業に押し付ける愚法こそ、女性活躍推進法である。
 だが、これは氷山の一角である。
 日本の民間企業は、生産性向上に1ミリも寄与しない無駄な仕事を政府からわんさか押し付けられている。それが積もり積もって「父親の稼ぎだけでは家族を養えない」状態に陥ったという事である。

※補足⑦:公教育

 「父親の稼ぎだけでは家族を養えない」要因は、企業が(政府の所為で)生産性を低下させられているというだけに止まらない。
 本文で書いたように、政府が教育という産業に介入している訳だが、これによって国民は格安で教育というサービスを購入出来ているかと言えば、そんな事は無い。
 ”政府さん”という個人が私費で国民の教育サービス購入費を負担してくれている訳では無い。国民は既に税金という形で費用を払っているのである。
 更に言うと、サービス購入費だけでは無い。
 政府があれやこれやと教育市場に口を出すべく、無くても良い筈の省庁があり、居なくても問題無い筈の官僚がおり、無駄な仕事に従事する役人が大勢いる。これは全て無駄なコストであるが、このコストを負担しているのも税金である。
 教育を完全民営化したら、サービス購入費よりも減税額の方が大きくなるのは確実である。

※補足⑧:左翼の手法

 左翼というのは詐欺師の一形態という側面を持つ。
 例えば上述の無駄な省庁といった形で、国民から多めに税金を取り、そのおこぼれをチュウチュウと啜る訳である。
 ところで、左翼が教育の自由化を阻むのには別の理由もあるが、長くなったのでここでは割愛する。

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