天国も地獄もある、インド系レストラン人生劇場。
インド系レストランは玉成混交で、やたらと数が多いゆえ、飲食業界の光と影がありありとわかる。人それぞれのモラル・スタンダードもまた。
あるインド人料理人は一切学校に行ったことがなく、人生で必要なことはすべてレストランで学び、レパートリーも広く、料理のクオリティも抜群で、いまや雇われ料理長として東京7店舗の料理を監督し、ほぼ全店を成功させ、歩合制で給料を得る大金持ちになった。
他方、多くの在日西アジア系の雇われ料理人たちはあろうことか月給8万円から15万円ほどで、朝から晩まで働き、(食費こそかからないものの)、レストランが提供するタコ部屋に暮し、その上、母国の実家に送金までするゆえ、残ったカネは、煙草と酒で消えてしまう。かれらのワードローブはパンツ3枚、Tシャツ3枚、ネルシャツ3枚、セーター1つにジージャン1枚、ジーンズ2本が相場である。
それでもけなげに働く料理人が多数派ながら、しかし、なかには悪心を持つようになる者もいて、閉店後に仲間を集めて店の食材を使ってパーティを開いたり、はたまた店が仕入れたスパイスを仲間の料理人に闇で横流しして小遣いを稼いだりするものだ。もっとも近年は監視カメラの設置によって、そういう悪事もやりにくくなったとはいえ。
不思議なもので、レストランごとに労働者たちのモラルはある水準に落ち着くもの。まじめで働き者ばかりの店もあれば、みんな揃ってろくでなしという呆れた店もある。とうぜんそれは料理のクオリティにも反映するもの。とくに経営者が料理人の場合、まじめな料理人は食材~料理のクオリティを死んでも落とさない。他方、食材原価を切り詰めることに夢中になる料理人は、食材のみならず同時にランチの各種カレーの煮込み時間を1時間半から1時間に削ったりする。はなはだしい場合は、生クリームのカネを惜しんで、スジャータを使ったりする店さえ稀にある。いくら日本の生クリーム価格が不当に高いとはいえ、しかしスジャータを料理に使うなんてことはもはや越えてはいけない一線を越えている。
きのうぼくはぼくの暮らす西葛西を歩いていると、かつてぼくが「ビリヤニ・マスター」と呼んだこの街の大成功ネパール人レストラン経営者が(いつものように)肩で風切って歩いていた。かれはムンバイで料理を覚え、調理のウデもいい。かれはムンバイ愛がつのるあまりムンバイ女性と結婚。この街で2軒のレストランを経営し、大成功させている。給仕に紳士的な服装を与え、一方の店にはムンバイの暮らしの幸福を描く絵をあしらい、他方の駅近の店では土日ブッフェを格安にふるまう。それぞれの店の売上は推定300万円越え。二店舗合わせて毎月推定600万円越えの売り上げである。かれの首にはゴールドのネックレス、かれの左手にはゴールドのローレックスが輝いている。かつての愛車は真っ赤なマツダのバンだったもの。いまどんなクルマに乗っているか、ぼくは知らない。
かれの屈託のない笑顔と無邪気なカネ持ちアピールがぼくには愉快だ。ぼくは言った、「元気そうだね。あなた、レストラン経営、巧いね~。大成功じゃん。でも、あなた、ここ十年間自分で料理なーんにも作ってないでしょ。いまやあなたは、元ビリヤニ・マスターじゃん。大成功は結構だけど、でも、いつか後悔するよ。いまのうちに15席くらいのちいさな店作って、自分で料理作ってコース5000円くらいで提供したらどう? そうすっとあなたの社会的評価もさらにいっそう上がるでしょ。」
するとかれは味のある顔にくしゃっと苦笑いを浮かべ、「15席のレストランでわたしが料理作って、コース5000円?」と一瞬考え込んでみせた。でも、ぼくはわかっている、きっとかれがそんなレストランを作る日は訪れないでしょう。なぜなら、かれの合理的人生観において、そんな選択肢はもはやありえないだろうから。
人生って不思議なもの。社会に揉まれ、ときには理不尽に扱われ、小不幸も小幸福もさんざん味わって、中年にもなろうものなら、その人の価値観がその人自身の風貌にすっきり現れるようになるもの。レストランには幸福も不幸も残酷物語も大成功物語もあります。かぐわしいスパイスの香りの向こうに、あなたはどんな人生を見るでしょう?