私が占い師になったワケ(闘病記51 膠原病 全身性エリテマトーデスの疑い ステロイドを30mg服用へ 2020年)
2019.12.19 なんだか最近はすっかりサイトカインのことを忘れていたのだが。顔の赤みもおそらくこれが原因なのではないだろうかと思うようになって来た。
サイトカインについて再び勉強を開始する。
2020.0103 全身性エリテマトーデス、つまりSLEの治療方法について1つ思ったことがある。私はもともとベーチェット病を患っており、ベーチェット病と正式に認定されたのは28歳の時だ。
8歳の時に原因不明で足の甲の骨が融け始め、10代の頃からベーチェット病特有のアフター性潰瘍ができるようになり、HLA検査では引っかからなかったが。
症状が1番、ベーチェット病に近いことからベーチェット病として難病の申請をした。
のちに仙腸関節の骨がベタベタに融けてしまったことから、強直性脊椎炎の可能性も出てくる。
さらに今から3年ほど前にある日。突然、顔面が蝶型のように赤みを帯びていることから、最初はただの皮膚疾患だと思い皮膚科を受診し、脂漏性皮膚炎や酒さ、及び酒さ様皮膚炎と診断された。
但し、私はもともとベーチェット病という難病を患っているので、難病はいくつかの難病を合併することがあるため、全身性エリテマトーデス(SLE)の蝶型紅斑(バタフライ・フィッシュ)ではないだろうかと言われるようになり、皮膚生検する。
顔の一部にメスを入れて、SLEなのかどうかを調べるという手術をしたのだ。
その時の結果はNOだった。
ニキビダニが若干多いがそれが原因でこんなに赤みが出るとは思えないというのが皮膚科医の見解だった。
もしも全身性エリテマトーデス(SLE)だとしたらどんな治療法があるのかと試しにリウマチ内科の主治医に聞いたところ「ステロイド、免疫抑制剤、生物製剤の3点があるよ。」とのこと。
その為、現在、患っているベーチェット病と治療法は、ほぼ同じになるようだ。
特に生物学的製剤は今まで何をやってもわからなかったわけだから、高額な医療費を支払ってトライしてみたところで、効くかどうかはわからないそうだ。
その昔、ステロイドに免疫抑制剤を加え、病気を叩いていた頃は感染症が酷く、風邪をひくとなかなか治らなくなってしまったため、服用を中止したことがある。
インフルエンザやノロウィルス、そして大人はなかなかかからないと言われているりんご病にもなった。
とにかくIgG(免疫ブロブリン)の数値が大幅に下がって大変だった記憶がある。
ちなみに全身性エリテマトーデス(SLE)には、おおかみにひっかかれたような傷という意味があるのだが。全身性エリテマトーデス(SLE)の死因を調べると、その昔は腎炎だったみたいだが。
最近は感染症による死亡が第一位みたいだ。
と言うことは、単にステロイド、免疫抑制剤、プラス生物製剤を用いて治療した結果、IgGの数値が下がり感染症にかかってしまい、亡くなってしまっているのではないか、と思うようになってきた。
全身性エリテマトーデス(SLE)は全身と言うだけあって、全身が侵されていく病気なのだが。
私の場合、昔の症状に対しては免疫抑制剤は効かなかったが、病状は随分と変わって来ているので、もしかしたら今の症状に対し、リウマトレックスが効くのではないだろうかと思うようになって来た。
今度、病院へ行ったら主治医に相談してみよう。
掌蹠膿疱症の疑い、線維筋痛症の疑い、瘍性大腸炎の疑い、クローン病の疑い、結核の疑い、白血病の疑い、強直性脊椎炎の疑い、リウマチの疑いなどなど。
私は今までありとあらゆる病気の疑いをかけられてきた。
果たしていったいなんの病気なんだろうか。
その昔、私を担当していた主治医は「鈴木さんみたいになんの病気かよくわからないことを僕たちはよく膠原病と言っている」と教えてくれた。
膠原病。とても便利な言葉である。
2020.01.04 雪が深々と降る中。某テレビ局のディレクターから「占い館あろは・北軽井沢店」を取材したいと言ってくれたことがあったことをふと思い出す。
北軽井沢店は、浅間山麓の山奥のにあるので、1日に鑑定できたとしても個人鑑定は1時間からのスタイルなので、1人か2人しか鑑定できないので、あまり参考になりませんよと伝え断った。
2020.01.05 私は30歳の時にプロの占い師としてデビューしてからはずっとこの仕事しかしたことがない。
ただその昔、音楽活動をしていた頃は、音楽だけでは生計が立てられていなかったので、今までにありとあらゆるアルバイトをしていたことを思い出す。
パン屋さんのアルバイトから始まり、文房具屋さんやスーパーのレジ打ち、コンビニ、ガソリンスタンドのオープニングスタッフ、洋服屋さん、スーパーやショッピングモールなどでの試飲試食のお仕事。
英会話教室のテッシュ配りやコールセンターのオペレーター、東京に住んでいた頃は、舞伎町の入り口にあったコーヒーショップでも働いていた。
人生と言うのは本当に何があるのかわからない。
私が音楽活動に明け暮れていた時は、まさか自分が占い師になるなんて思ってもみなかった。
占い師になったばかりの頃は、右も左もわからずに「先生」と呼ばれることにも抵抗があったような気がする。
それでもみんなが「先生、先生」と呼んでくれた。
きっと私はみんなにそう呼ばれているうちに「先生」にさせられていったのだと思う。
随分と昔に私が四谷のライブハウスで歌っていた頃は、客席に1人しかいなかったことがあった。
その時のお客さんは、今や世界に輝く映画界の巨匠と呼ばれるようになった人物なのだが。
ステージを降りたときにスタッフさんが「鈴木さん、なんだか、映画監督だっていう方が来ているんですけど」と言われた時には、客をまったく呼ぶことのできなかった自分自身に赤面した。
なんだかとても申し訳ないと言う気持ちだけが、ふつふつと込み上げてきた。
私はよく「音楽をやっていた頃と占い師になった今ではどちらが良かったですか」と聞かれることがあるのだが。
音楽をやっていた頃はまったく食べて行けるようなレベルではなかったのだから、占いで生計を立てている今の方が断然いいに決まっている。
病状は年々悪化しているが、あの頃の方が良かったなんて思ったことは1度もない。
ちなみに最近は占い師養成講座の講師になる為に占いを覚えたと思っている人が多いのだが、私は今でも現役の占い師であって、たまたま占いを教えて欲しいと言う人がいるから教えているだけで、講師になりたかったわけではない。
2020.01.11 コンタクトレンズが破損したので、久しぶりに眼科を受診する。診察室へ入ると主治医が開口一番。
「鈴木さんは乱視が強いので、ソフトコンタクトや使い捨てコンタクトは使用できませんが、ハードコンタクトレンズを作っている会社は、年々少なくなって来ているので、商品を選ぶといってももうすでにこの中からしか選べないよ」と言って来た。
「それならばいずれはレーシックとかやれば良いのかな」と聞いてみたが。長年に渡り(30年以上)ハードコンタクトレンズを使用していることもあり、なにやら検査結果が2500を切るとレーシックもできないと言われる。
現在はステロイド性の白内障もあるので、いざとなったら白内障の手術をすればその際に近視とかも改善されるだろうと思っていたのだが。
眼科医曰く、下手すれば白内障の手術さえできない数値にもうすぐ近づいているとのこと。
「どうすれば良いんですか」と聞いてみたら、「単純にコンタクトレンズを付ける時間を短くし眼鏡で過ごす時間を多くして下さい」と言われた。
仕方がないのでこれを機に眼鏡も新調することにする。
2020.01.16 今日はリウマチ内科を受診する。「全身性エリテマトーデス」と言うよりは、皮膚にだけ病変が出ているので「皮膚エリテマトーデス」ではないだろうかと言われる。
とりあえずステロイドの点滴を打ってもらいたかったが、主治医は点滴ではなくステロイドは内服の方が効くと言う。
そのため1週間プレドニンを30mg飲んでみて、効けばエリテマトーデスの可能性が高いが、まったく良くならないのであれば別の病気が考えられるとのこと。
だから再び皮膚科を受診するようにと言わる。
仕方がないので、リウマチ内科と同じ病院の皮膚科にはもう二度と行きたくないと思ったが。
帰り際、現在、どんな先生がいるのか確認してみる。
メインの先生が調子が悪いので、毎日日替わりで違う先生が担当をしているとのこと。(※このメインの先生ものちに亡くなってしまう。)
それはそれで微妙だと思ったが、どちらにしても来週またリウマチ内科を受診しなければならないので、気が向いたらその前に皮膚科も受診しようかなと思う。
通院歴が長いせいか、基本的には病院へかかりたくないと思ってしまう性格が治療をさまたげているのかもしれない。
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