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キャロットラペとsns


今日は平日だけど、
どうしてもニンジンを美味しく食べたくて、
気合いを入れて晩酌した日。


ちょっとだけ仕事が早く終わったので、
「今日キャロットラペ作りたいんだけど
家にニンジンある?」と父に連絡。


ニンジンあるよ、と電話に出た父は今日
アヒージョを作る予定だったらしく、
じゃあどっちにしろ白ワインだな!となって、
私は白ワインを買って帰ることに。


キャロットラペとアヒージョをつまみに
白ワインを飲む未来を想像したら
あまりに幸せすぎて、
スーパーで白ワインを選んでいる時点で
めちゃくちゃワクワク。


あーーー早く帰って料理作りながら
お酒飲みたいなーーー!
キャロットラペと白ワインで優勝したいなーー!
という感情で100%になった私。


スーパーでは、ムーチョマスという
最近よく飲んでいる美味しい白ワインと、
料理に使う用にアルパカの白ワインを購入。

安心と信頼のアルパカ🦙


家に着いてまずはお風呂に入って、
料理する準備は万端。

まずグラスにチューハイを入れて、
それを飲みながらルンルンで
ニンジンをスライスする。


我が家は料理を作りながらお酒を飲む。

家族全員酒飲みなので、
家に着いたらまずは冷蔵庫に直行して
ビールかチューハイ。

しゅわしゅわのレモンサワーを飲みながら
具材を切っている瞬間、
私は本当に幸せで、満たされていた。


あーーー、頑張った後のお酒は美味しい。

料理するのって楽しい。


とにかく、この新しい家で料理することも、
頑張った後にお酒を飲むことも、
全てが最高の幸せだった。


私は多分、大金持ちになったとしても
今と同じ生活を望むんだろうと思う。


大金持ちになって何がしたいかと聞かれても、
あんまり何も思い浮かばない。
私はお金で解決できるようなことを
したいわけではないのだ。

今日のように、
日中は誰かのために身を粉にして働いて、
帰ってきてからは自分のための時間を作り、
家族と一緒にお酒を飲みながら
ささやかな晩酌をする。

これでいい。いや、これがいい。

どんなに大金を手に入れたとしても、
私はいつまでもこんな暮らしがしたい。

大金が手に入ったからといって、
贅沢三昧な暮らしをしたいわけじゃないのだ。

ということは、私は今、
10億円の宝くじが当たったも同然の状態なのだ
ということにふと気がつく。

だって、
今たとえ手元に10億円があったとしても、
私は今の仕事をやめないし、
今日と同じように細々と料理も楽しむし、
夜は家族と楽しく食卓を囲むのだから。

今と全く変わらない日々を、
愛していくのだから。

つまり私は今、
10億円を手にしているようなもの。

足るを知る、ということさえできれば、
私は大富豪も同然だ。

逆に大富豪になったとして、
足るを知るということができなければ、
どんなにお金があったとしても
貧乏人よりも貧しい暮らしを送ることになる。

ニンジンをぶら下げられた馬になってしまっては、
人生はずっと辛いままなのだ。


そんなことを思いながら
ニンジンをスライスし続け、
ようやくキャロットラペが出来上がる。
父のアヒージョもできたようだ。

母の帰宅を待ってようやく乾杯。

仕事終わりの晩酌って本当に最高だよね。

美味しくできたキャロットラペ
ムーチョマスと一緒に。
最高としか言えない。
父はアヒージョを作っておられました


誰かのために働いた代償としての疲れというのは、
キツいけれど清々しく、
なんとも気持ちの良い感覚だと私は思う。

私は、自分が若いうちは、体が動くうちは、
誰かのために自分を働かせたい、と思っている。

歳を取ったら、その割合を
だんだんと少なくしていってもいいだろう。

でも今は、誰かのためになるようなことを
していたいのだ。

なぜなら私は、
今まで他の誰かの仕事に生かされて
ここまで来られたのだから。


自分のための時間なら、
夜にでも休日にでもいくらでも取れる。

料理をしたり、お酒を飲んだり、本を読んだり。

全ては時間の使い方次第なのだ。


こうやって考えてみると、
私は今、自分の理想とする生き方を
見事に体現できているなあとしみじみと思う。

そしてそのことを、とても幸せに思う。



こういうときもう一つ考えるのは、
最近本当に他のsnsを見なくなったな、
ということ。


前までは暇さえあればインスタを開いて
ストーリーを眺めたり、
スレッズを延々とスクロールしてみたり、
とにかくsnsを眺めている時間が多かった。


それらを無駄な時間だとは決して思わないけれど、
あまりそういうことをしなくなった今、
あの時間は惰性だったのだな、と思う。


別に特別に見たい人がいるわけじゃない、
友人・知人らの動向も大して興味がない、
なのにすぐにsnsを開いてしまうのは、
ただ単に「暇だったから」なんだなと。


今は暇じゃないのか?と言われると
そんなことはないんだけれど笑、
noteを書くという趣味ができた私は
他のsnsをひたすら眺める時間というものを
そもそも作れなくなったのだ。


インスタやスレッズを見てる暇があるなら
note書きたい!みたいな。

そして、noteで色んなことを深掘りするうちに、
自然とsnsとの距離が離れていった。

離れようと思って離れたわけではなく、
本当に自然と、すーーっと距離が遠くなった。


友人のストーリーや知人の投稿など、
もちろん流れてくれば見ることはある。

知らない人の投稿も、
興味があれば覗きにいくこともある。


でも、それだけ。

見ないようにしなきゃ!とか、
本当はsnsなんか見たくないのに!とか、
そういう感情は全くない。

ふーん、いいね!みたいな健全な感情のまま、
適当にそのsnsを閉じて、
今目の前にある「生活」をじっくりと味わうことに
シフトする。

今の私はそんな感じだ。



sns依存だったわけじゃないけれど、
惰性でsnsを見る時間が減ったのは
noteに拠るところがかなり大きいと思うなあ。
noteの存在には本当に感謝。

snsって、断食しようと思っているうちは
断食できないんだろうな。

こんなふうに、気付いたら
フェードアウトしていくのがきっと自然で、
それが大人になるってことなんだと思う。


snsに寄りついていない友人たちは
みんな総じて大人に見えていたけれど、
それってこういうことか。やっと分かった。
と思った。


やめようやめようと思って
簡単に辞められるわけではなく、
私のようにきっと何か別のところに
夢中になれるような物事があって初めて、
離れられるんだなと。


別に私も、
インスタから離れたかったわけじゃない。
むしろ、インスタは昔から大好きなアプリだ。
でも、気付いたら結構な距離ができていた。

大好きだけど、
今は静かに遠くから見ているような、そんな感覚。


まさかインスタとそんな距離感になるとは、
noteを始めたときは思ってもいなかったな。

インスタ、また更新したいし、
色んな人の投稿を見たい気持ちもあるけれど、
(いや、本当に見たい気持ちはある)

しばらくはいいかな、というか、
しばらくはそれもできなそうだな、
と思っている。


この自然とできた距離感を、
きっと意味のあることだと思って
大切に、慎重に保っていきたい所存。

晩酌の話をしていて、
なぜかsnsとの距離感の話になってしまった。笑

まあ、たまにはこういう話もいいよね!


さあ、寝よう。

また明日も頑張って働いて、
美味しいビールを飲もう。


皆さん、明日もお仕事頑張りましょう!


おやすみなさい🌛

good night🌛🐾


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