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針針の針先と削って削った針先と
雲丹。海洋生物のあの方たちウニ。
お高いよね。でも大好きなんでごめんなさいウニ。
人間たちに喰われるために登場してないよね。
紫雲丹、馬糞雲丹、どちらも美味しいあのウニたちの殻?の表面にあるトゲトゲの針みたいなのがね痛そうなあれ。
あんな感じの尖った何かを内包している時があった。
内包って、どこに?
考えるから脳🧠なの?
感じるから心臓🫀(❤️)なの?
痛ッ!てなるのに、身体の表面じゃない。
全く見当たらないのに、内包って言う、表現する、よく見かける気がする。
でも、何をどこに「内包」していようと、自分以外の全ての存在を「刺したい」ってなったことは1度もない。むしろ、逆だった。攻撃するより、自分を守る方が優先だった。
ではあの尖った針の存在は、何故知っていたのだろう。と、久しぶりに考えてみたら、ああそうか自分を中から刺していたのか、となった。
外に出る前に自分の内臓とか皮膚の内側とか色々な場所を刺しまくっていて、やっと皮膚を破って表面に出る時は尖端は既にその一点の尖ったポイントを美しい針先を失って、削れて、ねじれた丸なのか歪んだ四角なのか、わからないけど、とにかく様々な形状に成り下がっていたんだね。と、とりあえずそういうところで止まった。
ちょっとそれはないよね。なんでそんなことになった?
年齢も身体の大きさもまだ全然小さな自分を囲む世界は、とても小さくて狭くて、それでもそこに存在する全ては、更に小さくて狭い自分には大事な世界だった。そこを攻撃することは、絶対にいけないことだった。。。。。ちょっと待って、
少し、美し過ぎないか?いや、かなり美し過ぎるだろ。
尖った針の尖端を、ねじれた丸や歪んだ四角になったことを、2分の1世紀以上経ったシン解釈にしてはいないか?
冬の午前中の今だけな陽射しが部屋の中にあって、ベッドの上で本を広げていた自分の目の前に生まれたばかりの妹がいて、私はもうすぐ6歳になる頃で、そして来たばかりの妹の存在が実はうっとおしかった。誰にもそのことを言わずにいた。言えば自分の居場所が無くなると何故か知っていた。或は、想像していただけかもしれない。邪推、っていうのかな。
突然、生まれたばかりの妹が泣き始めた。とてもうるさかったし、見たくなかった私は、そばにあった大人の枕を妹の上に乗せた。見たくなかったから。
瞬間、母が叫びながら飛んできて妹に乗せた枕を勢いよくはらった。
あれは、立派な攻撃だった。あの時、おそらく私の一生分の針を使い切ったのかな。と思うのは勝手だけれど、起きたこと以上に、やはり、美し過ぎるエピソードにしてる。
妹が今も健康に生きていることに、そうだ感謝しかない。のだった。
※drawing ごごんまる