綺麗ごと・善意・ホワイト社会
まぁこれって限界無いと思われる。
そう、常に基準が更新されるからだ。
縛りのボリュームはどんどん上がり、際限なくハードルが上がると。
善と悪は相対化して初めて発生する、当たり前だ。
全てがホワイトならそれはホワイトとは呼ばれなくなると。
相対化する基準点としてのブラックがどうしても必要になる。
それを血眼で探すのだろうか? 他人の失点をひたすら物色すると?
ならそれは今とどう違うのだろう?
結局はバイオリズムの波にならざるを得ない、バランスが取れない。
偽善と露悪のペアで物事は成り立つ事になり、どちらが一体ホワイトかと。
綺麗事を口にすれば善良と言うなら、悪は裏側に回るだけ、変わらない。
むしろよりおぞましい何かが発生する気がするのだ。
現時点での洗脳状態で一般論を刷り込まれ、自然体で悪に加担する人々、
これを真近に観るにつけ、表面的なホワイトの無意味、空虚さは明らかだ。
ホワイトという定義は一体何を目指すのか?
ただの密告社会、吊し上げ、見せしめ社会か?
つまり、精神的な縛り、思考の縛り、退化、虚無化だろうか?
心も体も萎縮して、じゃあ一体誰が得をする?
思考停止は結局は悪になる、自己欺瞞とファッション聖者が作られる。
ジャーナリストの母親の様に、或いは小説「キャリー」の毒親の様に。
心無い偽善に満ちた地獄の亡者。
これを強いられるのは結局は庶民だけだろう。
喫煙禁止、ゴミ分別、ヘルメット着用と・・
縛りを増やす実験か? 一体何がしたいのか?
ルールによる試行錯誤の禁止、ロジックの否定、愚民化だろう。
やがては文化というイレギュラーは発生せず、空虚な世界になる。
虚無化したそれをAIという「人を理解しない神」が支配するのか?
誰が何を判定するのだろうか?
人類は機能性というデジタルな社会構造のパーツになると。
アリ未満の生物になる、ルーチンワークに喜びを得ると。
例によっての逆説、ホワイトという名のブラックではないのか?
銀河鉄道999の「機械化惑星メーテル」になるのだろうか?
おしまい。
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