煙草とミルクコーヒー ~守護の熱 第九話
その次の水曜日の夕方、俺は約束通り、星見の丘に出向いた。桜が少し散り始めた頃だった。桜の花びらが、地面の半分を覆っている。
「お招きありがとう」
彼女は、暗くなり始めた頃、姿を見せた。
「大きなの、わざわざ、持ってきたんだ」
天体望遠鏡を見て、感心した様子で、笑った。
「凄いね」
「観てみますか?」
「いいの?」
「はい」
覗くや否や、彼女は、驚いたような声を上げた。少し、はしゃいだような、嬉しそうな感じに見える。
「綺麗・・・凄いね。こんな、いっぱいなんだ。星って。肉眼だと、目立つやつしか、見えてないってことね」
喜んで貰えて、良かった。彼女の様子を見て、嬉しくなった。
「この場所も、よく見つけたよね。そもそも、眺めがいいものねえ。知らなかったわ。こんな絶景スポット。近所に住んでるのにね」
「秘密にしてきましたから」
「へえ、いいの?教えちゃって」
「あ、まあ、・・・ええ・・・」
「あと、知ってるのは、あの褐色の髪の、君の親友ぐらいかな?」
「そうですね」
「あの子、外国に帰ったらしいね」
俺は頷いた。
それから、暫く、星の明るさと寿命の話や、この時期、よく見える星座の話をした。
「へえ、ほんと、詳しいんだね」
少しすると、彼女が身体を摩っている。少し、夜風が冷たい。
「・・・ねえ、コーヒー飲まない?」
「あ・・・うん、そうですね」
「じゃ、行こうか」
「え?ああ、自販機なら、俺、行ってきますよ」
「って言うか、ここ片付けたら、ダメ?」
・・・そうか。寒がってるから・・・。
「うち、来ない?コーヒー、淹れるから」
うちって、彼女の、って事かな?
「いこ」
ニッコリとされて、つい、俺は頷いた。何も言わずに、望遠鏡を分解し、片付け始めると、傍で、それをまた、興味深げに見ていた。
「すみません。遅くて」
「全然、大丈夫、ゆっくりやって」
こちらの様子に合わせて、彼女は、ゆっくりと立ち上がった。
「いいよ、焦んなくて、大事なものだから、それ、高いんでしょ?」
「まあ、・・・はい、すみません、お待たせしました」
「これ、持つね」
座っていた、小さな座布団を、彼女は、胸に抱えた。俺は、荷物を纏めて持った。二人で坂を下りた。
自販機の前を通り過ぎ、すぐの角を、左に曲がった。例の、来たことのない道だった。暫く行くと、行き止まりに、二階建てのアパートがあった。前に、彼女が説明してくれた通りだった。
一階の奥の部屋の前までいくと、ドアの横に小さなポストがあり、そこには、小さなローマ字で、レタリング風の文字が記されていた。
SAKIMURA
それが、彼女の名字に違いなかった。
「荷物、ここに置いて」
「はい、・・・お邪魔します」
「そこ、どうぞ、座って」
部屋に上がり、勧められたままに、小さな卓袱台の座布団に座った。その間にも、彼女は台所で動いていた。
「ミルク、入れてもいい?」
「あ、はい」
間もなく、シンプルなマグカップに、たっぷりと注がれた、ミルク入りのコーヒーが出てきた。
「どうぞ」
そう言うと、彼女も目の前に据わり、カップに口をつけた。
「いただきます」
「はあ、あったかい」
家でコーヒーを飲むなんて、習慣がなかった。思ったより、濃くもなく、優しい味だと思った。美味かった。
「あったまりますね」
「ごめんね、インスタントで」
「いえ、美味いです」
「そ、良かった」
暫く、黙ったまま、コーヒーを飲んだ。何か、言わなければと思った。
「なんか、あれね・・・これ、コーヒーっていうより、カフェオレ?とかいうの、みたいね」
「そうなんですか。俺、そういうの、解んなくて」
「なんか、色々あるわよね?カフェラテ?え?・・・まあ、私もね、解んないんだけど、美味しければ、いいわよねえ、何でも・・・」
そう言って、あはは、と笑った。笑う時に、少し、身体が後ろに仰け反るようにした。結構、反応というか、動きが、派手なんだな。座り方が、なんというか、女性だな、という感じがする。言い方が解らないが。正座が崩れた感じのやつ。長い脚を折り畳んでいる感じもする。母親や兄嫁と、居間で、座っている時とは、雰囲気が違っていた。
「ごめん、煙草、吸ってもいい?」
え?・・・すごい、驚いた。応えを聞く前に、彼女は、傍の棚から、灰皿と煙草とライターを取り出した。パッと一本取り出し、口に咥えて、火を点す。煙草の先が赤く滲んだ。
スーッと深く吸い込み、吐き出す時は、横を向く。途中、前髪を掻き上げる。一連の動きを繰り返した。横を向くのは、前にいる俺に、煙がかからないようにする為だと、何度か、見ていて解った。
「何?」
「あ、いや、家で、煙草吸う人がいないから・・・」
そういえば、そうだった。父が昔、吸っていたような気がするが、止めたのかもしれない。兄は、元々、吸わない筈だ。当然、母も兄嫁も吸わない。学校で、吸っている奴らがいるらしいが、その辺りもよく解らない。誘われたこともなかった。商業組には、そんな奴が多いとも聞いたが。
「ふーん、珍しいんだ」
「・・・そう、ですね」
「ん?」
顔を傾げて、こちらを覗き込むような仕草をした。いや、本当は、違うのかもしれない。距離は、卓袱台を挟んで、遠いのに、すごい、覗かれているような感じのする仕草に感じた。
「そうかあ。女の喫煙は、やなんでしょ?」
少し、笑いながら、彼女は言った。
「いや、その、見慣れなくて、すみません。変な感じだったのなら・・・」「ううん、普通だと思うよ。それで、いいのよ」
「いや、別に、いいと思います」
「そう?・・・煙草、興味ある?」
「いや・・・」
そして、そのまま、その、火のついた煙草を、こちらに差し出した。
ブラウスの長い腕・・・と言っても、俺と比べたら、俺の方が、少し、長いぐらいかもしれない・・・。
「ほら、吸ってみて」
「え?」
口元に、更に、彼女の手が伸びてきた。至近距離に煙草の煙と、少し甘い臭いが近づく。
「あ、いいです・・・」
「うふふ、ダメなのね」
「いや、なんか・・・」
「真面目さんだからね・・・あははは」
なんというのか。煙を吸う、煙草を飲む、ということだったのだな、とハッとする。俺は、それを施そうとする、その感じに囚われていた。悪いことだから、したくないとか、判断するよりも、なんとなく・・・雰囲気に飲まれそうになった。不思議だった。人から、こんな感じを受けたことは、これまでなかった。少なくとも、周囲の大人から、こういう雰囲気を見せられたことはない。
「飲んだら?それ」
「あ、はい・・・」
コーヒーの方、のことだった。冷めて、少し飲みやすくなっていた。
「私ね、こうやって、ミルク多めのコーヒーと煙草、好きなの。頭、空っぽにして、思いっきり、飲んで、吸って、繰り返して、ぼんやりするのね」
「はあ・・・」
「まあ、ストレス解消って、やつかな?」
こちらを、じっと、見てる。そして、うふふと笑った。
「ありがと。付き合ってもらっちゃったね」
「ああ、なんとなく、解ります。息抜きみたいなの」
「そうそう、一人の時、やるの」
「そうなんですか」
一人の時・・・、きっと、ヤクザのあの男が来てる時には、こんな感じもやらないのかな、と過った。ああ、そうだ。思い出した。仕事のことだ。
多分、俺なんかが言うのは違う、ということは、解ってる。でも、彼女なら、何も、こんなことしていなくったって良い筈だ。
「なんか、あるの、かな?」
「え、あ・・・」
「なんか、言いたそうだよね?」
なんなんだろう?・・・多分、この女性は、こういう感じなんだ。勘がいい、というのだろうか・・・?
俺自身、何かをする時も、よく考えて、自分で決めて、人の意向は、あまり、取り入れないでやってきてると思う。上手く言えないが、ある程度、人との中で、ここまでは入ってきてもいいとか、皆、ある筈だ。でも、そういうのが、少しずつ、高い壁みたいなのが、・・・上手く言えないが、角砂糖を積んだ所に、ゆっくりと、お湯をかけるようにして、崩される。そんな感じが浮かんでいた。あまり、人が心に入り込んでくるような感じは、好きじゃない筈なのだが・・・でも、いつのまにか、俺の周りの角砂糖は、崩されていっているような気がする。
「悩み相談、してあげるよ、なんか、ありそうだから・・・」
「え?」
「あの子のことかな?」
ああ、外れだ。
「好きじゃない子に迫られたら、困るよね」
ああ、それに関しては、当たってる。
「他に、好きな子がいるから」
・・・?・・・
「ふふふ、いいよ。ごめんね。君、かなり、ナイーブな感じだから、もう、やめたげるから。さて、飲んだかな?あんまり、遅いとあれじゃない?そろそろ、お家にお帰りなさい」
そう言うと、彼女は、立ち上がり、マグカップを流しに下げた。
色々、言われてる。そして、最後は、子ども扱いの命令口調だ。でも、なんか、俺としては、中途半端な感じがする・・・。
「あ、あの、・・・」
「何?」
「ご馳走様でした。コーヒー、美味かったです」
「甘くない、コーヒー牛乳ぐらいだよね、冷めると」
「それも、美味いかもしれないです・・・」
「そうねえ、うふふ、・・・じゃ、またね」
「あ、はい、・・・あの」
「何?」
「えーと・・・」
玄関まで、送り出しながら、上がり縁の柱に、腕組みをして寄りかかっている。
「ひょっとして」
「はい?」
「なんか、言おうとしてるのに、言いたいこと、全然、言えてないのかな?」
「・・・なんで、解るんですか?」
「うん、だって、何も言ってないでしょ。君」
「はい」
「言ってご覧なさいよ、何?」
その言葉に、機会を得た気になった。口をついて、言葉が出た。
「仕事、・・・辞めた方がいいと思います」
彼女は、少し、眉を上げて、驚いたような顔で、俺を見た。そして、また、ニッコリした。
「・・・あら、そうねえ、・・・まあ、考えとくね」
「是非、そうしてください。失礼します」
俺は、何故か、最敬礼に近い感じで、頭を下げていた。
「じゃあねえ、気を付けて」
そして、また、手を振る、彼女の顔を見て、もう一度、頭を下げた。
~つづく~
みとぎやの小説・連載中 「煙草とミルクコーヒー」~守護の熱 第九話
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次回「守護の目覚め①」お楽しみに。
このお話は、こちらのマガジンで纏め読みできます。
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