天才は脳が光る 要注意人物に気を付けよう (noteの探求)
インターネット上には天才の定義や解釈、説明がごまんとあります。でも、凡人に天才を解説することはできません。なぜなら、彼ら彼女ら自身は天才ではないので、所詮、憶測や推測でしか天才を語れないからです。
天才同士で話し合って天才の定義を決めた場合、その話には信憑性が出てきます。しかし、凡人が1万人話し合っても、凡人が1億人アンケートを取っても、天才のことは永久にわからないものです。
ですから、上記のような解説を読んでいますと滑稽でなりません。外野にいる凡人が何を語っても、天才にはなれません。
今回は天才について少しだけ書きます。それから、noteクリエイターの中の要注意人物についてまとめます。クリエイターの皆様が関わらない方がいいタイプを載せておきます。
天才は脳が光る
大学生時代の話です。大学時代の授業は、知的に私を満足させる内容ではありませんでした。それで、出席する授業を絞り、アルバイトをしながら、大量の本を買い、読み漁りました。読書からの学びの方が、私にとっては最善最良の脳の喜びになりました。本の分野は、主に自己啓発やビジネス、人生や生き方、名言・名句に関するものが多かったです。
良質でレベルの高い本を数百冊、あるいは数千冊読み終えた頃でしょうか。ある日突然、脳の中が光り始めたのです。上図のように、まるで閃いた時に電球が光る感じでした。そして、その回数は何万回、何億個、何兆回で、数時間にわたって連続で脳の中が光り続けました。
当時は、脳細胞の連携が連続で起きたと思っていました。なぜなら、本の知識と過去の経験が、もの凄い勢いで連結していくことを脳の中で実感できたからです。そして、それらは無数の点と点の情報が繋ぎ合わさるような感じでした。
しかし、今考えますと、もしかすると、それらは私の脳とアカシックレコードの情報が接続した瞬間だったのかもしれません。なぜなら、その後の私は快進撃を続けたからです。
とにかく物事の本質から外れることがなくなり、自分より30歳も年上の学者や経営者たちの矛盾点を直感ですぐにわかるようになったのです。もちろん、彼らに彼女らに対して直接指摘するようなことはしませんでした。しかし、その人たちの話を聞いていていつも呆れることが多かったです。
この脳が光る現象に関しては、その後20年以上他人から耳にすることはありませんでした。しかし、40代になって、尊敬する苫米地英人氏の書籍を読んでいて驚愕しました。というのも、彼は16歳の時にアメリカで雷に打たれたのですが、その時に脳が光ったというのです。彼は自他ともに認める天才ですが、もしかしたら彼と私は同類かもと思えました(笑)。
私が天才かどうかはともかくとして、私が多くの人々の幸せに貢献してきたことは間違いないです。特に、子どもたちや女性たちを。
私と関わる人の多くは元気になります。そして、より活動的になります。そして、人生を前向きに生きて前進できるようになります。教育者の端くれとしては、それなりのことをできたと思います。
なお、私の教え子たちの中には、偏差値20台や30台の劣等生が非常に多かったです。その中から偏差値70を超えるような優等生も出現しましたので、その後の彼ら彼女らは自信を持って人生を歩めたと思います。
私にとっての天才とは、
1つは、たくさんの人々を幸せにする人だと思います。
もしそうならば、無名の天才は日本人の中にも数多く存在するはずです。
また、2つ目、3つ目以降の天才の定義は、読者の皆様にお任せします。
100人いれば100人の定義があってもいいと思います。
参考までに、「天才は脳が光る」ことに関しては、誰もネットに書いていませんでした。下のグーグルの検索結果でも、1,200万件のヒットはあっても、一致するものは0件です。天才は、新しい言葉や文章を作る人でもあるかもしれませんね。noteの中でもそういう方々をたまに見かけます。
noteクリエイターの中の要注意人物
創造的・独創的・独自的な記事を書けない人
仕事でも遊びでも恋愛でも、あるいは家事や育児でも、何でもいい加減な人っていませんか。もちろん、noteの記事でも。もしnoteに取り組むならば、一生懸命「創造的・独創的・独自的な記事」を書きたいものです。それらは決して猿真似であってはならないのではないでしょうか。
過去に一度だけ書いたのですが、クリエイターとは「creator」のことです。そして、これは「create」の派生語です。
つまり、クリエイターとは、創造者や創作者のことです。ですから、何かを新たに創り出すことにこそ意味と価値があるのです。決して人真似(ひとまね)であってはならない訳です。ちなみに、クリエイターには、造物主や神の意味もあって極めて興味深いところです。
noteというところは、常に新しい何かを創り出す場所なのです。そして、それは「自分なりの何か」で問題ございません。何度も書きますが、自分自身の体験を書けば、それはもうすでに「自分なりの何か」なのです。
私は、自分自身の体験談を書ける人々を素晴らしいクリエイターだと思っています。そういう方々の記事に出会えると本当にうれしいです。また、心から尊敬します。私が見た限りでは、全体的に女性が多いようです。
ビューよりスキを重視している人
noteクリエイターにとって、自分の記事にスキが押されることは大切なことです。しかし、それが一番の目的になって、スキの方を重視するようになってはクリエイターとしてはおしまいです。
noteでより大切なことは、スキの数よりビューの数です。つまり、自分の記事がたくさんの人々に読まれることです。
そのスキの数は常に変動します。以下、その理由を述べます。
2022年現在の1日平均の脱落者は、推定2,000人から3,000人の間と考えられます。この数字の出し方は簡単です。
昨年度2021年4月から2022年3月までのnoteの年間登録者は、およそ110万人程度です。この内少なくとも99%が脱落することは、統計上わかっています。おそらく今年度も同程度の割合のクリエイターが挫折するはずです。つまり、1年後の来春には108.9万人前後の記事投稿が止まることになります。
この数字を365日で割りますと、約2,983人となります。
さらに、その1年前の残った1%の中からの脱落者を含ますと、3,000人を超えるかもしれません。
どうですか?
恐ろしい数字ですよね。
ということは、皆さんがどんなに新規の仲間を増やしてもどんなに相互スキの相手を見つけても、それらはいたちごっこに終わることになります。
その結果、近い将来自分がどうなるかをご想像できますか???
皆さん疲れ切ってしまって、スキを集めることへの執着心が無くなるのです。過去にその証明となるようなクリエイター様を数名見かけています。
かつては私よりスキを集めていた先輩クリエイター様たちが、今現在私よりずっとスキの数が少ないのです。
残念ですが、私もいずれそうなります。こんなことは、noteで相互スキ(スキ相互)を始めた当初からわかっていたことです。
ですから、スキよりビューの方がずっと大切ということは、自明の理です。
先程も書いたように、それは多くの方々に記事を読まれていることこそ、クリエイターの存在価値に直結するからなのです。
どんなにスキが少なくても、自分の記事がある程度読まれていれば、続ける動機にはなります。また、それさえ実感ができていれば、たやすく自分のnoteを中断したり放棄したりはできないものです。
そうは思いませんか?
最後に残るものに気が付いていない人
もし仮にnoteをやめてしまった時に、最後の残るものは何でしょうか。それは、記事と思い出だけです。ということは、有益な記事を書いてコメントのやりとりをしませんと、それらの楽しい思い出は少なくなります。
自分の最後を想定して行動しない人に限って、本来の目的を見失ってnoteをやめてしまうかもしれません。ですから、noteを書きながらコミュニケーションを楽しむことを絶対に忘れないことです。
ビューの数より有料記事の販売に興味のある人
極一部の方に見られることなのですが、投稿するほとんどの記事を有料化している人がいます。そして、そういう人に限って、無料記事は目も当てられないほど酷い内容です。それが有料記事になったからと言って、売れる可能性は1%もありません。
個人的には、そういう人と相互フォローをしたり相互スキをしたりすることをおすすめしません。同じ仲間と思われて得することは絶対にないです。私はそういう方と安易に相互フォローする方を残念に思います。
18歳以上になったら、フォロー相手はもっと慎重に選んだ方がいいですよ。大の大人が見境なく、相手を選ばずフォローしているのを見かけますと、日本の未来を憂いてしまいます。
<重要>(フォロー)>>>(フォロワー)
この話は信憑性97%以上です。私もこのタイプのクリエイターを何度も信じてきました。しかし、97%以上の割合で裏切られてきました。ですから、自信を持って言えます。
自分が傷つきたくなかったら、このタイプのフォローをやめましょう。
これに関しては何度も書きます。
極一部ですが、いまだに人の意見に耳を貸さない人がいるようです。
フォロー数が異常に多い人。
あるいは、
フォロー数がフォロワー数より異常に多い人。
このタイプのクリエイターをむやみにフォローしてはいけません。
さもないと、あとで自分が苦しんだり泣いたりします。
気が多いタイプは、すぐにあなたのことなど忘れます。
そして、次から次へと興味の対象が移っていきます。
最近になって、私の大好きな女性クリエイターの方が、
「最近スキが集まらない。スキが減った」
と嘆いていました。
しかし、その方のフォロー相手を確認しますと、
(フォロー)>>>(フォロワー)
のタイプが、圧倒的に多いのです。
私の分析力など高が知れていますが、noteの中では上の方にいるようです。
なぜなら、よくお褒めの言葉をいただくからです。
少なくとも10回は褒められています。
ですから、上記に該当する方は、絶対にご一考をお願いいたします。
その方が、noteを使用していて幸せになりやすいです。
ここからは余談ですが、例えば、
フォロー2,000人、フォロワー1,000人の人がいたとします。その時に、このクリエイターの方は、悲しくないのでしょうか?普通の人ならば、わかりますよね。この異常さを。この数字の場合、1,000人に拒絶されていることを意味します。私ならばnoteをやめたくなる数字です。
そして、不思議なことに、このタイプの人は非常に傷つきやすいです。これも確認済みです。なぜなら、彼ら彼女らはこの種の記事を書くたびに私に対するスキをやめて行きました。これに関しては、覚えているだけでも数人のクリエイターの方々がいました。意外と私の記事をしっかりと読んでいるものですね。
それにも関わらず、2,000対1,000の数字には、全く傷つかないのです。人間って、面白いですねぇ。いろいろなタイプの人々がいて。
権威に弱い人
この場合の権威とは、フォロー数やフォロワー数のことです。この数字が大きい人がnoteでは偉い人、強い人だと思っているい人がいます。しかしですねぇ。相互フォロー2万人で、スキの数が0~20の人に、権威などありませんよ。正直なところ、ただのウマシカです。フォロー2万人の労力は桁違いに大変です。それでも、記事が大量に売れているのならば話は別です。
こういうタイプは、選挙で何も考えずに投票する人に多いかもしれませんねぇ。私は選挙には行きません。時間の無駄です。ちなみに、私の地元の選挙では当選する人がいつも決まっています。最初から出来レースなのです。それに、典型的な悪人ですよ。若い人の投票率が異常に低いですが、怠慢というよりネットで情報を集めて真実を知っているのでしょう。
権威を利用する人
フォロー数やフォロワー数が多い人に近づいて行ってすり寄るクリエイターの方がいますが、大丈夫なのでしょうか。私から見たらただの烏合の衆にしか思えません。なぜなら、大した活動をしていないからです。それに、偉そうなことを言う割には全く記事が売れていないです。権威を利用して自分の権威を高めようとする人。このタイプも要注意です。
その他
他にも書きたいことがあったのですが、時間がなくなってしまいました。
見出しだけ書いておいて、続きは別の機会に書きます。
自己表現を楽しんでいない人
投稿回数よりコミュケーションを重視していない人
レベルが低い人
嫉妬する人
記事を読まずにコメントしてくる人
距離感がおかしい人
いつの間にか友人や親友になっている人
自分の個人的感情をぶつけてくる人
自分の弱みに付け込んでくる人
最初から異様に馴れ馴れしい人
コメントが礼儀知らずな人
挨拶もろくにできない人
今回の話はここまでです。
書けなかった見出しはまた別の機会に書きます。
最後までご覧いただきありがとうございました。
また、いつもスキとコメントありがとうございます。
なお、今日の文字数は5,417文字でした。