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私の本棚 ~写真史・写真論関連 Vol.3~

写真史に興味を持ったきっかけは、ぼんやりとしか覚えていない。

ただ、もっともとっつきやすそうなアートのように感じたことは覚えている。

芸術に関わっている人からすると、なんとも覚悟のない動機である。

周りには、音楽、絵画、演劇、映画と通とも言える同級生や先輩が多数おり、そこに参加するのは大変だった。こうした活動も、経験の蓄積がものをいうのだなと思った。絵画や音楽はやはり実作をしている人には、かなわないし、演劇・映画に関しては、一つ一つが長いので経験の蓄積に時間がかかる。その点、写真は実作についても、鑑賞経験についても、そこまで差がないのかなと思ったことも理由としてある。

自分はでも実作者としては立てない。当時は一眼レフを買って写真を撮るのが、実作者としての姿勢であった。私はといえば、高価な機材は買えないし、撮影したい題材もない。そういう腰の引けた人間にとって、それでも興味を満たしたいと思ったときに都合のいい対象は、歴史だった。

歴史なら、自分の関心や方法とも、一応合致する。あらゆるものに歴史はあるのだから、あらゆる事柄が歴史の勉強といっても差し支えなく、一石二鳥ではある。そもそも、余計なお金がなかった。写真史の本や資料なら、歩いて都内の図書館や資料館を回ればいい。そのため、鑑賞者に徹し、評価よりも整理に血道をあげるようになったというわけである。

⑦重森弘淹『広告写真を考える』誠文堂新光社 1964

ずいぶん古い本ダナ、と言われてしまいそうな気がしますが、実際古い本です。この本の冒頭では東松照明や奈良原一高を新しい潮流として、「映像写真」なる言葉を引き合いに出しています。先日、奈良原さんは大家として亡くなられたという印象がありますので、ずいぶん古い本ではあります、ハイ。

しかし、古いからといって本質を捉えていないわけではないと思います。私たちが、生れながらにして広告の映像言語なるものに慣れてしまう前、広告が広告として離陸しようとしていたときに、その映像言語をめぐって、様々な論考が書かれ、分析されたもののうちの最良の一冊が、この『広告写真を考える』だと思われます。

ただ、広告写真を論じるまでには長い助走があり、映像言語、フォトモンタージュ、宣伝美術といった前提を読む必要があります。その上で、広告写真の各要素を論じています。写真の課題、人物表現の問題、心理主義的傾向など、最近ではあまり目にしないような堅い言葉もたくさんあります。ただ、図版がこれでもかというほど乗っていて、その解説を読むのは愉しいです。

⑧今橋映子『フォト・リテラシー』中央公論新社 2008

「フォト・リテラシー」という言葉に惹かれて買ってみました。学んだ点は三つ。

一つは、写真を、現実を素材にした創作物として読む態度。写真には、現実を透明に映し出すものという思い込みがある。報道写真を代表するアンリ・カルティエ=ブレッソンのトリミングや、有名なロベール・ドアノーの「市庁舎前のキス」の演出などを例にして、ドキュメンタリー・フォトの創作性を浮き彫りにしている。

二つは、写真を、ある理念を代理表象してしまう効果がある物として読む態度。これは、国境を超える人間賛歌を写真によって実現しようとしたエドワード・スタイケンの「ザ ファミリー・オブ・マン」展の主張である「ヒューマニズム」が、アメリカ的普遍主義の代理表象としても読めることを示すことで、教示される。

三つは、写真に映っていないものを読もうとする態度。一つめの論点、二つ目の論点を経て、私たちはすべての写真が虚構かもしれないというニヒリズムに陥るかもしれない。それでもなお写真が証言することのできる可能性を、第三者が介在しない暴力の現場を想像できるような写真撮影の実践を示すことで、伝えようとしている。

大きくまとめると、この三点に私は本書の主旨を集約できるような気がした。

⑨ジェイコブ・リース『向こう半分の人々の暮らし』創元社 2018

19世紀末アメリカの記録写真家として名が知られているジェイコブ・リースの「記録写真」に基づいた、ニューヨークの下層社会のルポルタージュ。厳密に言うと、写真集ではないし、リース自身が写真家かどうかという問題もあるので、この本棚に入れていいのか迷った。

しかし、ジェイコブ・リースというと、初めてフラッシュを使って、路上での撮影を行った人という写真史上の評価があって、それら写真がこの『向こう半分の人々の暮らし』に使われているので、写真史的資料として貴重だろうと思って、今回紹介することにした。

本文は、私も飛び飛びで興味あるところだけ読むという感じなんだけれども、解説が充実していていい。そこに、『ギャング・オブ・ニューヨーク』で登場する「ファイブ・ポインツ」の話が引き合いに出されていて、なんとも興味深い。

映画の中の「ファイブ・ポインツ」もかなり悲惨な集合住宅が並んでいるが、その半世紀後、リースが訪れた「ファイブ・ポインツ」のマルベリー通りの細道「バンディッツ・ルースト」はいまだにスラムだったことになんともやりきれない感じがした。

今、心を落ち着けながらチャールズ・ディケンズの『オリバー・ツイスト』を読んでいるが、そのディケンズも1842年に「ファイブ・ポインツ」を訪れて、その惨状に嘆息している。なんだろう、私の関心が様々に合流した場所が「ファイブ・ポインツ」ということなのか。だとしたら、私は何だ。

今回は、この3冊を紹介しました。



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