奥多摩行 ~雑記・雑感 36~
起伏の多い東京都
東京都には山もあるし島もある。全体としてみると、東京都は起伏に富んだ地域である。
最近は「港区女子」などというイメージも作られているが、一口に港区と言っても広い。六本木やタワマン区域だけが港区ではない。品川駅は港区にあるし、目黒駅などは品川区にある。東京都庭園美術館も港区だし、根津美術館も港区だし、いちょう並木は港区である。そのくせ神宮球場は港区ではない。
「港区女子」があるなら「奥多摩女子」もあっていい。御年80歳のシティガール。あるいは、奥多摩湖にローリングにいく爆走女子。しかし、東京在住といっても、武蔵五日市や青梅までは目が届いても、その先まで目を光らせている人は、それほど多くあるまい。山手線ゲームはできても、青梅線ゲームはほとんどの場合、福生!羽村!青梅!で終わってしまうのが常である。
奥多摩との出会い
ところで奥多摩には、どこか人の心を燃え立たせる何かがある。電車が青梅を過ぎると、急に不安になっていく。どこへ連れていかれるのだろう。あの奥多摩駅の階段に掲示してある開業昭和19年の木の板を見ると、時空を超えて戦中へと連れていかれてしまうのではないかという思いに駆られる。
私が奥多摩への郷愁に駆られたのは、つげ義春の『新版 貧困旅行記』の「奥多摩貧困行」を読んでからである。
つくばの科学万博ではなく奥多摩へ。
私は希代のクソゲー選択者で、ファミコンソフトを購入するに際して、ドラゴンクエストではなくハイドライドを買い、ゼルダの伝説ではなく謎の村雨城を買い、ファミリースタジアムではなく燃えろプロ野球を買い、ドルアーガの塔ではなくワープマンを買った。
つげ義春もまた、こうした選択を敢えてしてしまう人、という印象が強まり、その心を掴みに奥多摩へと出かけることが増えた。
とはいっても宿泊はしない。朝の通勤時間が終わったころに、おもむろに奥多摩に向かい、昼前に到着し、日原鍾乳洞に向かう。この鍾乳洞に行くことが第一の目的なのだ。
バスが、狭い道を抜け、鍾乳洞の手前まで進んでいく。道路の脇には、家がちらほら。結構、長い道。到着して、売店や食堂があり、鍾乳洞は階段の下にある。
長い洞窟ではないが、修験道の聖地でもあり、人が少ないと大変に落ち着く空間である。
30分くらい洞窟で心を落ち着かせた後、温泉に行く。
第二の目的は温泉なのだ。
駅まで戻って、今度は逆方向に歩いて行くと、「奥多摩温泉 もえぎの湯」がある。いわゆるかけ流しではなく、沸かして使っている温泉だが、源泉ではある。ほどよく心地よい温泉で、入った後に軽く食事をして帰る。
ただ、これだけ。
何回か、振られて傷心した後輩を、ここに連れて行った。すると皆元気を出して帰っていく。私もいい気持ちになる。洞窟の奥に「縁結び観音」というのがあるので、それに当てられるのかもしれない。
つげ義春と正助さん
ただ、最近はどうだろう。私がよく行っていた2000年代はまだ綺麗だった温泉も、今や老朽化しているのかもしれない。最近は、ほとんど行けていないから、現状がわからない。2000年代前半、東京に一人暮らししている時代の、ちょっとした気分転換だった。
ちなみにつげ義春の『新版 貧困旅行記』には、古い時代の旅行から新しい時代の旅行まで、様々な時期の記録が掲載されている。
私はその中でも、長男坊の「正助」さんが登場する旅行の方が好きだ。
投げやりな書き方をするつげ義春ではあるが、「正助」さんの一挙一動について、突き放しながらも、気持ちの中では情愛を注いでいて、猛烈に共感できる。
足が痛いと「正助」さんが訴えるものの、長い道のりをただ歩いたあげく、泊まれるか泊まれぬかもわからないような宿屋にたどり着き、細君が泊まれるかどうか交渉しているあいだ、
という。
ただのダメな人だが、人嫌いのくせに寂しがり屋なので、「正助」さんと切っても切り離せないのだろう。
つげ義春のエッセイには、スペクタクルも知恵もサスペンスも冒険もない。
人に読ませるために書いていながら、人に見せる工夫はことさらに行わない。
そんな平坦な文章の中に突如として現れるのは、絶望的な寂しさの感覚と、息子を見る時の情愛の深さ、の二つである。
それがエッセイに現れるたび、公園に行きたいとせがむ上の子を、自然も公園みたいなものだからと説得して、「湧水集め」に連れて行き、ただの山で暇をつぶしていたあの頃を思い出すのだ。
公園に行くと、人と触れ合わなければならないので、面倒くさい。しかも、勝手に人の子どもの写真をとる爺さんもいて、それがまた人のよさそうな雰囲気を偽装しているものだから、何にも言えない。だから、松本にいる時は、親子で天然水を集めていた。飲むのは私だけだが。
気持ちのリセット、情愛の確認
そういうわけで、奥多摩の温泉「もえぎの湯」は、スペックとしてはなんてことのない普通の温泉施設だ。
見ようによっては、その辺のスーパー温泉でもいいじゃないと言われそうな場所である。
それでも、私の気分転換のための重要な温泉であり、つげ義春氏とご子息の「正助」さんの不思議な情愛のことを思い出す温泉でもある。気持ちのリセットと情愛の確認。「奥多摩温泉 もえぎの湯」は私にとって、そういう場所だ。
上の子が、六年生になって「学校に行きたくない」「塾に行きたくない」とべそをかき始めたら、久しぶりに奥多摩の日原鍾乳洞と「もえぎの湯」につれていってあげようと思う。