漫画みたいな毎日。「己れを愛するが如く、汝の隣人を愛せよ。」前編。
これまで、一軒家やマンションなどの集合住宅に暮らしてきたが、周囲の方々とも特にトラブルなく平穏無事であった。
小さな子どもがいると、思わぬところで、相手が不快に思うこともあるので、その辺りはなるべく気をつけて暮らしてきたつもりだった・・・。
縁あって、6年ほど前、私たち家族は、それまでのマンション暮らしから、今の一軒家へと引っ越してきた。長男が年長組になった秋のことだった。
長男がかねてから希望していた2階建て、庭のある、自然が多い環境。
その希望にピッタリの物件を紹介していただいたのだ。
大家さんのご厚意で「古いので、好きに手を入れて暮らしやすいようにしてくださいね。」とも言って頂き、家族皆、よい家に引っ越せたと喜んでいた。
新居は、私たちが引っ越してくるまでは、大家さんの息子さんが住んでいたが、急な転勤で空き家となったのだそうだ。
急な転勤とのことで、庭の畑もそのままになっていた。
既に11月で北海道ではいつ霜が降りてもおかしくない季節であった。
大家さんに「息子たちが畑の野菜も採って食べていいですよ。」と言われ、私たちは、畑に霜が降りる前にと、喜んで大根を抜いたのだった。
これが、トラブルの始まりになるとは思いもしなかった。
大家さんの息子さん一家が住む前は、大家さんのお母さんが住んでおり、お母さんは、その後、ご高齢になりグループホームに移られたのだそうだ。
その高齢のお母さんがひとり暮らしをしている際に、ゴミ出しなどでお世話になっていたのが隣の方。それが縁で、庭の一部を畑として貸すことになったそうで、それが、私たちの引っ越した時にも続いていた。
大家さんからは、「私の母がお世話になったこともあり、庭の一部を畑として貸している、ということを了解して頂けたら助かります。」と契約時に言われ、私たちも快諾した。
しかし、大家さんは、お隣の方に借している庭の部分を勘違いしたまま、私たちに説明していたのだ。
・・・私たちが抜いてしまった大根は、隣人が育てたものだった。
その日の夜、大家さんに苦情の電話が入り、私たちにも連絡があり、私たちは、引っ越し蕎麦を片手に謝罪にうかがったのだった。
その後、お隣の方が畑をやっている時には、子どもたちが入らないよう、大切に育てているものだから、私たちも大切にしてあげようね、と話をしてきた。実際、今に至るまで、畑に入ったり、野菜などに触れたことは一切なかった。
それでも、隣人は、子どもたちが庭に出るだけで、迷惑そうな表情を浮かべ、「入らないで!」ときつい口調でいい、長男が「入らないから大丈夫だよ。」と言っても、「大丈夫かどうか決めるのは私だから!」と言われたと、驚きと共に私に報告してきたこともあった。
私や夫がいるときには、子どもたちに向かって何か言うことはないのだが、居ないときに、どうにも理不尽なことを言うようだった。
気になることがあれば、私や夫に言ってくれればいい。子どもたちが不必要に理不尽なことを言われるのは、本意でない。そう思い、子どもたちが庭に出る時には、私は必ず一緒に庭に出て、過ごすようにしていた。
長男が1年生のある日、庭から帰ってくると、何やら様子が変だ。「どうしたの?」と尋ねると、「〇〇さんに、〈学校に行けばいいのに!〉と言われた。〈友達だってたくさんできるでしょ!〉と言われた。」と。私の不信感は溢れんばかりになり、ちょうど焼き上がったケーキを袋に詰め、隣人を尋ねたのだ。
「ケーキを焼いたので、よかったら。」と差し出すも、何か言いたそうな雰囲気が漂っていた。「何か、気になることがあったら、いつでもおっしゃってくださいね。(一応、笑顔。)」すると、「じゃあ、」と堰を切ったように、話し始めた。
「学校に行かないんですか?ずっと行かないつもりなんですか?」
何言ってるんだろう?この人は?
数秒、頭の中で考える。
どうにも、〈学校に行っていない=家にずっといる=暇=いたずらをする。〉という図式が描かれていたようだった。
私は、息子たちが、フリースクール(のような場所)に行っていること、幼稚園にも行っていて、平日は9時から15時くらいまで、不在であることを伝えた。
「フリースクールなんて、今どきですね。」と、嫌味らしきものを言われたが、そんなことはどうでも良かった。
隣人の庭に入って、シャベルをいじったのではないか、など、在りもしなことを言うので、子どもたちが庭に出ている時は、私も傍で見ており、その様な事実はないということ、畑に関しても大切に育てているので、触れないように繰り返し話していると伝えた。
ふぅ~ん、みたいな腑に落ちない様子だったが、それもどうでも良かった。笑顔で挨拶し、その場を立ち去ったが、私の中では、ぐるぐるしていた。
人の家の教育に口出しするなんて、大きなお世話以外の何物でもない。
学校に行けば友達できるでしょ、という発言も、許せん!と思っていた。
それでも、実際に子どもたちの様子を見てもらい、お互いに気持ちよく生活していくうちに、いろいろな誤解も解けていくだろうと、根拠もなく考えていた。
それから6年。
どんなに嫌でも挨拶には関係ないからね、と子どもたちにも話しをし、挨拶を交わすようにしているが、隣人は態度を軟化させることなく、子どもたちが挨拶をしても無視をしたり、顔を合わせるだけで、あからさまに嫌そうにしている。
毎年、変わらず我が家の敷地内の畑に、あたりまえの様に出入りし、子どもたちが居ても構わず草刈り機で石を飛ばしたりする。それでも、一人暮らしの隣人が、畑を拠り所にしているのかもしれない、となるべくそっとしておくことにしていた。
雪の季節に子どもたちが庭に作った雪像が溶けないようにとブルーシートを掛けていたことがあった。そのシートを掛けていた部分は春になると、隣人が畑にしている部分だったが今は雪の山しかない。
玄関チャイムがなった。隣人だ。
何かと思ったら、「あのシートは、あのままにするんですか」と。
「?」である。
真冬の北海道は、雪の季節である。土は何処にも見えていない。
しかし、どうやら、春になってもあのままだと、自分の畑が使えない、邪魔じゃないか、ということのようだった。
「片付けますよ~。(いつかわからないけど、そのうち。→心の声。)」とだけ応え、お引取り願った。謝る部分も見当たらず、意味がわからなかった。
それでも考える。
最大限考える。
何が、隣人をそうまで拘らせるのかを。
そこにあると思われたのは、「自分が大家さんから直接借りる許可を得ている」という既得権への拘りに思えた。
つづく。