漫画みたいな毎日。「我が家の節分の定説。」
本日は、節分。
近年では、「恵方巻」の宣伝が著しく、お寿司好きの我が家の子どもたちが、それに便乗して「恵方巻!恵方巻!」と盛り上がるようになり、いつの間にか行事食が増えてしまった。
今日、スーパーに寄ったところ、恵方巻を売っているお店に行列ができていて、二男と驚いてしまった。恵方巻は関西発祥だが、すっかり北の大地でも市民権を得ているようだ。スゴイな。
恵方巻き人気に驚きつつ、やはり、節分、といえば、鬼。
節分、といえば、豆まき。
東京に暮らして居たときは、豆まきといえば、炒り大豆、と思っていたので、北海道に移住して、幼稚園の豆まきで落花生をまいていたときは、それなりに衝撃を受けた覚えがある。
このような説明も見つけた。ふむふむと思いつつ、幼稚園や保育園など、小さい子どもが集う場所であれば、大豆よりも落花生の方が誤飲などの危険性も少ないかもしれないなぁと思う。高齢者の方の集う場もそうかもしれない。しかし、落花生のアレルギーである我が家の夫は、落花生を食べたら、命の危機だと言われたこともある。何が良いとは一概には言えないことだらけなのだ。世の中は。
節分がやってくると思い出すことがある。
長男を妊娠中の節分に、恐ろしい鬼に出くわしたことを。
当時は神奈川県で暮らしていた私と夫が、友人夫婦の誘いで茨城に旅をした時のこと。長男は4月産まれなので、当時妊娠八ヶ月だった。茨城の名所を案内してもらい、筑波山神社に行ったのだ。丁度、その日は節分。神社では、年男・年女の力士や著名人が、餅まきをしていた。
「年越祭」というそうで、投げられたお餅の中には、紙が入っており、生活家電などが当たることもあるとか!知らなかった!
餅まきの場にできる人集り。離れて見ていると、和やかな雰囲気に感じられた。私は、軽い気持ちで、「ちょっと参加してくる~!」とその和に入って行った。
そもそも、それが間違いだった。
周囲の人々は、我先に!と血相を変えて撒かれた餅を手にしようとしている。大きなお腹を抱えた私の存在など、目に入るはずもなく、前からも、横からも、どんどん体当たりされる。
私の目の前に餅が落ちてきたその時、後ろから物凄い勢いで押され、
お腹が大きかった私は、文字通り「命の危険」を感じた。
餅を手にしようと争う人々は、周囲に配慮するなどの様子はまったく見られず、餅しか見ていない。目が血走っている。
お、鬼がおる。
昔の絵に描かれている地獄絵図の鬼を想起した。
私は怖くなって、一目散にその和から逃げ出したのだった。
夫も外から観ていて、「危なかったね・・・。」と。
「・・・わかった。餅まきは、こうやって人の心の中の鬼をあぶり出すための行事なんだ。」と夫。
相違ない。
私は深く頷いた。
それ以降、鬼とは、外からやってくるものではなく、節分とは、「自分の中の鬼」を祓い出す為の行事であるという説が色濃く根付いた我が家。
末娘にも「節分」について聞かれたので、「自分の中の嫌な気持ちや、意地悪な気持ちを外に追い出す呪文を唱える日だよ~。」と、説明をした。すると、「私の中の鬼は~外♪福は~内♪」と可愛らしく唱える練習をしている。
末娘の中に鬼が居たとしてもニコニコした可愛い小鬼がいるくらいだろう。
しかし、節分において、我が家のもうひとつの定説がある。
「お母さんの方が鬼より怖いから、大丈夫!」
何が大丈夫なのかわからないけれど、あなたたちが大丈夫と思えるなら、それが何よりである。
さて、恵方を向いて太巻き寿司を食べ、自分の中の鬼を追い払うことにしよう。
しかし、どんなに祓っても、鬼嫁は退散する気配は感じられない。