学校に行かないという選択。「一念は、岩をも通し、味方をつくる。」
2月最初の水曜日、長男が中学校に入学してから初めての学校長との面談が行われた。
長男は現在、いわゆる「不登校」と言われる状況で、中学校には月に一度ほど出向き、担任の先生と面談し、日頃の生活などの報告をしたり、学校で配布されるプリントをいただいたり、ということをしている。
順当に行けば、4月からは、中学2年生に進級する、ということになる。
1月の下旬、担任の先生から電話がかかってきた。「通常であれば、4月から2年生に進級ということになるのですが、登校日数が少ないので、もし1年生でもう一度学び直したいのであれば、そういう選択もできますし、2年生に進級することもできます。」とのことだった。
「早く2年生の教科書もらいたいんだけど。」
長男は、1年生の教科書は自分で勉強し終わっているようで、次の年度の教科書で勉強を進めたいのだ。
その旨を先生にお伝えすると、「そうですよねぇ。そうするとですね、進級の為に校長と簡単な面談をしていただくことになるんです。」ということで、学校長との面談の日程が決まった。
面倒臭いと言いつつも、〈進級して教科書をもらいたい〉という目的がある長男は、嫌がらず面談に向かう。夫も仕事の都合がついたので、一緒に来てもらう。〈お父さんは御守りの役割〉である。
こういった面談に付き添うのは、母親が役割を担うことが多いのではないだろうか。しかし、父親もできることなら、面談の場に居た方がいいと私は考えている。特に、組織の上の方に位置する方々とお会いするときは。
今はどのような組織の在り方かわからないが、私もある時期、公務員として仕事をしていた。その時代は、組織の中で、まだまだ男性の存在が敬われている時代だった。
「そこに居てくれているだけでいいから。」といつも夫に同行をお願いする。母親だけの意向でもなく、父親だけの意向でもなく、本人の意志を元に、家庭内で話し合いがされている、ということを学校側に感じてもらうという意味でも、父親の同行には意味があると私は思っている。
さて、校長先生との面談だ。
一番の懸念事項は、「長男が、歯に衣着せぬ、あまりにも失礼な物言いをするのではないか。」ということ。
相手が誰であろうと、自分を尊重する態度を感じない場合は、噛みつく可能性が少なくない。こう書くと野犬のようであるが、最近では、長男も大きくなったので、苦手なご近所さんの対応も大人な対応をして受け流すということも出来る様になっているので、懸念するまでもないかもしれ・・・ない。
「余計なことは、言わなくていいからね~。」とさり気なくいっておいたけれど、何が余計かなんて、誰にもわからない。つい釘を刺してしまう、この一言こそが、余計な一言なのかも知れない。
担任の先生と事前に面談し、その後に初めてお会いする校長先生との面談。
校長室に案内されて、向かい合わせで席に着く。
「お時間をとっていただき、ありがとうございます。」とお礼をお伝えし、面談が始まる。校長先生の第一声、「今日は、Kさんに聞きたいことがふたつあります。」から面談が始まった。
え?そうか、そうだよね。本人の意思確認をしたいわけだから、親の話よりも、本人と話したい。それはそうだな・・・と思いつつ、〈キツイ物言いをしませんように。〉とだけ願う。言い方は大事。同じ内容を伝える場合でも、言い方ひとつで風向きは変わるものだ。敵は少ない方がいいし、味方はひとりでも多い方がいい場合もあるよ、長男。
校長先生の発言に、すぐさま長男が応答する。
「え?2つだけなの?」
声変わりして、めっきり大人びて来た声で、敬語でなく、タメ口なのね。
近所のおばあちゃんたちには、しっかりと敬語で対応しているのを、母は何度も見聞きして知っている。彼が敬語を使う基準が未だわからない母である。ちなみに、私は距離を取りたい時にも敬語を使うことがある。夫に対して怒っているときも敬語になる。これは余談。
「まず、Kさんが、日々どのような生活をしているか、ということを教えてください。」
「毎日やってること?英語の勉強したり、学校でもらったプリントやったり、山とか森にいったりとか。高校からオーストラリアに行きたいから、もっと英語をやらなくちゃいけないし。」
「ほぅ。Kさんは高校からオーストラリアの学校に行きたいと思っているということですね?何故、オーストラリアなんですか?」
「日本とは違う生態系で、将来生き物の研究をしたいから、オーストラリアの高校にいって、自然のことを勉強したりしたい。高校も生物を詳しくやっている学校があれば、そこに行きたい。それで大学とかにいったら、生き物のことを研究したい。まだ何を研究するかまでは、決めてないけど。」
「なるほど。高校は、オンラインだったり通信式の学校があるとかですか?毎日、通う形態を考えているんですか?」
「毎日、学校にいく感じかな。」
「私はもう歳をとっているから、つい、今、現在学校に来ていない状態で、毎日学校に行くこと、しかも海外で言葉も文化も違う人達に囲まれて生活することに、ドキドキしたり、緊張しちゃうんじゃないかとか考えてしまうんですけど、Kさんはそういうことは無いんですか?」
「無いよ。むしろ、そういうことが楽しみだと思ってる。」
多くの方が思い浮かべる不登校のイメージというものがあるのだとしたら、生活が不規則になりがち、だとか、人とのコミュニケーションが取れないとか、ネガティブなものが多いのだろう。
我が家の子どもたちも含め、不登校で括られている子どもたちの不登校の形も、子どもたちの様子も、それぞれなので、必ずしもこのイメージが当てはまる訳ではないと思っている。
ちなみに、長男はいわゆるTVゲームやスマホが嫌いで、森や山の散策の方が好きだし、早寝早起きを自分で心掛けている。理由は、「時間が勿体ないから」だそうだ。食べるものにも、自分で気をつけているのは、「体調を崩すとやりたいことがやれない」ということのようだ。
「勉強は楽しいですか?」
「う~ん、楽しいかって言われたら、楽しいわけではないけど、自分の目的を叶えるには、英語も数学も必要だし、海外にいったら、国語、漢字のことだって、地理だって、日本の歴史のことだって、聞かれる可能性があるから、答えられるように勉強しておく必要があるから、やる。」
自発的な学びとは何か?
私は子どもたちと暮らしながらいつも考え感じている。
学びとは、本来、誰かに強制されることではなく、自分の「やりたい」という気持ちに伴う行動なのだと、長男の姿勢が体現している。
私や夫からみても、長男はストイックだ。
我が家の「Mr.ストイック」なのである。
自分で決めたことは、腹筋でも、腕立てでも、トランペットの練習でも、毎日続けるし、嫌でもやりたいことを目指す中で必要であれば、疲れてブツブツと文句を言うこともあるが、決して放り出すことなく、それにも取り組む。その姿勢は称賛に値すると思っている。
「では、Kさんは、自分の夢に向かってこれからも勉強していくということですね。2年生になったら学校に登校しようと考えていますか?」
「いや、それは無い。」
即答。
私も、夫も、笑うしかない。
「今日、お話しして、Kさんの目標や夢がよくわかりました。それに向けて自分で勉強していることも。私は、あなたの夢が叶うように応援したいと思います。生徒の要望を聞くのも学校の役割です。全部が叶えられるわけではありませんが、必要があれば、担任の先生を通じてでいいので、要望を知らせてください。義務教育というのは、あなたにとっては教育を受ける権利なのですから、最大限学校を活用して、あなたの夢を叶えてください!」
校長先生は最後にこうおっしゃってくださった。
本人の気持ちに寄り添って話を聞いてくださっただけでもありがたいことなのに、こうして「応援しています!」と長男の味方になってくれたことは、あたりまえではなく、とてもとてもありがたいことだと思うのだ。
長男は、一般の教室よりも豪華な設えの校長室が気に入った様子だった。
「本棚も、テーブルもなんか豪華だったよねぇ。暖房も効いてて暖かったし!また遊びにくるか!」と。
夫は、長男と校長先生の会話を聞いて、「本気なんだね。もう、親としては後押するしかないよねぇ。」としみじみと言っていた。今までも、留学したがっている、と思っていはいたけれど、会話の様子で本人の気持ちを強く感じたということなのだと思う。
親にできることは、子どもの育ちを邪魔せず、必要なタイミングで、子どもの後押しをすることだけ。
そして面談後、急に、「テストに慣れる為に、定期テストだけ学校に受けに行く。」と言い出した。
以前、知人から、「テスト慣れしておいたほうがいい」とアドバイスを受けたことが頭にあったらしい。
不登校の生徒が定期テストを受けても、評価は5段階の「1」。
年度始めに担任の先生からそのような説明を受けたことがある。中学校の評価は、「日常の授業態度」が多くを占めており、とにかく、学校に毎日登校することが評価につながる。だから、例え、定期テストで5教科満点を取ろうとも、評価は「1」もしくは良くても「2」なのだそうだ。とにかくなんでもいいから、学校に通っているということは大事と捉えているということだ。
「別に、評価して欲しくてテスト受けるわけじゃないから。」
そう、彼の目的は、〈時間範囲内で行われるテストに慣れること〉であり、〈自分は現時点で、どのくらい理解しているか〉を知ること。「校長先生も、最大限学校を活用してっていってたしね。」と長男。自分の目的の為には、あれだけ嫌がっていた制服かジャージを着て学校に行くとことになるのが、それもやむを得ないと言う。
まったく知らないクラスメイトの中に入ってテストを受けるの緊張しないの?と思うけれど、誰に似たのか、心臓に毛が生えているらしく、「知らないなら、全員知らないくらいの方が気が楽。」と言う。「まぁ、模試とかにいったら、周りは全員しらない人だらけだもんね。」と私。
むしろ、周囲の生徒たちの方が、今まで一度も教室に登校したことがない長男がテストを受けにやってきて、「誰?」と驚き、動揺してしまうのではないだろうか・・・と、そちらの方が心配である。もしそうなったらスミマセン、皆さん。
給食は止めているので、お弁当を持参することになる。「その時だけは、校長室で食べようかな。学校を活用してください、って校長先生もいってたしね。」あまりにも気楽に校長室を活用しようとする長男でなのである。