漫画みたいな毎日。「よい思い出には恩返し。悪い思い出には100倍返し。」
先日、noteにて、こんな事をつぶやいた。
コメントをやりとりさせていただきながら、自分の書いたコメントで、ハッと気が付いた。
そう、私の脳内には、脳内閻魔帳なるものが存在している。
受けた恩義は基本的に忘れない。
他の方に助けてもらい、支えられ、今の私がある。
人にした事は忘れてる。(スミマセン。)
後に「あの時はありがとう!」と言われても、「何があったっけ?」と、ほぼ忘れている。
そして、悪い思い出に関しては、決して忘れない。私の脳内閻魔帳に記載されている。忘れることが出来ないので、それはそれでしんどい生き方なのかもしれないが、そのようになっているので仕方がないなぁ、と思っている。
「100倍返し」とは言っても、それを恨むとか、根に持って仕返しするとかではなく、
「こういうことは、好きじゃない。自分は、やらない。」
と、決意するだけ。
好ましからざる事が起きたなら、自分はそういったことはしない、自分がそれをしない為にはどうすれば良いのか?この状況で自分はどう在るべきなのか?と考え続ける。諦めないで考え続け、必要であれば、行動に移す。
その最たるものが、私にとっては「母親としての役割」だと思っている。
自分が母親や大人に言われたり、されたりして、傷付いたこと、不快だったことを、子どもたちに言わない、しない。
そう決めている。
これは、長い長い時間を掛けての100倍返し。
受け取る側の子どもたちにしてみたら、私の言動で傷付いたり、悲しく感じることは、ゼロではないと思うし、私は子どもたちの望む母親であるかといわれれば、そうではないと思っている。
子どもたちには、子どもたちの言い分も不満もあることだろう。
私は、「完璧なお母さん」を目指しているわけではなく、(そもそも、そんなものは、存在していないと思っている。)自分の〈悪い思い出〉を塗り替える作業を日々させてもらっているのだと思う。
悪い思い出には、100倍返し。
子どもたちの育ちに関わることで、私は自分の育ちに絶賛100倍返し中なのだ。
私は、これからも、最大限、子どもたちを〈ひとりの人〉として尊重し続けようと思っている。
そして、受けた恩義には、直接の恩返しに限らず、もっと大きな環で感謝を循環させて行こう。受けた恩義は忘れない。そして恩返しは、その環が少しずつ広がるようにしていきたい。
悪い思い出には、時間がかかっても、100倍返し!
自分で考え、立ち止まったり、迷ったりしながらも、諦めずに歩いていく。
そんな風に、一見変わり映えしないようで、昨日とは全く違う明日を、筋の通った変態として、暮らしていくのだ。