漫画みたいな毎日。「子どもと、仔鹿と、懐かしい時代と。」
若さってスバラシイ。
子どもたちの感染症後の回復具合を見るにつけ、若さってスバラシイね、と語り合う若さから遠くなってきている私たち夫婦です。
末娘と二男は回復してすっかり元気。
元気を持て余すと、余ったエネルギーが兄妹喧嘩などに費やされるので、もっと違う方向へと誘う必要があります・・・。
夫が川沿いにあるバスケットゴールがある場所へ引率。夫も本調子でないので、見守り専門。
子どもたちが遊んでいると・・・・
鹿。
仔鹿が通過。
子どもたちが遊んでいても、まったく我関せず。
子どもたちが動くとちょっとだけ視線を向ける。
どちらが観察されているのかわからなくて面白い。
小さいもの同士の交流?は、なんだか可愛らしくて笑ってしまう。
草を喰む仔鹿。
このあたりは、大きな駅から30分弱の場所です。
この辺りは、自然と街のバランスがいいというのが、移住しての感想です。自然が身近にある環境で子どもたちが育つことは、ただただありがたいことだと思っています。人的環境だけでは得られない感覚のようなものを受けとらせてもらっている気がします。自然に親しむということは、身近に自然があたりまえのように在ることが基盤なのだろうと思いますが、都心ではなかなかそれも難しく、自然を求めて遠出しなくてはならない現状も多くあるのだと思います。
私は東京の下町で育ちました。
今でこそ、ウォーターフロントエリアと言われている場所ですが、当時は何もない場所でした。手つかずの草原でグミを採って食べたり、水路でザリガニ釣りをしたり、金網を乗り越えて東京湾で生き物を探したりしていました。公園の遊具で遊ぶよりも、何も無い所で遊ぶことが楽しくて仕方ない子どもでした。秘密基地作りにも精を出し、日が暮れるまでめいいっぱい外で遊ぶ毎日でした。
親たちも田舎育ちで、兄妹の多い時代、生活するだけで精一杯の時代だったらしく、親が子どものあそびに口を挟むことは滅多になかったようです。
そのおかげ?で、私も子ども時代の遊びに関しては、親に注意されたり、過度な干渉を受けた記憶はありません。(覚えていないだけかもしれませんが。)団地の庭には夏みかんや枇杷の木があちこちに生えていて、ビニール袋を片手に木に登り、友達と枇杷をおやつにしていました。大きな種を皆で土に向かって吐き出し、遠くまで飛ぶ競争などに精を出していまいした。枇杷が食べ放題なんて羨ましい!と子どもたちにその話をするといつも言われています。周囲の大人たちも、勝手に庭の果物を食べても何か言うわけでもなく、「自分たちもそんな子供時代だったからね」というような空気が流れていたのだと思います。
スーパーで高級な入れ物に鎮座している枇杷を見ると、時代が変わるとはこういうことなのかな、などと思うこともありますが、私に昭和初期の子ども時代を語った親たちもそんな気持ちだったのかな、などとふと思うのでした。
今の子どもたちは、「誰の物でもないもの」があまりにも少ない時代に生きているなぁ、と思います。
花でも、果樹でも、誰かのものかもしれない、と思うと、「ちょっと摘んでもいいかな?」「ちょっと食べてもいいよね?」と気軽に言えない雰囲気がある気がします。
暮らしていく上で、境界線とか距離感は、必要なことでもあるのだと思いますが、小さい人に対しては、その線引がもう少しだけ緩いといいなと思う時もあります。
良い悪いだけでなく、子どもたちが、線と線の間にある何かを感じて育っていける環境だったらいいな、と。
とりとめもなく書いてしまいましたが、子どもたちも回復傾向。大人も若さには及ばないけれど、ちょっとずつ回復。日常は、あたりまえですが、あたりまえではないと実感しています。
おまけの二男ダンクシュート。
おひさまと子どもたちには、いつも元気をもらっています。
生命の輝きって、スバラシイ。