漫画みたいな毎日。「微妙な差異は、やがて大きな違和感となる。」
美容院へ行った。
くせっ毛が湿気を感知し、日に日にくるくるとカールしていく様子が、そろそろカットの時期ですよ、とお知らせしていた。
〈アプリで予約できるようになりました〉
以前は、予約の要らない美容室だったので、子どもたちの様子を見ながら、美容室に行けるというのが、とてもありがたく、便利で気に入っていた。
しかし、感染症の拡大や、混雑によってお客さんの待ち時間が長くなることも考慮し、予約制へと移行するとのことだった。
今の美容院に通うようになってから、何年経つだろう。担当の方が、この2月から産休に入られて、他の方にカットしてもらうことになった。美容師の方々は、日々研鑽を積み、居残り練習やコンテストへの出場など、勉強熱心な方が多いようで、お店の中にはコンテストの結果報告が所狭しと掲示されている。
「担当になる者を紹介しますか?でも、他のスタッフも皆、優秀ですから。私が居なくても大丈夫ですよ!」
お休みに入る直前にカットしてもらいながら、そのような会話をし、私は、特に他の方への引き継ぎをお願いをしなかった。
担当の美容師さんが産休に入って初めて美容院を予約しようとアプリとにらめっこする。数名の美容師さんがいて、どの方にカットしてもらうかを決めて予約しなくてはならないが、何を基準にしたらいいものかわからない。個人のキャリアやコンテストでの成果などを基準にするのもひとつの方法なのかもしれないが、あまりそういったことに興味が持てない。
それまで、他の方にカットしてもらっていないのだから、当然迷う。
すると「指名なし」という枠があることに気が付く。指名はせず、その時間に手の空いている方が担当してくれる、というシステムだ。
迷って決められないのだから、指名しないのもいいかも。
そんな気持ちで〈指名なし〉を選択する。
カットを終えてもらい、鏡を見る。
綺麗にカットされている。
悪くない。もちろん、悪くないのだ。
納得のいく範囲。
ただ、「しっくりくる」ではないだけ。
何がどうなのかと言葉で説明しようとすればするほど、それは感覚的なものに近づいていく。
ちょっとした耳周りの長さ、襟足のカットの具合、後頭部のボリュームの出し方、もみ上げの長さ。全体的なバランスやニュアンスというものなのだろう。本当にちょっとした事なのだけれど、この微妙な感じが、私の中でムズムズと何かを動かす。
微妙なニュアンス
微妙な差異。
私は、この微妙な差異こそ、その人が大事にしている感覚なのでないかと思っている。言葉になりにくい、この微妙な差異。これが私を構成しているのだろう。
言い換えるならば、それが個々が持ち得る〈センス〉というものなのだろう。
センスについては、前にも書いたことがあるのだが、「センスは、神様からの贈り物」と知人に言われ、妙に納得したことがあった。
ここで私が思う〈センス〉とは、磨くとか鍛える部類のことではなく、その人に備わった感覚なのではないかと思っている。
カットの仕上がりに何かを言いたいわけではなく、「あぁ、ここで〈なんとなく違う〉と思うのが、私の感覚なのだ」と再認識したということ。
美容院を出て、顔を上げると目に入った新しげなカフェがあった。
入口まで行き、外に出ている看板を眺める。
お店設えは、自然な感じを意識した造りになっていて、野菜ソムリエの選んだ朝採り野菜を使っている、とか、グルテンフリーのメニューもあるとか、書かれいてる。まぁ、たまには、試しに入ってみよう。
・・・この日は、微妙な差異をこれでもかと感じるための、一日だったらしい。そんな日もあるよね。
微妙な差異を、気にしないで受け流すことも時には必要なのかもしれないけれど、それが積み重なると大きな違和感になる。
何に違和感を感じたのだろうと自分の感覚に潜っていく作業が、私は嫌いではないのだと思う。
そんな微妙な差異が私のセンスなのだろうから。
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