学校に行かないという選択。「受験生、おり〼。」
2024年が終わり、2025年が始まって一週間が過ぎようとしている。
2024年の後半は嵐のような変化が続き、その渦の中で泳ぎ回りつつも、
なんとか着地した感じだ。本日は、12月からのいくつかのトピックをお届けしていこうと思う。
・中学校の面談。
昨年末、長男の中学校長との面談があった。「中学卒業の認定とその意思確認」の面談だ。加えて、受験の面接の練習を校長先生がしてくださるとかで、長男もそれを希望していた。
校長室を訪れるのは、約一年ぶりだろうか。
校長先生は、最近の生活や自宅での勉強の様子、受験に向けてのことをきいてくださり、長男の将来進みたいと考えている道についても理解を示してくださった。
「三学期も、今までと同じような感じで、自分で勉強を進める形にしようと考えているのかな?」
面談も終わりに差し掛かった頃に長男にそう問いかけた。
「そうですね。そのつもりです。」とあっさり答える長男に、
「うんうん、あなたはそれでいいと思ます。学校に来なくてもいいです。」
校長先生から、〈学校に来なくてもいいよ〉いただきました!🤣笑
・「どんな学校だったら、通いたいとおもいますか?」
この問いかけは、昨年の面接で校長先生から長男へ投げかけられたもの。
長男は、面接の最後に、校長先生から「最後になにかありますか?」と聞かれて、このことについて話し始めた。
「前回の面接で、校長先生に〈どんな学校だったら通いたいと思うか〉とおっしゃっていたのですが、抽象的な言い方になってしまうので、こうしたら通いたくなるということではないんですが、まず、〈何のために勉強しているのか〉を意識できないと、目標がなければ、〈勉強をやらされている〉としか思えないと思います。自分は将来やりたいことがあるので、大変でも勉強を続けようと思っていますが、〈なぜ勉強をするのか〉が具体的に捉えられないと、つまらないものになると思います。だから、学校での学びが、もし、目標がなくても、〈勉強って、知らないことを知ることって楽しい〉と思えるようなものであればいいのかな、と思います。抽象的ですけど。」
校長先生は、真剣に彼の話を聞いて、「確かに抽象的ではあるけれど、とても貴重な意見だと受け止めます。教育のシステムの問題もあって、直ぐにどうこうできることではないけれど、とても貴重な意見をありがとう!」とおっしゃってくださった。
長男にしては、とてもソフトな物言いで、母はそんな言い方もできるのね~と勝手に成長を感じつつ、平たく言えば、
もっと面白い授業をせんかい!学びをおもんないもんにしたらあかん!
ってことでしょうけど。(昨年は大阪にご縁があったので、エセ大阪弁でお送りしております。)
確かに抽象的かもしれないけれど、その部分を大人が考えて行かなくてな、きっと変わらないのだと思う。意識することだけでも、ひとりひとりが「どうやったら面白くできるのかな?」って考え続けて、試していくしかないんだよなぁ、特に子どもたちに関わる大人たちが。
・受験生、おり〼
12月はこのように面談も終え、無事に年越しをした我が家だったが、年が明け、我が家には関係ないだろうと思っていた〈受験生の追い込みの空気〉が、リビングに充満している。
なぜ、リビング。
それは、長男が自室であるにも関わらず、「寒い」だの「わからないことがあったら、すぐにお父さんやお母さんに聞けない」だのと理由をつけて、リビングで勉強しているからだ。
これにより煽りを食っているのが、弟妹たち。
好きなテレビも観られず、(音がうるさいと言われる)
好きな音楽もかけられず、(集中できないと言われるので、クラシックしかかかっていない)
喧嘩もできない。(これは静かで助かる)
もう、自分の部屋で勉強したら?
と言いたい気持ちを、皆が胸にしまっている。笑
特に弟妹たちの受け入れ能力が凄まじい。
まぁ、仕方ないよね、とスピーカーにヘッドフォンを繋いで映像鑑賞している。
受け入れ能力に甘えてばかりいるもの申し訳ないので、二男と末娘をなるべく連れ出して、家以外で楽しめることを楽しもうと思っている。それもまた良い機会だ。
2月の受験まで、40日ちょっと。
頑張りすぎず、自分が納得できる結果に繋がるように頑張れ~!と、
家族皆が静かに応援している。
受験の付き添いのために関東に行くので、旅ができるとワクワクしていることは、なるべく黙っておこう。
受験生のピリピリ感を感じつつ、そういうこともあるよね、と日々の暮らしは、そのままに。
世の中の受験生たちが、自分の望む方向へと歩んでいけるようにと祈っています。