漫画みたいな毎日。「ゆっくり大きくなればいい。」
末娘が言った。
「ゆっくりおおきくなるの。」
私は、この言葉に心の底から感心した。
「早く大きくなりたい」という言葉は、比較的よく耳にする。
しかし、末娘は、早く大きくなりたいとも思っていない様子で、さらに言うなら、「ゆっくり大きくなりたい」ではなく、「ゆっくり大きくなる」と、自分で決めているようなのだ。
その言葉を聴いて、「うんうん、いいね。ゆっくり大きくなるっていいね。」と思いながら、ただ頷いた。
大人たちは、何事も急ぎ足になりがちだ。
世の中の流れは、日々、益々加速しているように感じ、情報はいつでも手の届くところにある。
便利であることや、楽であることを求め、私たち人間は、何処へ向かっているのだろうかと思うことがある。
便利や楽が悪いと言っているのではない。
暮らしをもっと便利に、快適にということを工夫・追求したからこそ、科学も、あらゆる技術も発展してきたのだと思う。それはそれで、生活しやすくなったことが沢山ある。
今、洗濯機が無くなったら、やはり不便だろうし、まったく電気のない生活が突然やってきたら、人は困惑するだろう。
最近、意識して開くことをしなくなっているSNSがあるのだが、昨日、久しぶりに開いた際に、こちらの投稿に目を留めた。
なにごとも、ゆっくり丁寧にすることは、手間も時間も、労力もかかる。
でも、どこかで、感じている。生活すること、人が育つことというのは、本来、そいういったものなのではないだろか、と。
子どもたちは、ゆっくり、ゆっくり大きくなって、時間をかけて、丁寧に、生きることを味わって、こころと身体の、生きるちからをつける。
そう思っているにも関わらず、子どもたちに、「早く!」という言葉を向けてしまう瞬間はある。そして、猛烈に反省する。
何を急ぐ必要があるのだろう。
彼らは、ゆっくりと、しっかりと、大きくなっていくのだから。