漫画みたいな毎日。「満ちてゆく 日々の中で。」
昨日、12年通った幼稚園を卒園した。
長男が2歳の夏に通い始めた森の中の幼稚園。赤ちゃんからお年寄りまで集う、賑やかな場所。親子で多くの時間を過ごした場所。神奈川から移住し、知人も友人も皆無だった私たち家族を、「おかえり」と迎え入れてくれたこの場所。
3人だった家族が、4人になり、5人になり、三角形だった関係性は、五角形となり、少しづつ環に近づいていく。子どもの誕生を喜び、育ちを見守り、自分も育ち直し、共に成長していくことを意識する日々。
『子どもは、大人から敬意を払われている度合いに応じて自分の人格を尊重し、自分の人間としての尊厳を自覚して、自分自身を尊重するようになるのです。そして、この自己尊重がのちに、大人になってからの道徳的態度全体に影響することになるのです。』
スイスの人格医学者であり、ポール・トゥルニエ博士の言葉が、さりげなく、幼稚園の壁に掲げられている。
〈ひとりのひと〉として尊重され、自分が尊重された度合いと同じだけ、他者を尊重できるようになっていく。
子どもたちの姿の中に、私と夫は、それを実感として日々感じながら過ごしてきた。人の数だけ、在り方は違い、その違いを見つめる日々。子どもたちは、自分と違う他者と自然に触れ合い、違いがあることは当然のことだと思って育っているように感じる。
そして、変わらない事、変化しない物など一つもなく、私も、夫も、子どもたちも時間を経て変化していく。
長男の時は朝からびっしりと幼稚園に毎日通うことが通常で、二男は生後1ヶ月から長男に付き合い幼稚園に通い続け、年少組になるころには、幼稚園を味わい尽くした感があった。末娘に至っては、「行かない」という選択をし、2歳半で幼稚園に入園した約4年間、感染症の拡大もあったが、通った回数はとても少なかった。
〈長男や二男が積み重ねてきた経験を末娘がする機会を奪っていないだろうか?〉
自問自答をし続けつつ、末娘の選択を大事にしたいと思った。
これまで二回経験してきた幼稚園の卒園式。普段は子どもの声で賑やかな幼稚園の園舎だけれど、この日ばかりは、正装したスタッフに「おめでとうございます」と迎え入れられ、静けさと良い緊張感が流れる空間になっている。その空気を感じ、子どもたちの背筋も自然にピンと伸びる。子どもたちの成長を長い時間見守り続けてくれた園長とスタッフに対して湧き上がる感謝の気持ちと、共に子どもたちの育ちに奮闘してきた親たち同士お互いを労う気持ち。
子育てはまだまだ続き、終わりなどないと知っているけれど、ひとつの節目の日。
そして迎えた三回目の卒園式。幼稚園に通う数は少なかったけれど、末娘はやや緊張した面持ちで、木箱の椅子に腰を降ろしていた。いつもとは違う雰囲気の中で、彼女なりに感じることがたくさんあっただろう。
私たちの通っていた幼稚園の卒園証書は、ちょっと変わっている。
毎年、毎年スタッフが手作りしてくれるものだ。長男の時は立体の気球だった。バルーン部分が空洞でライトの点くものだった。二男の時は、シャボン玉をイメージしたもので、大きな写真立てのようになっていて、丸くくり抜かれた部分に幼稚園の周りの四季の自然やスタッフの写真が見えるようになっていた。しかも、ただの写真立てではなく、ビー玉をそのくり抜かれた部分に入れて遊ぶこともできるようになっていた。末娘は、木のパズルが証書になっていた。幼稚園の園舎をメインにその周りにたくさん遊んだ景色が組み込まれている。
スタッフが毎日遅くまで残業して作ってくれた手作りの卒園証書を、末娘は、園長から受け取った。
命が宿ったことを自分事のように喜び、生まれたことに安堵してくれた人々の中で、愛でられ、受け入れられ、尊重され、抱きしめられてきた記憶。
素敵に育ってるね
我が家の子どもたちに向けられたスタッフからの言葉。〈素敵に育てているね〉ではなく、〈素敵に育っているね〉。それは、子どもたちが自分で育っていることをずっと見守ってきてくれた上での言葉。この言葉は私の宝だ。
卒園式を終えてから、12年間の様々な出来事がぽつりぽつりと浮かんでくる。「あんなこともあったね。」「こんなこともあったよね。」夫と笑いながら話をする。
達成感でもなく、喪失感でもなく、後悔でもなく、もっと違う気持ちが私の中にある。この気持ちを言葉にするのは難しく、また、すぐに言葉にする必要もないのだろう。
卒園式の翌朝である今日は、湿気を含んだ重たい雪が降り続いている。
早起きした長男と、静かにこの曲を聴きながら、私の言葉になりきらない今の気持ちは、こんな感じだと思った。
その曲は、藤井風くんの「満ちてゆく」。
誰かに満たされるのでもなく、何かで満たすのでもなく、満ちてゆく。
月が静かに円になるように、満ちてゆく感覚。
長い年月をかけ、満ちてゆく。
受け取ったつもりが、掌からこぼれ落ち、それをまた掬い上げるが、掬い上げたものは、望んでいたものではなかったことに気がつく。
そんなことを繰り返しながら、私の小さな掌の中に遺されたものを見つめたとき、もう十分なのだと感じる。
満たされたという満足感とは違うこの感覚。
どこまでも静かな森の中で、湖の水面をひとり見つめている感覚。
私は、静かに、満ちてゆく。
「満ちてゆく」 藤井風
走り出した午後も
重ね合う日々も
避けがたく全て終わりが来る
淡いときめきも
あの日のきらめきも
あれもこれもどこか置いてくる
それで良かったと
これで良かったと
健やかに笑い合える日まで
明けてゆく空も 暮れてゆく空も
僕らは超えてゆく
変わりゆくものは仕方がないねと
手を放す 軽くなる 満ちてゆく
手にした瞬間に
無くなる喜び
そんなものばかり追いかけては
無駄にしてた"愛"という言葉
今なら本当の意味が分かるのかな
愛される為に 愛すのは悲劇
カラカラな心にお恵みを
晴れてゆく空も 荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を放す 軽くなる 満ちてゆく
開け放つ胸の光
闇を照らし道を示す
やがて生死を超えて繋がる
共に手を放す 軽くなる 満ちてゆく
晴れてゆく空も 荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を放す 軽くなる 満ちてゆく
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