せつないこころの向こう側【スーザン・ケイン著/悲しみの力】
ある晩、何気なく眺めていたアマゾンのおすすめ欄で、それはほんわりとお人好しな光を放っていた。
元婚約者と復縁したい一心で、事実婚や心理学の本を色々と読み漁ってきた春と夏。1年の半分が過ぎ、紅葉がだんだんと深まってくるタイミングで、相反するような目の覚めるターコイズブルー。見つけた瞬間「これだ」と思った。
有名人が紹介していたわけでもなく、YouTubeの本要約チャンネルで見たわけでもない。他者を介することなく自分を頼りに選んだ本は久しぶりだった(本屋では「表紙買い」とか「一目惚れ」ってよくあるけれど、ネットではためらいがち)。
届いてもしばらく積ん読にしてしまう私が珍しく、開封してすぐにパラパラと眺めてみた。
無理だよそんなの。絶対無理。
もう一度彼を愛したいし愛されたいのに、終わってしまった私たちの日々を宝物として生きていくなんて、できるわけがない。別れても思い出は失われないって、頭ではわかってる。彼への想いが少しずつ変わっていっても大丈夫だって、それもわかる。
でも嫌だ。私は彼にまた会いたいの!
“ざ○ざ○森のがんこちゃん”並みの頑固者は、こんな風に『悲しみの力』を最初は恐れた。それでも不思議なことに、疑いはしなかった。著者の言っていることは到底受け入れられない気がするけれど、これは私の話だーなんとなくそう感じたのだ。
幸運なことにその直感は当たる。間もなくして私は大切な音楽との再会を果たし、見て見ぬ振りなんてできない自らの価値観に気づき、悲しみを越えることになる。
『悲しみの力ー「悲しみ」と「切なる思い」が私たちを健全な人間にするー』この本なくして、私の新しい人生は語れない。
要約
※原文に基づき、私的解釈をふんだんに盛り込んでいます。
・悲しみは悪いものではなく、甘くて苦い人生を生きる上で役に立つ力であり、他者を思いやるための原石だ。
・そんなものはないとわかっていながら、「完全で無償の愛」を切望してしまうのは、愛を感じる場所・相手こそがかけがえのない「ふるさと」だと信じているからだ。
・人は「創造力」によって「悲しみ」や「切なる思い」のその先へ進むことができる。
・愛を失った時、(時間がかかったとしても)その「苦痛」と真摯に向き合うべきだ。向き合えば道は必ず開かれる。
・笑顔でいること、いつもポジティブでいることを求められても、それに従う必要はない。ただし、笑顔や明るさを強要されてそれに屈してしまったとしても、そんな自分を責める必要もない。
・永遠に生きられないからこそ、人は人生に恋をする。
・「死別の悲しみ」は乗り越えなくて良い。“乗り越えたいけれど……”くらいで十分。
・何世代も前から受け継ぐ「悲しみ」は存在するが、上手く転換すれば生きるための糧になる。
「ビタースイート」とは
感じやすさ、感傷的、鋭い感性……。「ビタースイート」を既存の言葉に当てはめるとすればこんなところだろうか。物事の明るい面と暗い面の両方に気づきやすく、良い出来事があってもついつい同時に良くないことも考えがち。それだけではただのネガティブだが、「美しさ」への感度がこの気質の人々を明と暗のちょうど真ん中にとどまらせてくれる。
仕事で成功するとか、念願叶ってついに行きたい場所に行けるとか、好きな人と両想いになるとか、そんな幸福だけが美しいのではない。むしろ、自分の力ではどうにもならない人生の切なさ、言葉にして伝えたいけれど何て言えば良いかわからない歯痒さ、たったひとりで向き合わなければいけない悲しみ……そんな、できることなら避けて通りたい暗闇の中で見つけた美しさこそが、自分だけの喜びになる。だからこそ人々は大昔から切ない恋物語に魅了されるし、人生のほろ苦さを歌う歌手に背中を押されるのだ。
もし仮にあなたが今、何かの障害にぶつかっているとする。その障害(逆境、不条理)をすぐに受け入れることはできないかもしれない。できなくて当然だ。だってそれが障害だから。
そんな受け入れがたい状況でもできることは「良いことも悪いこともすべて自分にとってプラスにもマイナスにもなる」と、知恵として覚えておくことではないだろうか。絶望していてもとりあえず、他人事のように覚えておくだけで良い。何年、何十年かかったとしてもいつか必ず、あなたの障害の明と暗が見える日は来る。
この本の始めの方には、読者のビタースイート度を測る診断テストが付いている。私は著者に「筋金入りの「ビタースイート」タイプ」と認められ、テンションが上がった。物事をいちいち深く感じ取ってしまう面倒な気質と言えるのに、なんだろうこの選ばれし者感は。
でも、世界は私たちがびっくりするほど美しく、残酷だ。その中でしなやかに生きていくには、苦さと甘さのバランスを取って嚼み分けられるくらいがちょうど良いのかもしれない。
※補足
勘の良い人は「ビタースイートってHSPに似てない?」と思うかもしれない。HSP(Highly Sensitive Person=ハイリー・センシティブ・パーソン)いわゆる“繊細さん“に関する本は沢山出ていて、ビタースイート気質よりも有名だろう。
実際、ビタースイートな人はHSPでもある人が多いと本書でも記載されている(p.41参照)。ちなみに私は下のリンクのHSP診断で、まあまあのHSPだった。
この2つの気質の違いは何だろうか。個人的な考えだが、HSPは「繊細すぎるがゆえの敏感さによって、周りの環境に対して(良くも悪くも)心の中がいっぱいになる」人ではないか。一方でビタースイートは「繊細だからこそ物事の本質や人生の儚さについて、意識しなくても自然と思いに耽る」人ではないか。こんなことが読了後にふんわりと見えてきた。
「ビタースイート」な生き方
残念ながら社会は、非「ビタースイート」タイプが生きやすいようにできている。何事にも前向きで、あまり悩んだりくよくよしたりせず、溌剌と上手に立ち回れる人ーーさらに残念なことに、私たち「ビタースイート」タイプは、こんな明朗活発な人間には一生かけてもなれない。なろうとしても、結構苦しいからやめといた方が良いよ。
これからの人生、じゃあどうやって良くしていこう?「日記を書くこと」「『大好きなあの人だったら、自分の弱みに対してどうアドバイスするだろう?』の視点を持つこと」や瞑想、といった具体的な方法が挙げられている中でも、本書の芯の部分は次の2点だと思う。
①「悲しみは誰もが味わうもの」として他者を思いやる
後述の②悲しみによって何か新しいものを生み出す、が私にとって自分を大切にする活動=読書と執筆なら、①は職業=障害者支援。つまり①と②は、まさに今の私だと言える
婚約破棄を経験してからは不思議なことに、利用者に対して温かい気持ちでいられる時間が自然と増えた。婦人科に通院して漢方を飲んでいるせいもあるだろうが、イライラをぐっと我慢することが減って、まあしょうがないか、くらいに思えるようになったのだ。
それでも腹の立つことや気疲れはゼロにはならない。ただ、そんな自分を以前のように責めたり支援に向いてないなどと考えたりすることはなくなった。
私も人間、相手も人間。支援者にも生きづらさがあって当然だし、利用者もまた生きづらい。ましてや障害があるということは、支援者でも完全には理解できない辛さ苦しさがある。やっぱりしょうがない。しょうがないからこそ、支援者が必要じゃん。
と、こんな風に良い意味で割り切れたのは、大切な人がいなくなった寂しい部屋に帰るという、私にとっての障害あってのことだと思う。
②悲しみによって何か新しいものを生み出す
創作といっても必ずしも芸術作品である必要はなくて、勉強でも料理でも模様替えでも良いのだと著者は言う(私は実際にカーテンと絨毯を変えてみると、気持ちが切り替わる兆しが見えた)。何でも良いので新しくやってみること、自分を癒やしたり心の栄養になることをしたりすること。それが自らの抱える問題の「処理(p.145)」につながるのだ。辛いことこそ「処理」なんて言い方くらいに冷静に見る方が良いのかもしれない。
注意したいのは、「創造力」に「悲しみ」や「切なる思い」は関係しているが、辛い時ほど良い芸術を生み出せるわけではないということだ。良いアイデアはもちろん、気分が安定し前向きな時の方が出てくるもの。だから今辛いあなたが何も生み出せずただ悲嘆に暮れていたとしても、自分を否定することなんてない。そういう時はどっぷりと悲しんで、悲しい歌を思う存分聴いたら良い。
辛い記憶から逃げたければ素直に逃げよう。私だってこの本と出会えたから元気になったけれど、それまでは彼がいなくなった事実を拒絶して復縁だの事実婚だのに逃げまくった(事実婚を勉強できたことは収穫なんだけどね)。大事なのは、いつか何かのきっかけで辛い記憶をしっかり見られるようになったら、何でも良いから考えすぎずに動いてみることだ。それまでは充分すぎるくらい自分を休ませてあげてほしい。
ちなみにアートは、自分で作り出さなくてもただ眺めているだけで良いと著者は言う。ただ眺めるだけで健康に良く、人生の満足度が上がるという研究結果もあるとのことだ(p.145参照)。最高ではないか。
「切なる思い」の代弁者
あなたには自分を代弁してくれるアーティストがいるだろうか。著者にとってのそれは、今は亡きレナード・コーエンだった。
どんより曇り空の1日中、ひとりで家に閉じこもり、夕方薄暗くなってからCDを開く。何度も開いてきた歌詞カードには、ぽこぽこ爪の跡がついている。部屋は少しひんやりとして、静かに響く歌声と手元のマグカップだけが温かい。
彼女はいつも別れ歌ばかり歌っている。願いを諦めきれない歌だったり、若かった輝かしい日々を思い出す歌だったり、消そうとしても決して消えることのない炎を映す歌だったり……姿かたちを変えながら、喪失の悲しみはいつも彼女の歌声にのせられて私に届く。
厳かな歌は私を落ち着かせることはあっても、沈ませることはない。むしろ真っ直ぐに、強くしなやかに、彼女の声のように生きていきたいと勇気付ける。
著者の“レナード・コーエン愛”を読み進めるうちに思い出したのは、アデルだった。
言葉にならなくて、いつどこで植え付けられたかもわからなくて、ただそのままにしておくしかなかった悲しみ。それは「生きていくこと」そのものに感じる悲しみなのかもしれない。アデルの歌はただの失恋ソングではない。生きていくだけで自然と溜まっていくような何とも言えない切なさ。それを自分では誰にも伝えることができず、そっと仕舞いこむことしかできなかった私に代わって、優しく世界中に解き放ってくれる。
そういえば、この曲が出た頃の私はまだ転職して日が浅かった。初めて大勢の前に立たなければいけなかった日、特に大きなミスをしたわけでもなかったのに、家に帰ってもなぜかどきどきしていた。飲み会までのわずかな時間、その緊張を洗い流すかのようにお風呂に入った。湯船の中で何度も何度もこの曲を聴いた。悲しかったのだ。悲しいことなんて何もないのに。
私にとってのアデルは、ビタースイートの化身だ。『I Drink Wine』は、自分の力だけではどうにも這い上がっていけない人生のほろ苦さと、それすらワインと一緒に飲み干してしまいましょうという軽やかさが重なり、『Someone Like You』に至っては歌詞に“bittersweet”が登場している。
アデルが私に代わって表現してくれることとは、一体何なのだろう。この本を読んで少しわかった気がする。それは自分の元から去っていく人や時間を少しずつ諦めながらも強く逞しく、自分なりに生きてきた女性像であり、「悲しいことは忘れなくて良いんだよ」という私の心の奥底に眠っていた、放っておけない祈りだった。
「完全で美しい世界」の瞬間に
著者は無宗教だが、色々な宗教から学んだことでビタースイートを紐解こうとしている。上の引用文は著者がとある指導者から聞いた言葉。
なるほど、人々は皆それぞれ切なる思いを心にとどめながら生活し、毎年1回は神社仏閣などで内に秘めた願いを発散する。初詣があんなに混み合うのは、単に「皆行ってるから」だけではないのかもしれない。
私には宗教がある(とある新興宗教の勧誘をきっぱり断ったら「宗教がおありなんですね」と言われたので真似してみた)。と言ってもたまたま生まれた家の生業が寺院だっただけ。信仰の対象を自分で決めたわけではない。
それでもとても幸運なことに恵まれたら、何か目に見えない大きなものに守られている気がする。母の病気や人との出会いなど、人生の節目が来るたびに「これは普段の行いが良いからだけではないな」(自分で言うな)なんてパワーを感じる。
だからお盆には亡くなった祖父たちのことを思って祈るし、年末には「来年こそ平和な世界になったらいいのに」と祈るような静かな気持ちになる。
祈るような気持ちは宗教と関係ない。あなたにとって一番大切なことや重要な価値観を知って「これからもずっと覚えていよう」と他の誰でもない自分だけに誓う瞬間。これは立派な祈りであり、自分に向けられた静かな優しさだ。
この本に出会い、アデルと再会した頃に見ていた物語がある。
ただ自分の好きなことにひたむきに、目の前のやるべきことをコツコツと、それが何年も続いた女性。本当は掴みたかった幸せが他にもあったはず。人生に誇りを持つと同時に、きっと心のどこかで「しょうがない」と諦めていた。
そんな彼女がようやく、優しさに包まれた。一番近くで、澄んだ真っ直ぐな瞳は彼女だけを見つめていた。
その瞬間、私は彼女とともに、自分を超えた。「あ、私の新しい人生が始まる」そう直感したのだ。
今までの自分を超えて生まれ変わる感覚、至高の喜び、体験したことのない幸福。このような美しい体験を本書では「自己超越」と呼んでいる。
アデル(=切なる思いの代弁者)の歌に出てきそうな女性が、仕事愛でもなく自己愛でもない穏やかな空間に身を沈めている光景。まさに私が知らず知らずのうちに求めていた「完全で美しい世界」だった。
【大好きなひとときに巡り合うまで、長い年月がかかるのかもしれない。それでもいつか巡り合うことができるなら、それで良い。たとえ巡り合わなかったとしても、今私ができること・やりたいことをやって生きていけば十分に幸せ】
「何歳までに結婚して、子供は何人」と計画的だった私の中に、羅針盤のごとくぶれない価値観が眠っていたのだ。生きる指針を見つけ、気づいた時にはもう、元婚約者へのキリキリした想いは和らいでいた。
喪失を乗り越える
本書は一貫して「喪失」がテーマになっている。その中でも第4章「愛を失ったときには、どうしたらいいのか?」では著者の過去や、あるヴァイオリニストの例を交えつつ、大切な人を失った悲しみの最も濃い部分と真っ向から対峙している。圧巻だ。
夢みたいな人だった。夢みたいな彼と一緒に大事な夢を叶えたかったから、雪どけから秋の夜長まで、胸がずっと痛んだ。アデルの曲で言うなら『When We Were Young』に出てくる元カレ。身も心も安らぐ“おうち”みたいな人だったのだ、ほんとうに。
お母さんみたいだなと、出会ってわりとすぐに思った。のんびりしててあんまり自己主張しない性格も、真ん中っ子として育ったのも、絵が上手だったのも。
彼に安心感を抱くのは、もちろん私だけではなかった。会社の同僚・先輩、久しぶりに会った親戚のおばちゃん、地元の友人。私の近所の人にも、いつの間にか話しかけられていた。特別愛想が良いわけではないのに。
父だって最初は固い表情だったけれど、気づけば私の知らないところで勝手に気を許してた。母の前でよく、彼を話題に出していたようだし。
その彼がたぶん最も安心感(尊敬にも近かったけれど)を抱く相手は、もうこの世にいない。今思えば、あの人は自分の死と引き換えに私たちふたりの人生を守ったのだろう。
取り返しのつかない誤ちを犯して、泣いて泣いて泣きまくりながら謝った。ほんとうに駄目なことをしたと心から反省したし、彼に対してできる限りの誠意を尽くした。でも彼はもう、戻ってこなかった。
小さい頃弟と喧嘩してやりすぎてしまった時や、母に汚い言葉をぶつけた時、私は何度泣きながら謝ってきたことだろう。その度に母は険しい顔で沈黙を貫くけれど、タイミングを見計らって必ず許してくれた。
私が彼に対してやったこと、ぶつけた言葉は酷すぎた。決してやってはいけないことだった。でもじゃあなぜそんなことをしたのか?彼を信頼していたからだ。「許してくれる」と信じていたからだ。
当たり前だけど、彼は母のようでいて、母ではなかった。
さて、今の私はというと。
もう自分を責めてなんかいない。前述の「完全で美しい世界」に気づいてから、かなり勇ましく生きている。毎日が新鮮で、楽しい。
彼との別れによって得たものの中で、一番意味のあるものは何だろう。そう自分に問いかけたら、内なる声が案外すんなりと教えてくれた。
「自分の言葉を持つこと!」
落ち着いて振り返れば、自分の言葉がじわりじわりと失われていくような関係だったかもしれない。いつからか私は書くことを辞め、彼に寄りかかっていた。そしてそんな私に、彼は特に何も言わなかった。
私の依存はたぶん、私だけのせいでもないし彼だけのせいでもない。結婚とはお互いに、お互いのすべてから影響を受けるもの。仮に私たちが結婚していたら、将来きっと我慢し続けて、私が本来持っていた創造性だとか表現力をなくしてしまっていたと思う(たられば論だけどね)。
私の母はおそらくそれを見抜いていた。娘と仲違いする道を選んでまでも、自らを貫いたのだ。
あぁまじでお母さんごめんね。今はちゃんと思うの。「たった一度の失敗を許してくれない相手なんて、絶対ダメな奴だよね!!!!」って。私はあなたの子どもでほんとうに良かった。
悲しみの世代連鎖
学生時代、「貧困の世代連鎖」を知った。親の生活が苦しければ子どもの生活も苦しく、大人になっても貧困から脱するのはなかなか難しい。子どもは相当努力して進学したり、無学でも就職先で人一倍努力しなければ報われず、親と同じような収入に落ち着いてしまう人々が少なくない。
世代に渡って貧しさに苦しむ人々のために、福祉の支援者がいる。貧困は自己責任ではなく、社会で支えるものー先生たちは口を揃えてそう言った。
では、「悲しみの世代連鎖」はどうだろう。貧困とは違って悲しみは上手に向き合うことができれば、自分の力だけで結構どうにかなると私は思う。親切にも本書は、前の世代から受け継いだ悲しみを乗り越えようとする、私やあなたの背中を押してくれる。
彼との別れがどうしてあんなに辛かったのか。元々持っていた感傷的なメンタル(ビタースイート)は、どうして私の中で育まれたのか。いくつかあるだろうその答えのひとつは、意外なところにあった。
祖父の兄は、沖縄で戦死している。その事実は幼少期から知っていたけれど、祖母からとある切ない物語を聞かされたのは大人になってからのことだ。
大伯父には現地で出逢った恋人がいた。終戦して何十年も経ってから、その女性がはるばる北海道まで親族を訪ねてきた。大伯父のことが忘れられず、独身のまま。
文章に起こしてしまえばたった3行。それでも行間に物語を感じてしまう。愛する人を亡くした時の女性の悲しみ。荒れ果てたふるさとで、生きた心地がしないまま生きてきた数十年。彼と血の繋がった人たちに会って、少しでも彼に触れたい、切なる想い。
「好きな人がいれば、結婚した方がいいなぁ」頑固者で野心家、威厳たっぷりの昭和男だった祖父。ある時私に向かって、にっこり笑いながらそう言った。
大好きな人と一緒に歩む人生の尊さ。そういう人生を選ぶことすらできなかった人々の悲しみ。この2つを強く感じ取れるように、私のDNAは作られているのだと思う。だからこそ、誰よりも大事だった彼との別れは、私の想像を遥かに超えて人生の大転換期となったのだろう。
沖縄の友人を訪ねた際、平和記念公園に行った。戦没者の石碑に大伯父の名前が刻まれているからだ。
整然と並ぶ石碑の群れ。先頭で海に面しているのが、北海道出身者の列だった。最も遠い北国から来た人々が、ほんの一ミリでも故郷に近い場所で弔われるようにー設計者の心意気を感じた(実際、そんな深い意味はないかもしれないが)。
遺骨が埋められているわけではないけれど、墓だと思って祈った。どうか少しでも安らかに、と。そして思った。遠い遠い北海道から来た、まだ二十歳そこそこの若者が、ネットも旅客機もない時代に気候も文化も全く違う沖縄で、たったひとりで死んでいく。その想像を絶する孤独と寂しさに、私は言葉を失っていたたまれなくなった。
そして次には、祖父に思いを馳せていた。昔、きょうだいたちと平和記念公園を訪れた祖父は、読経し大声で泣いたという。
あんなに元気でしゃきしゃきしていたおじいちゃんも、やりきれない悲しみを抱えて生きていたんだな。だから私も強く生きよう。
私の力だけでは、今年の大きな喪失を乗り越えることができなかった。友人や家族、出逢った人・もの全てが私の味方だった。そして、そこに加勢してくれたのは他ならない、過去の私、沖縄にいた私だった。
終わりに
この本は私たちに、はっきりとした答えを示そうとしない。それが良いのだ。読み手を信頼して、自由に受け取らせてくれるから。だからこのnoteも必然的に、何が言いたいのかよくわからない文章になっている。それで良いのだ。わかりやすい発信よりも、自らの悲しみの浄化を優先しても良い気がしたから。
本当は死別との向き合い方についても書きたかったが、書く前にかなりの文字数になってしまったので、今回はやめておこう。
その代わりに、本書『悲しみの力』とは関係ないけれど、著者スーザン・ケインが親と向き合う時の心持ちと似ているな、と思った言葉を紹介しておく。
「娘は、気持ちの真っ直ぐな子なんです」
「大事なのは2人のこれからを見守ってあげることでしょう?」
鬱陶しいくらいにただただ浜風が強かった春の始まり。あの午後。喪失と悲しみの入り口で、母はきっぱりと勇ましく、そう告げた。
そうだとしても、もう大丈夫。形を変えてなお、毅然とした愛がいつもここにある。今は気づかなくても、たどり着くまでの道のりが長くても、これからの愛だってきっとある。