2章:羊と羊と羊。あるいは、頻度分析を使ってみるのもあり、星の王子さま
~続き~
長文です。ネタバレあります。
2章の冒頭、6年前の主人公ぼくは、飛行機トラブルのためにサハラ砂漠で遭難中。明け方に、小さな声が聴こえたかと思うと、『an extraordinary little fellow=風変わりな小さい仲間』が不意に登場。王子さまです。
fellowには『(話し手の)自分・私、(一対のものの)片割れ・相手』の意味もあるようなので、「王子さま=主人公ぼくの分身」という説は合ってるかと。主人公が極限状態で見たまぼろし、小さなドッペルゲンガー、オルターエゴなどとも言えるかも。21世紀っぽく言うなら、アバターとか(笑)
村上春樹の初期作品群における、主人公と鼠の関係性も、上記に近いものがあるけど、あるいは、星の王子さまへのオマージュかもしれない。
自己紹介もなく王子さまは、『ヒツジの絵を描いて=draw me a sheep』と、主人公に何度もせがんでくる。主人公が描いたのが、
・かなり病気が進行中のヒツジ
・角がある雄ヒツジ(=a ram=「去勢しない」雄羊、の意もある)
(↑王子さま曰く「that's not a sheep.」=オスは羊ではない、らしい。)
・年寄り過ぎるヒツジ
王子さまから見たら、3匹ともダメみたい。
なんかムカつく(怒)
そこで主人公ぼくが描いたのが、
ヤケクソ気味で描いた箱に、王子さまは満足してくれましたとさ(笑)
大人には帽子に見える、象を消化しているボアの絵さえわかってくれる王子さまには、この箱の中にヒツジが見えるらしい…
ヒツジの考察です。
病気の羊・角があるオス羊・年寄り羊の3匹を拒否して、『長生きするヒツジが欲しい』と言う王子さま。なんか意味深かも…行間で言い換えるとするなら、『若くて角がないメス』を、欲しているようにも感じる。ミルクが飲みたいから~って理由が言外にあるとも取れるけど、なんか気になるんですよね…
オスは羊じゃない(=that's not a sheep)、とまで英文では言ってるし。それらを王子さまのセリフを通して、作者が言わせているかもと。つまり、ここだけ王子さま視点のセリフではなくて、こっそり作者視点の発言=思想と入れ換えているのでないか、という意味です。メタ用法=メタフィクションとも言えるかもしれない。
たとえば、あだち充のマンガ「タッチ」や「H2」では、主人公たちが現実世界のことをわかっているかのように作者と会話したり、作者が登場人物として作品内に出てきたりする。銀魂でもよくある、割と手垢のついた技。
これは、その技法をさらに読者にわかりにくくしたパターンかと。
メタフィクションをさらにメタファー化したみたいな。
まあメタ用法を持ち出さなくても、視点主語を一瞬だけ作者に切り替えて、作者が言いたいことをコソッと入れるのは、小説では大昔から使い古された手だけど。それの悪意を仄めかしたバージョンなんじゃないかと(←視点主語一瞬切り替えを意識しながら読むだけで、名作と呼ばれる小説の多くに、隠された何かが見つかり出す、というのが私の持論)。
そして、主人公ぼくの話を聞かないで、自分の要求ばかりする王子さま。
子どもらしい特徴だから、可愛らしい、ともたしかに取れるんだけど、
『ヒツジの絵を描いて=draw me a sheep』というセリフを5回も。
そして、6回目とも取れる『別のを描いて=make another(sheep)』。
2章冒頭の6年前、その後6才が1回、そして羊の絵の要求が6回、2章でもやっぱり『6×3=18』を匂わせてくる。偶然?本当に?1章でも6が3回出てきたのに。こういうのは確率から言っても、意図的に仕込まれたと考えるのが、普通の思考かと。
パソコンが得意な方は、星の王子さまの全文を、『頻度分析』にかけてみるのも、1つの手だと思う。英文の著作権は終わっているし、青空文庫にも無料の日本語訳がある。エクセルでもできるみたいだし、もしかしたらスマホでも、分析できるアプリがあるかもしれない。そうすれば、主観的な要素を一切排除して、1番客観的なデータが出せるはず。おそらく、頻出単語の上位トップ10は、陰謀論界隈で見る単語ばかりになると思う。
※私は比べ読みの、アナログ比較分析で、各章ごとに考察していきますが。
数時間もあれば読める短編小説だから、聖書を分析・考察するよりも、はるかに楽チン。第2次世界大戦中に書かれたとされる星の王子さまでさえ、その当時から乗っ取られているということに気づく人が増えれば、その中から昨今の世界的な洗脳に気付く人も出てくるんじゃないかと…そういう動機で私は、この考察を書いています。ただ、『note』内だけでも、星の王子さまを大切にしている記事をアップしている方が大勢いるので、罪悪感もあるけど。
※2章で他に気になる箇所は、
主人公が砂漠にいるはずのない王子さまに出会って、
『In the face of an overpowering mystery, you don't dare disobey.』
(=圧倒的な謎に直面すると、あなたは敢えて従ってしまう)
などと、王子さまの存在を自分に納得させてしまうこと。
私はこういう文章、作者が暗に言いたいことを示していると、勘繰るクセがある。それは、読者を暗示にかけようとしている一文。謎の王子さまの存在を、読者にも受け入れさせようとしている(もちろんここで受け入れないと物語が進まないのだが)。そして、その後も…入り口で受け入れてしまえば、一貫性の心理が働いて、人はその後の要求も受け入れてしまう、無意識の心のメカニズムが作用する。まずマスク→枠珍のように。
しかも、主語がアナタ(=you)だし(太宰かよ笑)。
本書には、2人称主語呼びかけのシーンはほとんどないけど(大抵の小説はそう)、それだけに、数少ない2人称で呼びかけてくる箇所は、作者は強調しようとしている、何かある、と考えるのは、小説を読む上でのお約束。
ちなみに、日本語訳では、
児童文学だからか、日本語訳はマイルドですね笑
2人称アナタ呼びかけも使ってなくて、『人』になっている訳もあるし。
英語の『you』で読む人の方が、無意識に心に呼びかけが入ってきそう。
主語がyouだと、自分=youと呼びかけられているような錯覚に陥って、選択行動もyouをトレースしていくような気がしませんか?
主人公が1人称単数主語I=アイでも、自分に置き換えて、感情移入していくものだけど、たまに使われるyouも効果的かと。潜在意識に『ピザって10回言って⇒ピザ×10⇒じゃあここ(肘)は?』のような、10回クイズを繰り返されて、無意識にルーティン化していくような感じ(意識を多少なりとも強く持って、ヒジって思っていないと、ヒザって答えちゃいますよね)。
小説を流し読みしていると、自分自身も気付かない無意識下で、良くも悪くも物語(=作者)に洗脳されている(主人公や主要キャラに感情移入し過ぎる)ってことは、ありうると思う。しかも、それに気が付かない。
読書って怖い…そういう側面もある。
おおげさですかね。
(ex. AKB48の「Everyday,カチューシャ」は、この手法がモロ。はっきり言って、すごく気持ち悪い歌詞。オタどもを洗脳して、歌い手にますます惚れさせようとしている、という観点で見れば)。
真理だと思う、星の王子さまの、2章のこの箇所は。
それが良かれ悪かれ、平素と違う理解不能で圧倒的なものごとに出くわすと、人間は思考停止に陥ってしまい、流れに服従してしまう。それが良い恋ならいいけど、悪い場合は、そこから、たとえば、ストックホルム症候群のような状態になることさえある(脳のバグ)。
人間の普遍的な心理の1つだと思う。
この心理を意図的かつ暴力的に悪用して、人を支配し、抗う気力さえ奪ったことに気付かなくさせた事例が、S○○Pの公開処刑しかり、中○明○のそれ然り、と私は考える。レ○プも2次被害含めて。後遺症は甚大です。
そのトラウマを乗り越えるための方法の1つは、その支配を学習し、言葉で表現し、そこから得た知性の積み重ねから呼び起こす、勇気の突破かもしれない。何度も失敗した果ての。
※もう1つ、2章で気になる箇所。
サハラ砂漠での遭難について、『For me it was a matter of life or death=私にとって、それは生きるか死ぬかの問題だった』という一文。
『To be, or not to be, that was the question.』
だったら、もっと良かったのに(笑)
作者が欧米キリスト教文化圏の人なら、そこはコレでしょ(笑)
※追記:そもそも、コ○ナやあそこの戦争系の時事問題に関すること書いたら、管理AI側が瞬時にNGワードや頻度分析をかけてきて、『○○と違う情報の記事の可能性が~必ず1次情報を~』などの注意書きを、記事先頭に入れ込んでくるクセに。なら、こちら側からも、オマエらがのたまうことに頻度分析かけさせろ!その数字はNGワードだから、気を遣って入れないようにしろ!って話なんですよ。
にもかかわらず、21世紀にもなって、映画・アニメ・歌などが変な数字をゴリ押ししてくるってことは、絶対ワザとなんですよ。ユーザーやカスタマーに不快な思いをさせないように、またはスポンサーにクレームが行かないように、巷で黒いウワサのある数字など、除外するべき。だのに是が非でも入れ込んでくるのは、間違いなくワザと。最上階のスポンサーの要求通り。星の王子さまは古典の作品と言っても良いけど、そこにさえ入っているなら、その時代にはすでに、ってことですよ。
~続く~