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献辞1+前書き+献辞2:星の王子さまはプロパガンダ本だ

 レオン・ヴェルトに

…という献辞で始まる『星の王子さま』。そして、そのすぐ後の前書きで、子どもへの真摯に見える訴えかけと、この本を友人に捧げる理由。そして、再び訂正の献辞。

 子どもだったころの
 レオン・ヴェルトに

↑上手いですよね。2段構えの献辞なんて。初めて見た。



星の王子さまはプロパガンダ本だ

 初めて本書を読んだ子どもの時、私はレオン・ヴェルトという人物が、ナ○ス占領下のフランスにいた、ユ○ヤ人であることを知らなかった。作家であり、サン・テグジュぺリの親友でもあるレオンーーー大人になって彼がユ○ヤ人と知った時、私は本書に『アンネの日記』や『サウンド・オブ・ミュージック』と同じ匂いを覚えた。正直言って、プロパガンダ本の側面はあるなあと。アチラさんに媚びたからこそ売れたし、聖書の次によく読まれているという呼び声も高いんだと。そう思ったのは、ヒ○ラー似の挿絵と、『飼い慣らす』という言葉の響きも、無意識下で作用していたのだろう。

 もっとも、初めて読んだ子どもの時は、私も簡単に洗脳されて、本作に酔っていたように思う。『そうなんだ!大切なことは目に見えないんだ!なんて癒される物語なんだ!王子さまは素直で!純粋で!大切なことを忘れてなくて!カワイイ♪私も王子さまのように!この本みたいに!大切なことを忘れないようにしよう!→そして、この本が好きな私もカワイイ♪』などと(笑)言語化できていたわけではないが、そのような恥ずかしい自己陶酔があったように思う。そこにヒト○ー似の挿絵や、飼い慣らすなどのマイナスイメージが入り込む余地はなかった。恋は盲目かのように、直感したはずの都合の悪い点は、小惑星B612の彼方まで吹っ飛んでしまっていた。

 しかし今回、昨今のコ○ナ禍に得た情報を元に、冷静に読み返して思索してみると、本作には黒い情報やある種の心理的詐術、世界的宣伝の歴史などが見え隠れしているように思える(あるいは途中で乗っ取られた?)。

 献辞に伝家の宝刀の枕詞を匂わせることによって、一切の批判を許さないという予防線を張り、かつ読者をそれに関して思考停止に陥らせようとしている、とも考えられる(つまり献辞が3段構え)。

『ええ~!この本の魅力わかんないの!?子どもの心忘れてる~(笑)⇔星の王子さまに悪意の寓意があるなんて(怒)!なんでそんなヒドイこと言うの!この本好きなのに!大事にしてるのに(泣)!』などの無言の圧迫さえ、1人歩きして隠れ蓑になっているように感じられる。

 それでも、私は言いたい。

星の王子さまは裸だ!裸の王子さまだ!


 この本が『裸の王様』と同じ、という意味です。
 大切なことは目に見えないんじゃなくて、本当は初めから『大切なことは目に見えている(=心や体のどこかでは気付いている)』、とも言い換えることができると思います。多くの人が、この本の歴史に積み重ねられた、嘘の集団心理や、バンドワゴン効果のようなものに騙されている、行列ができているから行列に並んでいる、本当は無意識下で違和感を覚えたはずの直感に目を瞑っている、自分自身を騙している、というのが、星の王子さまに対する、私の考えです。それをこれから考察していこうと思います。


※これから考察していくのに、
・河野万里子 訳/新潮文庫
・池澤夏樹 訳/集英社文庫
・内藤濯 訳/岩波書店
・講談社英語文庫の英語版
 を使います。

~続く~