『冬と瓦礫』砂原浩太朗 集英社
『冬と瓦礫』砂原浩太朗さんの新刊ゲラを読んだ。(2024年12月5日発売されました)
神戸出身東京で仕事をしている圭介は、阪神・淡路大震災の数日後、新幹線と阪急と車と徒歩で神戸市中心部に入った。神戸の実家や親友を心配し、大量の水と食料を背負ってきたのだ。
あの日、神戸にいなかったひとに
圭介が感じているのは温度差。圧倒的な温度差を身体と心の全てを費やして感じている。それは違和感と言い換えてもいいだろう。
あの揺れを知らぬまま東京で朝を迎えた心地。河をへだてれば電気もガスも水道も街も崩壊している現実。足元に散乱している故郷の瓦礫を踏む心境。
ささやかな自分の歴史があとかたもなく、見知った人々が別人のように何かを諦観しているさまをただ見つめる。
圭介の背負う水の重さや、薬の入手の顛末、西宮北口で恩師を頼ったこと、いつまで経っても神戸弁に戻れないままの自分、どのエピソードも苦々しく、ざらざらした気持ちが積み重なる一方だ。
だが彼にどんな方策があったのか。それでも神戸に入ろうとした圭介を誰が責められるだろうか。
私の中の瓦礫
私は『冬と瓦礫』を生まれ育った神戸の片隅の喫茶店で一気に読んだ。ここで読めば免罪符になるとでも思ったのだろうか。
『その街のこども』であった圭介と私には共通項がある。”あの日”あの場所にいなかったこと。それは30年経った今でも心に沈殿している。
私たち家族は震災の起こる10数年前に大阪に引っ越した、それは”逃げ”なのか。神戸の家にいたなら、父母は婚礼箪笥の並ぶ6畳間を寝室としていただろう。家族は無傷ではすまなかったと思う。
なんらかの被害をこうむってでも、私は”真の神戸市民”たるために「あの時の神戸にいたかった」と声高に宣言しなければならないのか。
私も幼稚園からの幼馴染に「経験してへんよねー」と言われた、つい最近の話だ。進藤と圭介という対比は象徴ではない、現実だ。
「復興」した街に戻ってきた私のような人々はそのセリフをどこかのタイミングで言われる。負い目に感じているんだな、と改めて気がついた。
砂原氏の覚悟
砂原浩太朗氏は現在、時代物の名手ともいえる作家だ。その砂原氏がなぜ現代ものであり、自伝的なこの小説を世に出そうと思ったのか。
あの経験を知らない人間は神戸を語ってはいけないのだろうか。その葛藤が物語全般ににじみ出ている。
きっと砂原氏にとってもこの物語を世に問うのは相当の覚悟が必要だったに違いない。名も知らぬ著者の自費出版のような書籍では広く知ってもらえない。ここまでの実績があるからこそ全国で流通し、手に取ってもらえるのだ。機が熟したのだろう。
今までの著作とは違い、今回著者本人によるあとがきが付された。そこにこのほぼ実話を発表した心の動きを書かれておられる。実際に本を手にとってご覧になることをおすすめ。
自分の瓦礫を語りだす時
『冬と瓦礫』の中に引きずり込まれると、アスファルトから吹き出る砂が足元にまとわりついてまともに歩けない、そんな気持ちになる。晴れやかな気持ちには到底なれないお話だ。
それでも読了後「ここにいたいんや」と思ったのだ。神戸を愛したいと強く願うことができた。
さまざまな立場の人間が心をさらけ出すタイミングなのかもしれない。2025年で阪神・淡路大震災から30年だ。それぞれの距離感で語りだす時がきたように思う。
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