見出し画像

『同志少女よ、敵を撃て』 少女が戦ったのは敵か、この世の中か。

第11回アガサ・クリスティー賞大賞を受賞し、第166回直木賞候補となり、2022年本屋大賞も獲得したこの作品。これがデビュー作だとは信じられないほどの重みを抱えた作品です。

舞台は第二次世界大戦のさなかにあるソビエト。最前線で戦うソビエトの女性狙撃兵たちの物語です。
ソビエトはドイツに勝利しますが、勝者などいない。人はなぜ人を殺めるのか。そして殺戮と同時になぜ女性への蹂躙があるのか、幾つかの命題が存在するお話です。

2024年12月に文庫化されました。文庫になっても厚みとずっしりとした重みがあります。未読の方にはぜひ読んでいただきたい物語です。


『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬 早川書房


2022年の本屋大賞受賞時の逢坂冬馬さんのメッセージが痛切でした。

「私の心はロシアによるウクライナ侵略が始まった2月24日以降、深い絶望の淵にあります。(中略)私自身が書いた小説の主人公セラフィマがこの光景を見たらどう思うのだろうと考え、悲嘆にくれました」

朝日新聞オンライン より

本屋大賞は日本全国の書店員・出版関係者の純粋な投票で決定します。この作品を大賞にしたいと考えた人はウクライナ侵攻前には心を決めていたでしょう。戦火の中にいる人々の心理を、現在日本に住む人にも知ってもらいたい。そんな思いが、まさか時代とリンクしてしまうなんて、信じられない思いでした。

日本人作家による独ソ戦という視点

研究者ではない日本人が第二次世界大戦の物語を読むとすると、極東から見たアメリカや中国、ソビエトという視点が多くを占めるのではないでしょうか。
日本国内でも、空襲、原子爆弾、沖縄、特攻、満州引き上げ、シベリア抑留…卑劣や残忍、凄惨を極めました。多くの苦しみや悲しみは日本固有のもののように錯覚してしまうのです。

ここ数年、独ソ戦に関する本がベストセラーになっています。
岩波新書の『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

岩波現代文庫『戦争は女の顔をしていない

独ソ戦』は第二次世界大戦の中盤、矛先をソビエトに向けたドイツ軍と史上最大ともいわれる犠牲を払ってドイツに勝利したソビエトとの壮絶な戦いの記録です。
戦争は女の顔をしていない』は戦時中に兵士や従軍看護師またパルチザンとして戦った多くの女性たちの証言を、戦後スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが一つひとつ聞き取りまとめたものです。
発行当初、独ソ戦の勝利は華々しいものとして国民の脳裏に刻まれるべきで、女性兵士たちの生身の言葉は忌み嫌われたといいます。戦後40年を経過していようが言論統制は続いていたのですね。

同志少女よ、敵を撃て』の巻末の参考文献のページにも、上記の書籍が挙げられています。
戦時中の銃や戦車や爆撃機の写真、居並ぶ兵士のモノクロ写真を見ただけでは残念ながらそれに続く戦争の現状を想像できません。

悲惨な事実を読んでも、まるでスクリーンの向こう側のような気持ち。向こう側に追いやらなければ悲惨すぎる。直視できないからでは…自分の心理はそんな浅はかなものでした。
私は考えることすらしていなかった。

逃げの姿勢である、私のような読者にも容赦なく攻撃してくるこの小説。
日本も日本兵も出てこない第二次世界大戦の物語、ヨーロッパの東部での激戦を少女兵の視点で物語は、戦争は進みます。読者も塹壕に入り、市街戦を戦い、血みどろ泥まみれになって戦うことに。

なぜ戦争は始まるのか。人はどこで残忍な殺人鬼となり果てるのか。その無益な戦いはいつまで続くのか。その勝利は本当に勝利なのか。 そしてニュースで見聞きするウクライナへの侵攻は今に始まったものではないと知ることにもつながります。
この読書体験は、読者に新たな視点が加わることを意味するのです。

少女兵セラフィマの誕生

兵士の人生は突然戦いから始まるわけではありません。それをまざまざと見せつけるような冒頭部分があります。とある村の営みの風景から始まります、牧歌的ですらあるのです。

セラフィマは大学進学を目指す思春期の娘。描かれることが平穏であればあるほど、読者はその後に訪れるであろう惨劇を想像して、背筋を寒くします。
ソビエトに侵攻したドイツ兵の一部が、主人公セラフィマの住む村を突如襲う。家屋を破壊し略奪し、そして女性を蹂躙する。そのおぞましいできごとを猟師でもあるセラフィマとその母は村の裏山から目撃し、母もその後銃殺されます。

村内で命があったのはセラフィマだけでした。 ほどなくして味方であるソビエト赤軍が到着しドイツ兵は一掃されます。

しかし味方であるはずの赤軍、その隊を率いる女性兵士イリーナは冷酷非道でした。
女性兵士イリーナは撤退の刹那、セラフィマに尋ねます。

「戦いたいか、死にたいか。」

一度は「死にたい」と答えたセラフィマ。だがその女性兵士の指示により、セラフィマの自宅も思い出も母の遺体も、自宅もろとも油を撒かれ火を放たれます。
セラフィマの住む村は全て焼き払われたのです。この暴挙に、セラフィマは更に心に傷を負います。
女性兵士にそしてドイツ軍への燃えたぎる憎悪が噴出し「殺す!」と叫ぶセラフィマ。

その激しい感情を引き出すことがイリーナの狙いであった、とセラフィマも読者も後から気がつきます。

『同志少女よ、敵を撃て』背表紙


中央女性狙撃兵訓練学校

天涯孤独となったセラフィマは、イリーナが指揮を執る中央女性狙撃兵訓練学校に放り込まれます。そこで同様に家族や家を失った女性たちと出会いました。
彼女たちもどこにも行き場がありません。共に狙撃兵を極めるために学ぶこととなりました。
基礎体力や弾道学、政治思想、実践訓練を経て、結束も固めてとうとう本当の戦場へ、あの独ソ戦の表舞台へと、おもむくこととなるのです。

ここで出会ったメンバーで その後戦い抜きます。人物像が美少女もののようなキャラ設定なのですが、そのほうが読者も想像しやすいのかも、と考え直しました。
お人形のように美しい少女シャルロッタ、カザフスタンの黒髪のアヤ、コサックのオリガ、男装の麗人をほうふつとさせるイリーナ。
この学校内という安全な場所でも裏切りは発生するのです。穏やかな友人だと思っていた人物の本当の姿を目にしたとき、時は戦中であり一分の油断もできないと悟るのです。

初陣、スターリングラード近郊

訓練学校生は第三九独立小隊という女性狙撃兵部隊となりました。
スターリングラードを攻略するドイツ軍に歯止めをかけたいソビエト赤軍。ドイツ軍の守護につくルーマニア軍との戦いが、彼女たちの初陣です。

狙撃の腕は確かでも、人を撃ったことのない彼女たちは動揺します。しかし油断と迷いと慢心が命を奪うことを体感し、号泣しながら進むのです。
敵味方問わずたくさんの血と死を見、兵士としての覚悟をきめます。

セラフィマはそのあと一人の女性看護兵と出会い、尋ねられました。

「生理、ちゃんときてるか」

セラフィマも読者も一瞬止まります。殺戮殺戮の記述の後にそぐわないような質問。
女性を守るために戦うと上司に明言したセラフィマは、まず自分の身体を守らなければならないのです。自分を顧みなくてなにが女性を守る、だ。

女という存在は「ロシアの所有物だ」とする同僚である祖国の男どもに不快感を示すところで、セラフィマの初陣の一日が終わります。

女性兵と女性の尊厳についての小説なのか

このあと第三九独立小隊は、スターリングラードの市街戦で、物陰からドイツ兵を狙います。この街の住人であった兵士たちと同居しながらの戦いです。
自分たちの町を、ドイツ軍に粉々に破壊された人々の悔しさを読み取ります。同時に外国の町を占領したドイツ人たちの孤立無援な立場も描かれます。

この章で、読者はソビエト人にもドイツ人にも兵士ではなかった日々があったのだと、改めて気がつくでしょう。
章の最初には実在の兵士たちが祖国の家族にあてた手紙が掲げられています。だれにでも家族や自宅がある人間なんだ、と理解した上で読む狙撃爆撃の数々は更につらい。

ここには一般市民の女性たちも多く登場します。純粋なパルチザン、ドイツ兵と一線を超える女性。
みな生き延びるために、そして自分の尊厳の保持のために戦っているのです。そうせざるを得なかった女性たちを見るにつけ、セラフィマはこの戦いで女性を救えるのかと考えるようになります。

戦争が終わろうと、男たちの女性に対する行動が変わるとは思えない。
ではなんで私はこんな過酷な戦闘を続けているのか。

ここから戦争終結に向けて、さらに厳しい戦いに挑む第三九独立小隊。独ソ戦の勝利はソビエトであることは史実ですが、セラフィマたちの生死や心のありようはどうか読んで確認してもらいたいのです。

中央女性狙撃兵訓練学校にて教官イリーナが言うセリフがあります。

「敵を撃つとき、お前たちは何も思うな。何も考えるな。…考えるな、と考えてはいけない。」

『同志少女よ、敵を撃て』より


この言葉、角田光代さんの『タラント』のなかで、’ぼく’が、太平洋戦争の戦地で、そして戦後にずっと自分を戒め続けてきた気持ちと同じで、鳥肌が立ちました。

21世紀のこの世界に地獄が巡りくる恐怖

ロシアがウクライナに侵攻してからもうすぐ3年。『同志少女よ、敵を撃て』を読むと、セラフィマたちと現状を重ね合わせることでしょう。
21世紀の現在も地獄はなくならない。この世がどうなるのか誰にも見通せないことがもどかしい。
狂気の凶器ほど恐ろしいものはないのです。冷静な駆け引きがもはや通用しない事態にどう立ち向かえばいいのか、この小説はセラフィマの眼を通して問いかけています。


#同志少女よ敵を撃て   #逢坂冬馬 さん
#早川書房   #ハヤカワ文庫
#読書 #読書記録   #読了
#すいすいブックス
#suisuibooks
https://suisuibooks.club

いいなと思ったら応援しよう!