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人生に「正解の道」なんて無い

覗きに来てくださりありがとうございます。
こんにちは。こんばんは。
翠-sui-と申します。


24年間生きてきて思ったこと。
人生に「正解の道」なんて無いんだな、
ということ。

私は正直にお話すると所謂世間一般に言われる「正解の道」とはかけ離れた道を辿ってきました。

小学生の時に母からの強い勧めで中学受験するも失敗、中学生の時は初めて大きな病気を患い入院(この時の病気は今は完治しております)、高校受験も失敗し私立高校へ進学、高校生の頃にクラスメイトからのいじめに遭い、この頃は家庭環境も悪く、精神的にしんどく、大学受験どころではなく浪人することを選択、浪人するも心身に負荷がかかったのか、身体に限界が来て倒れ救急搬送され入院、勿論大学受験どころではなくなり、第1志望ではない大学に進学、大学生活で今までのストレスが一気に爆発したのか難病を患い、1年留年、その後精神疾患も発症、就職活動も困難な状況になり、大学卒業だけを目標に大学生活を送る、そしてこの春無事に卒業し、フリーターになる。

淡々と書くと私の人生はこんな感じになります。
きっと世間一般に当てはめれば「不正解」だらけだろうなと思います。

けれど、それでも何とか生きれています。
フリーターですが、将来的に就きたい職業と同じバイトをしながら就職活動している今が1番幸せです。

「正解の道」と言われる道を辿らなくても幸せという事は「正解の道」を辿ろうとしなくても大丈夫ということ。

人によっては「負け犬の遠吠え」だと思われそうですが、それでも冗談抜きに心の底から「今が1番幸せ」だと思っています。

けれど、それは私1人だけの力ではなくて、沢山の周りの方々の支えがあったからこそここまで辿り着けたのだと思います。

この道を辿ってなかったら今の自分は居ないと考えると、この道を辿ることは運命だったのだろうなと思います。

きっと世間一般に言われる「正解の道」を辿らなくても人は幸せになれると思います。

人生に「正解」も「不正解」もありません。

自分が辿ってきた道がどんな道だったとしても、それが自分に用意された自分にとって必要な道のりなのだと思います。

色んな道を辿る中で「苦しいな」とか「辛いな」と思ったら逃げ道や抜け道を辿れば良いし、「穏やかだな」とか「良いな」と思ったらその道を辿って行けば良いのだと思います。

よく「神様は乗り越えられない苦しみは与えられない」という言葉がありますが、実はその言葉には続きがあって「そのなかで逃れる道を与えてくださる」という言葉があるんです。

この言葉の続きは有名な医師である日野原重明先生の著書『生きていくあなたへ』という本で知りました。

だから今歩いてる道が辛かったら逃げて良いんです。
神様が「別の道に逃げて良いんだよ」と言ってくださってるのですから。

もう別の道を探して辿る体力も残ってなかったら、一旦立ち止まって道の真ん中にテントを張ってテントの中でゆっくりお休みすれば良いと思います。

ゆっくりお休みしている内にきっと別の道が見つかると思います。

別の道が見えて「あ、今度はこの道にしようかな」と思った時にその道を辿って行けば良いんです。

現実の道でも目的地に行くまでの「最短ルート」や「大通り優先ルート」はあっても「正解のルート」「不正解のルート」ってありませんよね。

どんなルートでも最終的には目的地に辿り着ければそれでOKだと思います。

人生も同じことだと思うんです。

人生の目的地は「地位や名誉を得ること」でも「結婚して子どもを産むこと」でもなく、「自分自身が幸せになること」ただそれだけだと思います。

「幸せ」の形は人それぞれで、それまでの道のりも人それぞれだと思います。

色んな道や「幸せ」の形があって良いんじゃないかなって私は思います。

私は人生で叶えたい夢があるので、それが目標ではありますが、今が1番幸せなので人生の目的地には辿り着けたのかもしれません。

もしかしたら夢を叶えられた時にまた更に素敵な目的地が待っているのかもしれません。

現実でも日によって目的地が変わるように、人生における目的地である「幸せ」の形も変わってくると思います。

何も大きな「幸せ」でなくても良いと思います。
小さな「幸せ」もまた人生の目的地の1つなんじゃないかなと思います。

例えば、「散歩中に小さな綺麗なお花を見つけた」とか「今日は好きな音楽を沢山聴いた」とか「今日は沢山お休みできた」とかでも十分素敵な目的地だと思います。

人生の目的地は「自分自身が幸せになること」。

皆様の目的地(幸せになれること)はどこでしょうか?


最後までお読みくださりありがとうございました。


翠-sui-

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