- 運営しているクリエイター
2018年4月の記事一覧
( この物語は98%が実話である )
賑やかな夜のネオンがぼくを通り過ぎ、ほてほてと渋谷駅へ向かって歩く。ダイヤモンド社の竹村俊助さんが主宰する10万部会議の飲み会には参加せず、体調が優れず後ろ髪を引かれながら家へ。
しかし最寄り駅で降り、家とは反対の方向へ歩を進める。ここ数年来行きつけの小汚い中華料理屋へと入った。席に着くとメニューを見ることもなく、担々麺と炒飯のセットを注文する。
料理を待っているあいだ、ほぼ日のアプリを開いて
頼もしいぞ、電子書籍。
うーむ、まだ慢性的無気力の霧が晴れない。心が体が思うように動いてくれない。もったりとした沼の底でひっそりと引きこもる河童にでもなった気分である。河童たちはどんな毎日を送り、どんな気持ちで過ごしてるんだろう…。このまま、芥川龍之介の短編小説『河童』のように物語の世界へずぶずぶと沈んでゆきたい。
…などというアホなことを考えているあいだにも、原稿の〆切期限は迫ってくる。ディスプレイの右上の表示されて
ことばの世界は、そうぞうの世界。
ことばの世界のなかでは、空を飛ぶことができる。
ことばの世界のなかでは、死んだ人と遊ぶことができる。
ことばの世界のなかでは、深海魚になることができる。
ことばの世界のなかでは、太陽で暮らすことができる。
ことばの世界のなかでは、人類さいごの夜に立ちあえる。
ことばの世界は、そうぞうの世界だ。
なにからなにまで、いちいち、自由だ。
自由すぎるから、ことばを使うぼくらは、ずいぶんと遠慮
なんでもない日、おめでとう。
ぼくはときどき、このことばを見つめる。いつもではない、ときどきだ。
ちょっとめくらないと見えない、隠れていることば。いつも目に入ってこない、控えめなことば。その佇まいにやさしさを感じる。
なんでもない日、おめでとう。
父を亡くしてからというもの、なんでもない日のことをよく思い出す。東京に上京してきたとき、松屋でデミグラストマトのハンバーグを隣り合わせで食べた日のこと。空港から実家へ帰る道中、
目的なく、受動的、もありじゃない?
目的って、ほんとうにいるの?
目的なんて、いらないんじゃないの?
かくゆうわたくしが、目的なるものを大切にこれまでの人生を送ってまいりました。こうして一人の人間として生まれたからには、この人生にはなにかしらの目的があるのではなかろうかと思い、いや信じて生きてきたような気がいたします。
しかし、2018年4月5日現在。目的なんてない、もう少し正確には必要がないのではないかという仮定的結論に至って
思いを考えに変えてくれる魔法の道具。
今宵は一人きりの夜だ。いつもにも増して、ゆっくりとした時間が流れる。はじめはビートルズの『Abbey Road』、いま流れているのはビル・エヴァンズ・トリオの『Waltz for Debby』。やさしいピアノの音色が部屋の空気を心地よく震わせている。
ツイッターを覗いては、とあるつぶやきに涙をにじませ、こう( 大きな声で )つぶやいたり…
ゆるやかな時間の流れのなかでとりわけ多くの時間を費やし
ことばにならない思いだって、きっと伝わっているよ。
大勢の人が忙しなく行き交う帰宅ラッシュ真っ只中の目黒駅。スマホをかざし改札を通り抜けるか抜けないかの一瞬。すえきち〜、という低めの声が背後から聞こえた。突然のことに体がビックリしたのか、むせるように咳き込みながら駅構内に振り向く。そこには懐かしい、ひげ姿の男性が立っていた。
内山龍一さん、ウッチー改め、りゅう。( うっちーはひらがな表記だったかもしれないし、リュウはカタカナ表記なのかもしれない。