やるせなさの声。
二日酔いの朝。頭のなかには深い霧がかかり、体は鉛のように重い。二度寝三度寝と夢の世界と現の世界を行き来している。いつもは気持ちよく射し込む太陽の光を半開きの目で恨めしそうに眺める。朝なんてやって来なけりゃいいのに…。
昨夜は仲のよい同世代の夫婦と自宅で食事。気がつくとスパークリングワインの空き瓶とアサヒスーパードライのヘコんだ空き缶が机の上に6つ並び、日付も変わっていた。和気あいあいと楽しく、というよりも、お互いのこれからについて真剣に、語り合っていた記憶が残っている。
そんなぼんやりとした記憶のなかで、こんなはっきりとしたフレーズが頭のどこかにこびりついていた。
バッキャロー、コノヤロー!
じぶんのなかにあった、"やるせなさ"が声を荒げていたようだ。
父が突然亡くなったことに対する痛みや悲しみは、まだ十分には癒えていないようで。ぼくの体なのか心なのかのどこかに潜んでいて、ほんとうは、こう弱々しくつぶやいていたみたいだ。
こんなときに仕事なんてやってられないよ…。
どれだけ辛いと思ってると思ってるんだよ…。
そんな小さな声に気がつく前の前に、常識的なぼくがこう説得を図っていた。
でも、そんなこと言っちゃダメだよ。
たとえそうだったとしても、やらなくちゃダメなんだよ。
そんなわがままを言っちゃダメだ。
そうして、やるせなさの声はぼくの頭に届いてこない。行き場を失った彼は、また体なのか心なのかのどこかにおずおずと隠れてゆく。
そんな彼が昨夜、声を荒げていたのだろう。
ぼくは彼を「うるさい!」なんて、怒る気にはなれない。隣に座って肩を抱いてあげたい。彼の声に静かに耳を傾けてあげたい。一緒に涙を流したい。
「そうだよね…。ぼくもそうだよ…」
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ヨノナカ的にネガティブと分類される心の声は、いつの間にか亡き者にされていることがありますよね。いつもじゃなくてもいい、だけど時折、よぉく耳を傾けてあげたいものです。
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