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誰もが偏見まみれの世の中で / 「プライドと偏見」
19世紀のイギリス文学といえば、チャールズ・ディケンズを筆頭に「フランケンシュタイン」や「闇の奥」などがすぐ頭に浮かぶものの、なぜか英文科の連中はジェーン・オースティン「プライドと偏見」やブロンテ姉妹のような、女の自立がテーマの作品をいつも"読まされていた"ように記憶している。こうした作品は今ではイギリスの誇りである。世間に反抗するような小説の評判が良くなるとそれを自前だと威張るのだから、国家とは常に図々しいものだ。
2005年の映画「プライドと偏見」は、もう何度目か分からないほど映画化されている小説が原作だ。ところが、こうした"文学映画"はそれなりに集客が見込める上に、失敗が許されないジャンルなので、俳優たちも含めて気合が入っている。「スター・ウォーズ」シリーズ作品に出演して顔を売ったキーラ・ナイトレイは、本作の演技で人気を不動のものにした。僕にすれば、グレープフルーツをかじった直後みたいな顔の女優だが、美人であることに変わりはない。
主人公エリザベスの姉ジェーンを演じた女優はロザムンド・パイク、「ゴーン・ガール」のあの怖い女だ。こうした映画に"お約束"のジュディ・デンチや、当時若手の俳優だったルパート・フレンドなど、イギリスを代表する俳優たちが揃っているので安心して観ていられる。ただ、19世紀の貴族の物語なので眠いだけだが、たまにはこうした映画も悪くない。実際に本作は全世界でかなりの興行収入を得た。原作が好きな女も多いし、主演のキーラがとても良かったことも影響しているだろう。ちなみに、なぜか日本語ではナイトレイと表記されているが、これはナイトリと発音する。英語もよく分かっていない者がなぜ洋画に関わる仕事をしているのだろう。
僕は特に姉妹の父親を演じたドナルド・サザーランドの演技が好きだ。名優と呼ばれる人物は、漂うオーラが違う。その妻、つまり姉妹たちを結婚させようと必死になっている母親はブレンダ・ブレッシンがうまく演じていた。「リバー・ランズ・スルー・イット」の母親役の女優である。「若者のすべて」における母親ロザリアと同様に、こうした物語では母親が世間に合わせようとするあまり、子どもたちにとって害悪となっている様が描かれている。年を重ねると世に慣れてしまい、それを変革しようとする気を失ってしまうことの表れだ。日本語では少し前に"毒親"という単語が流行ったものの、あの単語が指しているものは母親の依存気質であったり精神病に由来するところが大きい。「プライドと偏見」などで描かれる親と子の相剋とは、子は慣習に反発する一方、親はそれに慣れきっているということだ。子が変わればやがて世間は変わる。だから本来の教育とは、教師や先輩にハイと返事をすることではない。
Amazonプライムで「シビル・ウォー アメリカ最後の日」なんてくだらない映画を観ている暇があるなら、「プライドと偏見」のような文学映画を観ればいい。文学を読んだ気にもなれるし、一石二鳥である。特に本作は、原作の会話文をよく再現しているので"いかにもイギリス"な言い回しの連発も楽しむことができる。
蛇足になるが、キーラはプレミアリーグに所属するウェストハム・ユナイテッドの熱烈なファンである。ヒッチコック監督も生前は"ウェストハムきちがい"として有名だった。僕は若い頃、父親がロンドン土産として買ってきたウェストハムのウインドブレイカーを着ていたので、なんだか親近感のわくチームである。