きょう、秋分。 ああ、涼しい…! 長かった2024年の夏が終わり、ようやくホッとできた感じがする。太陽が本気を出しすぎていた夏の間は、このnoteもまったく更新できていなかった。 久しぶりにnoteを開いたのが、つい数日前のこと。私の過去について取材を受ける機会があり、その時に前回の記事(三ヶ月前)を読んでみた。 あれ? なんか違うぞ。けっこう違う。 これを書いたのは本当に私かと疑うほど、自分でも妙な違和感があることに気づいた。 暮らしとしては、同じ延長線上にあ
今日は夏至。 昨年の夏至の日にnoteを書きはじめているので、ちょうど一年が経ったことになる。 勇気を出して自己開示の一歩を踏み出したあの時から一年、私は何がどう変わっているだろう。 せっかくなので、このタイミングで少し振り返ってみることにした。 *** 自己開示の怖れがなくなってきた 最初の投稿は、こんなタイトルだった。 この時は、「読まれなくていい」とエクスキューズをつけないと、何も書けないような気がしていた。この時も書いているが、私の頭には物心ついた時から
北杜に移住して三回目の春がやってきた。 街の桜はちょうど満開。我が家の庭の植物たちも続々と芽吹きはじめ、虫もカエルもモゾモゾと動き出している。 「やっと暖かくなりましたね」とか「お花見はされましたか」とか、ご近所の方々と声を交わしたり、甥や姪の入学式の様子が写真で送られてきたり。 春はやっぱり何かと嬉しい気持ちになる。 …が、一方で、この季節は昔からメンタルが不調になりがちだった。 ひとことで表すなら「焦燥感」。生き物としての自然な衝動なので、動き出したいという気持
このnoteでは私自身の内面に起きた「気づきの遍歴」を過去から振り返ってきていたのだが、つい最近自分で少し読み返してみて、そういえば「触れてこなかった事柄」があったことに気がついた。 当時の私にとっては意味ある大きな気づきが起きていたのに、noteでまとめる際にはその部分をスルーしていたのだ。 この触れてこなかった事柄、「インテグラル理論」との出会いについて、いまの思いを書いておくことにした。この内容をスルーしていたことにも背景があった気がするので、そのあたりも含めて振り
遅ればせながら、2024年最初のnote。 前回、年末のnoteで「思考の大掃除をしている」と書いたのだが、それのおかげなのか、たしかにかつてなく「軽い」状態で年をスタートできた気がする。 気持ちは軽いものの、年明けからしばらくはソワソワと落ち着かず(そういう人多いはず)… noteについても更新がかなり空いてしまったが、今日は立春。よい区切りでもあるので、書いてみようと思う。 テーマは「魂の本分」について。 私自身がこの人生で何をする係なのか、ということだ。 数年
早いもので、今年もあと数日。 大掃除に勤しみつつ、振り返りモードの日々を送っている。 というか、振り返りモードはいまに限らず、だったかもしれない。 今年は自分の内面や魂の本質と向き合っている時間が相対的に多かったと思う。数年前からこれまでの価値観が大きく崩れてきて、新しい形に再構築されつつあることは確かだけど、いまだその新しい形を具体的には表現することができないでいる。絶賛、模索中。 久しぶりに友人に会ったりすると「なんかいつも美味しいもの食べてるよね」とよく言われる
前回書いた過去世についてのnoteで、二年前のスピリチュアルスクールでの学びのことに触れている。 過去の「気づきの遍歴」の中では、最も大きく変化をもたらした出来事と言えるかもしれない。 *** スピリチュアルを「学ぶ」ということ 2021年の春から半年間、ワンネスインスティテュートの「国際認定スピリチュアリスト集中講座」を受講した。 *この講座を経て、私もカウンセラーとして認定していただいている ↓ スピリチュアルスクール、しかもそれなりに勇気がいるレベルのお金が
今回は「過去世(前世・過去生)」をテーマに書いてみる。 以前、宗教についての話をnoteに書いたときに、過去世のことについても触れたことがある。現世ではなく、過去世でのトラウマ(宗教者としての失望)に気づき、癒すことによって、いまの自分が少し生きやすくなりましたよ、という話だ。 このときは割と唐突に過去世のことを書いたので、その背景についても記しておくことにした。過去世の概念に腹落ちしてうまく付き合えるようになったことは、いまの私が振り返ってもかなり大きい出来事だったよう
秋分の日を前に、北杜でも一気に秋の気配が漂ってきた。 以前、出産についてのnoteを書いたのがちょうどひと月前くらい。 長い長い残暑の間、子どももぐんぐん成長しており… 最近では、外気浴がてら近所の滝にも連れていけるようになった。 滝のホワイトノイズ効果のせいか、まだ彼は眠ってばかり。でも、私としてはしみじみと感慨深かった。 「この子と、これからこの場所で生きていくんだな」と… *** 北杜で感じてきた「引力」 八ヶ岳の麓、山梨県北杜市に移住して一年半が経った。
私の人生の大きな転機となった「レイキ」のことについて、引き続き書いていく。 2013年にレイキヒーリングを受けてから7年のブランクを経て、2020年の秋。いよいよレイキのアチューンメント(伝授)を受けることになった。 前回はこちら。 過去の話なので、なぜいまさら…という気持ちもなくはないのだが、実際にnoteにして公開してみると、知り合いのなかでも意外な方からの意外な反応があったりするのが興味深い。こうしたテーマの話題を、内に留めておくだけでなく、外に出したい気持ちにな
前回はまた少し脱線したけれど、ここまでのnoteでは私が「スピリチュアル自己検閲」をかけてほとんど対外発信せずにおいた出来事たちを拾い上げつつ、「気づきの遍歴」としてまとめて書いてきている。別に私の何かが急に変わったというわけではなくて、自分の中にそもそもあった大事にしているものを順番に出していっているという感じだ。 今回は、この自己検閲に引っかかって表に出さずにしまっておいたものの筆頭である「レイキ」についての話を書いてみたい。 実は、私のホロスコープ鑑定のウェブサイト
noteの更新が少し空いてしまった。 というのも… 先日、はじめての子どもを出産して、ちょうどきょうで三週間になったところで、さすがにバタバタしていたのだった。 4290gのビッグな男児が誕生した。想像以上に大きく育ちすぎていたので自然分娩が難しく緊急帝王切開となったものの、産後の経過は母子ともに順調なほうではないかと思う。 自分が「母」になった実感があるのかというと、まだよくわかっていない。目の前にいるプニプニ&ズッシリの赤ちゃんはとてもかわいく感じるし、夫ともども人
前回のnoteは少し時系列からは外れた話になっていたが、あらためて「気づきの遍歴」として振り返っていきたい。 2019年夏に半年間のカウンセリングを受け終わり「この時期を明確に境として、私のライフシフトが急加速していった気がする」と書いたのだが… それは本当にその通りで、まずその直後くらいから、何かの扉が開いたように、なぜかいざなわれたのがホロスコープ(西洋占星術)だった。 私がいま、仕事として手がけるまでになったホロスコープ。 https://takiayako.s
先日、中学高校時代の友人が、最初に書いたnoteを読んで感想をくれた。 「なんだか涙が出ちゃったよ」と。続けて彼女がくれたのは、私にとって宝物のような言葉たちだ。いつも胸の中にしまっておいて、時折取り出しては眺めたくなるような。思いがけない、ありがたいプレゼントだった。 さて、その彼女と対話していたなかで、ふと思い出して、いま書いておきたくなったテーマがあった。 「宗教」のことだ。 多くの日本人と同様、私自身も家族もいわゆる「無宗教」と自認してきたが、このテーマについ
これまで、「気づきの遍歴」として、20歳での滝との出会い、30歳での坐禅修行のことについて書いてきた。 いま振り返ると、これらはあくまでもプロローグ的なものであり、まだまだ自分自身の道につながるには遠いものだった。方向性としては「いい線いってる」のだけど、先に進むにはパーツが全然足りていない、というか。 その「足りなさ」を強烈に実感したのは、36歳の誕生日を迎えた2018年のことだった。 何が足りなかったのか、というと… 自分自身への思いやりが足りていなかったのだ。
夏至にこのnoteをはじめて、10日くらい。 二つの記事を書いただけ、まだほんの短い期間なのだが、自分自身の変化を強く実感している。 誰かと対話するとき、明確に「楽」になったし、より「楽しく」なった。それまでも無理をしていたわけではないし、ちゃんと楽しかったと思うのだけど、グッと軽やかさが増した気がしている。無意識でキャップをかけていた部分が外れたという感覚。この感じ、ちゃんと覚えておきたい。 さて、前回に続いて、「気づきの遍歴」を振り返っていこうと思う。 「滝との出