北杜に導かれた意味 Connecting The Dots
秋分の日を前に、北杜でも一気に秋の気配が漂ってきた。
以前、出産についてのnoteを書いたのがちょうどひと月前くらい。
長い長い残暑の間、子どももぐんぐん成長しており… 最近では、外気浴がてら近所の滝にも連れていけるようになった。
滝のホワイトノイズ効果のせいか、まだ彼は眠ってばかり。でも、私としてはしみじみと感慨深かった。
「この子と、これからこの場所で生きていくんだな」と…
***
北杜で感じてきた「引力」
八ヶ岳の麓、山梨県北杜市に移住して一年半が経った。
移住先がなぜ北杜だったのか、というのはよく尋ねられるので、過去の(滝ガールの)ブログでも記している。こちらは表向きの、わかりやすい答えといえるかもしれない。
「北杜には大好きな滝があり、生活に求める諸条件が揃っていた」というのは、確かにその通りだし、とても重要なことだ。それだけでも十分に移住の理由になりえたと思う。
とはいえ、私の場合はもっと根源的に、強い「引力」のようなものが存在していた気がする。これまではうまく表現できなかったが、北杜においては「見えない力に導かれている」と思わされるような、スピリチュアルな体験やセレンディピティも多かったのだ。
そのあたりのフワッとした出来事も含めて、北杜とのご縁を振り返ってみようと思う。
30歳の誕生日 夢に龍が現れる
最初にその引力を感じたのは、もう10年以上前のこと。30歳の誕生日だった。
このnoteでも書いた坐禅修行を体験する、少し前のタイミングになる。
2012年当時、私はひとり旅に目覚めていた。
20代はひたすら酒を飲んでシェアハウスで賑やかに過ごしていたのに、30歳を前にいきなり別人になったように「ひとりになりたい」「自然の中にいたい」「静かに過ごしたい」というモードに切り替わってきていたのだ。
そんなわけで、記念すべき30歳の誕生日には有給休暇をとって三日間のおひとり様旅に出かけていた。その旅先がまさに北杜(小淵沢と清里)だった。
なぜ北杜だったかは、記憶にない。行ったことのない滝があるから、といったごくシンプルな理由だったはずだ。
ただ、このときはじめて訪れた小淵沢の大滝神社、そして清里の吐竜の滝に、なぜか強く惹かれたことを覚えている。
その頃つけていた日記に、その感動も記録している。「こんなに穏やかで、心が落ち着く場所があったんだ」と。この素晴らしい場所で30歳を迎えられたことに、とにかく感謝したい気持ちだったようだ。
もう一つ強く印象に残っていたのが、ホテルで寝ている時、夢に「龍が現れた」ことだ。
日記によると、赤い龍(火の龍)がしばらく沈黙しながらこちらを見つめていて、最後にその龍がニヤリと微笑して去っていった…(そこで目が覚める) という。
その龍は別に何も語ってはくれなかったようだし、夢としては「だから何?」という感じなのにも関わらず、妙に明晰で、印象に残っていたらしい。龍が出てくる夢というのも珍しかったし、その龍にはなぜか人間っぽいユーモアがあって不思議な親近感を醸し出していたからかもしれない。
このときは龍の夢だけではなかった。夢から覚めてしばらくすると、さらに唐突に頭の中に「アルクトゥルス」という言葉も浮かんできたのだ。
聞いたことが、あるようなないような。妙に気になってスマホを取り出して検索してみたところ、アルクトゥルスはうしかい座の一等星の名前だという。
星のことは全然興味がないし(私がホロスコープをやりはじめるずっと前のことだ)、知識としても持っていない。なぜその星の名前が浮かんできたのか謎だったが、もう少し調べていくとスピリチュアルな誰かのブログが出てきて、そこには「アルクトゥルス人が地球に転生してきている」とある。
当時はまだスピリチュアル全般に苦手意識があり、「宇宙人?そっち系はちょっと勘弁」と、それ以上は深追いしなかったのだが…
ともあれ、この場所に何か縁がありそうだというのは最初から感じていたらしい。いつもと違うアンテナが立った、チャネルが開いた、そんな感覚。
実際、それはその通りだったのだろう。
この場所が私にとっての聖地というか… スピリチュアルな感覚を目覚めさせるような、何かしらの効果があったのだと思う。
(「アルクトゥルス」についても当時は意味不明だったが、その後も何度かキーワードとして現れてきて、いまとなっては「なるほど」と思えるようになっている)
ご縁があるかどうかの 「賭け」
スピリチュアルな話題はさておき…
この30歳の誕生日以来、小淵沢から清里までの八ヶ岳南麓エリアをすっかり気にいってしまった私は、何度もここに旅するようになった。東京からも日帰りで行ける距離だし、滝も美しい、美味しいものもたくさんある。
そのたびに心地よい時間を過ごしてきたものの、この場所に「住む」ところまでイメージとして湧いてくるのは、ずいぶん先の話だ。
それが、2019年。noteでも触れたが、人生の大きな壁にぶち当たってカウンセリングを受けていた頃だった。
このnoteの最後に「霧が晴れるように進むべき方向性が示されるようになる」と書いているのだが、その方向性のひとつが、まさに北杜への移住のことだった。
勤めていた会社がリモートワークを推進していたこともあり、まずは北杜での二拠点居住を考えはじめていた。中古の別荘とか、安く買えたりしないだろうか、と。しかし、とっかかりが何もない。まずは詳しい方に話を聞きにいこう、ということで、移住支援をしている方をネットで探し、現地でアポイントを取っていたのだ。
ところが、そのアポイントの前日、関東地方に記録的な大型台風が直撃してしまう(各地に大きな被害をもたらした2019年10月の台風19号のことだ)。翌日は台風一過の快晴ではあったものの、東京から北杜まで向かうには交通状況はかなり厳しそうだった。鉄道(中央線)は運休になっていたし、高速道路(中央道)も不通になる可能性が高い。
夫は諦めるつもりだったようだが、私はそれを振り切り「賭け」に出てみることにした。
「こんな日にもし現地に行けたとしたら、北杜には本当にご縁があるということかもしれないから」と。別にそういうジンクス的なものをいつも信じているタイプでもないのに、なぜかその時はそう思ったのだ。
とりあえずクルマで出発すると、案の定、中央道は大月あたりで通行止めになっていた。そこでいったん一般道に降りて、Googleのナビに従って山道を進む。山道も何度か通行止めに阻まれるが、そのたびに私は粘り強く別ルートを検索して進み続けた。
田んぼの脇、民家の脇の細い道までもひたすら通り抜け…
なんと、通行止めの向こう側の高速道路にたどり着くことができてしまったのだ。北杜でのアポイントにも間に合って、先方には「どうやって来たんですか?」と驚かれた。
結果的にこの「賭け」が、北杜移住という道を開いてくれたことになる。
大きな流れに導かれている
その時の打ち合わせでは「二拠点居住は現実的ではない」ということがわかったのだが(コストが見合わない)、この時点で現地での情報収集ができたこと、相談できる方とつながれたことが大きかった気がしている。
翌年、思いがけないコロナ禍のなかで私も会社を辞めることになり、東京に縛られる理由がなくなった。次の仕事はリモートをメインにすればいいし(夫はもともとリモートの仕事だった)、それならばいっそ完全移住でもいいじゃないか、だが北杜には賃貸物件がほとんどない、それなら土地を買って家を建ててしまおうか…と。
そうと決めたら、わりとあっさり土地も見つかった。希望していた立地、あり得ないほどの超安価だった。設計士さん、工務店さんとの出会いも含めて、そこからあらゆることが勢いよくスムーズに決まっていった。着工後もウッドショックや半導体不足といったピンチもありつつ、何かと運のいいタイミングで切り抜けてこられていた。
特に縁がなかった土地にいきなり家を建てて移住する、というのは普通はなかなか思い切った決断だ。夫も私もフリーランスだし、将来の心配をしようと思えば、その要素はいくらでもあっただろう。
でも、おそらく私にはどこかで自信があったのだと思う。あの時、北杜への道がつながっていたのだから、と。
***
そうしてはじまった念願の北杜での生活は、「しっくり」という言葉そのものだった。ここでようやく私は自分らしい生き方と向き合う余裕ができるようになる。
そして、この場所でなら子どもを育ててみたい、と自然に思えるようになったのだ。
(もともと子どもを持つことに前向きではなかったことは以前のnoteでも書いている)
逆に言うと… 私は北杜でしか子どもを生めなかったのかもしれない。
あるいはむしろ、彼(息子)自身が「生まれたい」から、親になる私たちを北杜に連れてきたのでは?…という気すらしてくる。
とにかく、北杜に来たことと、子どもが生まれてきたことについては、どちらも大きな流れに導かれている、そんな感覚が強かった。
ママ友も引き寄せる
そういえば直近でも、この大きな流れを感じる出来事があった。今回の出産でも「引き寄せ」のようなことが起きたのだった。
北杜市内には産科のある病院がないので(助産院ならある)、出産は甲府の病院でお願いした。入院中の私はずっと人見知りを発動していたので、他のママとの交流はほとんどなかったのだが、唯一少しだけ言葉を交わしていたのが、同じ病室で、一日違いで出産したSさんだった。
Sさんが一日早く退院する際、ご挨拶がてらの立ち話で何の気なしに「おうちはどちらですか?」と尋ねてみたところ、「北杜市」だという。なんと。甲府の病院なので、そもそも北杜市から来ていることが相当珍しいのだ。さらにどのあたりか聞いてみると、まさかの歩いていけるほどの超ご近所さんだった。北杜市といってもかなり広いし、ピンポイントすぎる偶然である。お互いに驚いた。
連絡先を交換して、退院後もやりとりを続けていると、Sさんと私は同い年だということも判明。山梨ではなかなか出会えなかった高齢出産仲間だ。いろいろ話してみると、なんだか価値観も似ている気がするのが嬉しい。
北杜だからこそ出会うことができた、私にとってはじめてのママ友。もうすでに心強い存在だし、ここから何かがはじまっていく予感もしているのだ。
Connecting The Dots
北杜にご縁を感じた出来事について、ずいぶん昔のことまでさかのぼって書いてきてみた。10年以上前の日記も振り返った。
未来の象徴のような赤ちゃんがスウスウと寝息を立てている横で、過去についてあれこれ振り返るというのもどうなのだろうと思ったりするが、むしろこれがいま私のすべきことだ、という直感がある。
スティーブ・ジョブズが言った「Connecting The Dots」。過去を振り返って「点」(人生におけるさまざまな出来事)をつないでいくことによって、それぞれの点の意味の深さが見えてくるというものだ。
こうしていま北杜にまつわる点たちを振り返り、点と点とをつなげて、北杜に導かれたことにどんな意味があったのだろうと考えてみると…
一番強く浮かび上がってきたのは、子どもと共に歩む自分の姿だった。
何をするとか、親子がどういう関係性でありたいとか、具体的に思い浮かんでいるわけではなくて、いまはただ、共に歩んでいきたいという気持ち。この想いは、妊娠中よりも出産直後よりも、日毎に増していっている。
これは私としては、ちょっと意外なことでもあった。
というのも、自分の人生に子どもが関わってくることについて、少し前まではほとんどイメージできなかったから。これまでの人生の延長線上で考えていたら、この道にはたどり着くことができなかったはずだ。
意味ある点と点をつなぎあわせたとき、想像もしていなかった飛躍が起こり、新しい次元の道が開けるようなことがあるのだろう。
自分自身の魂の本質が変わったいうわけではなく、魂の本質の顕れ方にバージョンアップが起きたという感じかもしれない。
***
私の人生を大きく変容させるきっかけとなった、この北杜という場所。
これからは私と子どもとが、共に歩む場所となっていく。
歩んでいくなかで、お互いにさまざまな意味ある「点」を生み出していくだろう。どんな点が、どのようにつながっていくのかわからないが、いずれ振り返ったときに「そういうことだったのか」と納得できることが楽しみでもある。
だからこそ、未来の「点」になりうるであろう自分の心の微細な動きを、毎日ちゃんと味わっていきたい。せわしない日々であったとしても、いまを見つめるその感度だけは、鈍らせてはいけないのだと思ったりしている。