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インナーチャイルドの癒しがもたらしたもの

これまで、「気づきの遍歴」として、20歳での滝との出会い30歳での坐禅修行のことについて書いてきた。

いま振り返ると、これらはあくまでもプロローグ的なものであり、まだまだ自分自身の道につながるには遠いものだった。方向性としては「いい線いってる」のだけど、先に進むにはパーツが全然足りていない、というか。

その「足りなさ」を強烈に実感したのは、36歳の誕生日を迎えた2018年のことだった。

何が足りなかったのか、というと…

自分自身への思いやりが足りていなかったのだ。

今回はこの足りなさを埋められるようになった時の話について、書いておきたいと思う。

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 「魂の暇問題」に直面する

当時、仕事ではそれなりに認めていただき忙しく駆け回っていたし、プライベートでは友人と楽しく過ごしたり、相変わらず滝に出かけたりもできていたし、パートナー(現在の夫)と一緒に暮らしており生活としてもまあまあ安定していた。病気や失職など、わかりやすい大きな挫折があったわけではない

なのに、この先の人生が見えない壁で塞がっているような気がしていた。自分の中から確実に何かしらのアラームが発されている。そのことが直感的にわかったものの、自分でも何が要因なのかが、見当がつかない状態だった。

あまりに漠然としたモヤモヤだったので、友人に相談するのも、ためらわれていた。そもそも、もっとシビアな事情で悩んでいる人もいる、客観的にはどう考えても私は恵まれているほうだ… そう言い聞かせていたように思う。いまの自分なら、他者と悩みを比較することがいかに無意味なことかというのはわかるのだが、その時はそれでなんとかやり過ごそうとしていた。

が、実際のところは、全然やり過ごせていなかった。

普通に日々を過ごしているなかでも、時折いきなりプツリとエネルギーが切れてしまうことが多くなっていく。

36歳、年女。平均余命で考えたら残りの人生が半分以上あるというのに「先が見えちゃったな…」「もういいか…」という、厭世的な感覚を頻繁に抱くようになってきてしまったのだ。

以前、坐禅修行の際に「人生はゲームだ」という気づきがあったと書いたのだが、この時点で私はそれまで遊んでいたゲームに飽きてしまっていたと言えるのかもしれない。RPGゲームでたとえるなら、マップ上の行けるところは行き尽くしてしまった感じ。あてもなくマップを歩きまわる元気もなくなってきてしまったし、なんとなくしんどい。

人生はゲームなのに、ゲームをちゃんと遊べていないストレス。

このままでは、魂が暇すぎる

私はこの状態を「魂の暇問題」と名付けていた。こうして暇を持てあましながらただ老いに向かっていくのは、どうにも受け入れがたかった(この問題については当時パートナーにもチラリと話してみたものの、まだあまり共感を得られず…という感じだった気がする)。

「HSS型HSP」の専門家

このゲームには何か裏技があるのではないか、別ステージに通じる道があるんじゃないだろうか… とも思っていた。

とはいえ、何をすればいいのやら… そう考えていた時、友人からあるカウンセラーを紹介された。何をどのような文脈で彼女に話したのかは覚えていないのだが、何かピンとくるものがあったのだろう。

そのカウンセラーさんは、時田ひさ子さんという方。その友人の友人であり、彼女もカウンセリングを受けたことがあってとてもよかったらしい。

時田さんは、HSS型HSPの人専門のカウンセリングの第一人者だ。「HSS型HSP」という言葉も、いまは一般での認知度も高くなってきたが、5年前の時点だと、まだそれほどメジャーではなかったと思う。

生まれながらに高度な感覚処理感受性を持ちながら、一方で、刺激を求める  ハイリー・センシティブ・パーソン(Highly sensitive person, HSP)で かつ、ハイ・センセーション・シーキング(High Sensatio Seeking、HSS)である人のことです。HSP研究の第一人者 心理学博士エレイン・N・アーロンの研究によると、HSPは人口の約20%を占め、さらにHSS特性を併せ持っているのはその30%。つまり、20%×30%=6%が、感受性豊かで繊細で傷つきやすく、かつ新たな刺激を追い求めるHSS型HSPであるといいます。

HSS/HSP LABO

意識したことはなかったが、時田さんのブログに書かれていたHSS型HSPの特徴に、私はほとんど当てはまっていた。友人はそれを見抜いていたのだろう。専門家のカウンセリングという手段は自分では思いつかなかったのだが(基本的にあまり信用していないところがあるので…)、この方なら私のこの漠然とした状態でも話を聞いてもらえるのかもしれない、と思えた。

これもご縁だと感じ、さっそく個人セッションを申し込んでみる。彼女のセッションはすでに大人気だったので、実際にお会いしたのはその3ヶ月後くらいだったと思う。

はじめてのカウンセリング

初回カウンセリングは、仕事のこと、体調のこと、実家の家族のこと、パートナーと結婚するかどうか、子どもを産むかどうか… 当時の私が現実に直面していた状況を全般的に聞いてもらい、それぞれの問題においてHSS型HSPの人ならではの壁にぶつかりがちなのだということも教えてもらった。

私は人から相談されることの方が多く、ここまで自分から人にさらけ出して何かを相談をしたことはかつてなかったと思う。自分のややこしい特性を理解した上で、話を受け止めてもらえたことの安心感。これは、はじめて感じたものだった。

本当に解決したいのは、もっと根っこの部分にある「魂の暇問題」についてなのだが、さすがに内容が抽象的すぎる。初回カウンセリングの時点では、ほとんど伝えられなかった気がする。

でも、せっかく信頼できそうなカウンセラーさんと出会えたのだ。いよいよ本腰を入れてここと向き合っていけるかもしれないと思い、より長期(数ヶ月)にわたってマンツーマンで伴走してもらう講座を申し込むことにした。

この講座は、音声・テキスト教材と定期的な個人セッションに加え、日常的な相談もLINEなどで随時受けてくださるというありがたいもの(現在は募集停止しているようす)。カリキュラムはこれまでの時田さんが習得されてきた知識、経験を詰め込んだ内容で、HSS型HSPに特化し、自分で自分と向き合い、正しく扱えるようになるためにつくられた講座だった。

結論から言えば… この受講がきっかけとなって、私はやっと本格的に自分の道を歩んでいけるようになった。本当に幸運な機会だったし、時田さんにも、紹介してくれた友人にも心から感謝している。

私の意外なインナーチャイルド

この講座で行ったワークは全て役に立っているのだが、特に私に効果があったのがインナーチャイルドの癒しだったように思う。

インナーチャイルドとは「内なる子ども」。一般的に心理学用語では子どもの頃の主にネガティブな記憶や感情、トラウマのことを指している。セッションでは誘導瞑想のような形で、自分のインナーチャイルドに会いにいき、何に傷ついていたのかを聞きにいった。

自分自身の子ども時代、人間関係や家庭環境などに明確なトラウマ要因が思い当たらなかったので、最初は何をすればいいんだろう、という感じだったのだが、何度か時田さんのリードで誘導瞑想を試していくうちに、コツを掴めるようになる。

「まさかその言葉に傷ついていたのか!」とか「本当はそんなことを考えていたのか!」とか… 新鮮な驚きと共に、自分の中に確かに癒やされるべき意外な子どもの感情がたくさんあったことを思い出していった。

まず、私が子どもの頃は「子どもでいることは恥ずかしい、早く大人になりたい」という気持ちが強かったようだ。歳の離れた兄と姉たちがいてチヤホヤとかわいがってもらっていたものの、家族のなかでは唯一の子どもという状態だったので、劣等感、疎外感も強かったのだ。外では優等生として大人ぶっているが、家では一人では何もできない子どもであることも自覚しており、それをすごく恥ずかしいと感じていたようだった。その頃のささいな傷(加害者はいないが、状況として勝手に私が傷ついてしまっている系)のエピソードがポロポロと出てきた。

この過程で、幼少期のイマジナリーフレンドの存在も思い出すことになる(子ども時代に現れる空想上の友だちのこと)。それまで完全に忘れ去っていたが、唐突に「あれ、そういえば…?」と記憶が蘇ってきたのだ。

「バイちゃん」と呼んでいた少しお姉さんの女の子。母と姉に確認したら、ちゃんと覚えていた。「バイちゃんでしょ、ピアノの下に潜り込んで、よくしゃべっていたよ」と。

イマジナリーフレンドの意味については、いつかまたここで書けたらいいと思うが、この存在を思い出せたことで一気に子どもの頃の私がリアリティを持つようになった気がする。

自分も自分のことで悩んでいい

なかでも、特に印象的だった幼少期の記憶がある。

母からよく「恵まれない人々」についての話をされていたことだ。発展途上国には貧しい子どもたちがいるとか、そういう話だったと思う。母としては単純に募金の意味とか社会問題について伝えたかっただけで、他者に対しては思いやりを持ちなさいというほかに、特に深い意味はなかったはずだ。

ただ、何か私がわがままを言ったときに、そうした「恵まれない人々」の話を引き合いに出したりすることもあったようだ。

小さい私はそれを言われたときに「それとこれとは関係ないじゃないか」とモヤモヤしている。最初に生まれた環境があまりにも違うし、その社会問題だって私にはどうしようもないことなのに…と。

他にもインナーチャイルドワークでは似たような記憶がいくつか出てきた。しかし、とにかく大人になりたかった私は、そこで逆らうことは子どもっぽくて嫌だったのだろう。過剰に先回りして「私は相対的に恵まれているのだから、文句を言ってはいけない」という縛りとして受け止めてしまう。

この思考は、長らくかなり根強く私の人生のブロックになっていた。

他者の状況と相対的に比較して、自分の立場を捉えること。その立場に応じた振る舞いをするべきだ、それが大人なのだ、と。

そして、先ほども書いたが「自分の人生に対して悩むこと」すらもどこかで禁じられているような感覚があった。周囲の他者と状況を比較して、客観的に考えればまだ恵まれているんだから、と勝手に戒めて手放そうとしてしまう。足るを知ること、謙虚なことは確かに大切なのかもしれないが、これは本当の意味での謙虚さではないと思う。

この思考のおおもとにインナーチャイルドが抱いていた傷があったことを思い出せたとき… 自然とポロポロ涙がこぼれてきた。

ああ、自分だって自分のことで悩んだっていいんだよな、と。

自分の悩みを他者と比較することなんて、そもそもナンセンスなのだ。

それなのに悩んでいる自分のことすら長らく認めてあげなかったから、魂がスネてしまって「魂の暇問題」につながっていたのかもしれない。

この気づきはすごくシンプルなようで、私にとってかなり大きかった。このメンタルブロックが解除されたことで、そこからはようやくちゃんと自分で自分を思いやれるようになったからだ

過去の傷と積極的に向き合い、その癒しをひとつひとつ進めていくうち、次第に私の魂が抱いていた「本当の望み」についての声が聞こえてきて、霧が晴れるように進むべき方向性が示されるようになる(そこからいまの仕事と暮らし方につながっていく)。

と、同時に、まるで膿を出すかのように家族のことや仕事のことで大きめのトラブルやハプニングが連発したのも不思議な流れだった。それらもその都度、時田さんに支えてもらえたからこそ、乗り切ることができたと思う。本当にありがたかった。

この伴走カウンセリングが終了したのが、2019年の夏のこと。この時期を明確に境として、私のライフシフトが急加速していった気がする。

やっと、人生ゲームの次のステージに進めるようになった。

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ひとつの節目を乗り越えて
2019年7月、37歳の誕生日に滝を愛でる


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