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読書感想『差別する人の研究』

この本が気になった理由

わたしがこの本を気になった理由は3つある。
(1)自分が偏見を向けられて怒りが湧いた経験がある
(2)差別的な発言・行動に対しどう対応したらいいのか困ったことがある
(3)アダルトチルドレンの権利章典という資料をみた

(1)自分が偏見を向けられて怒りが湧いた経験がある

弟が中学生の頃、わたしは二次元のアイドルにハマっていた。
そのLIVE映像を見ていたら「こういうオタクがいるから少子化が進む」と言ってきた。
オタクは恋愛をしないから、結果、結婚する人が増えるし子供が減っていく一方だと言うのだ。
わたしは「それは違うよ」と伝えると「事実やん」と彼は言った。
差別や偏見を他人にぶつけてしまう人って自分は正しいだとか、自分が間違っているかもしれないって視点がないんだ、と知って驚いた。

オタクでも結婚して子どもを産んでいる人はたくさんいるし、子どもが減っていることとオタクカルチャーが一般的になってきたことが全く関係ないとは断言できないけど、違う理由が大半だと思う。

(2)差別的な発言・行動に対しどう対応したらいいのか困ったことがある

コロナウイルスが流行り出した頃。
友達と外を歩いているときに、外国の方がこちらに向かって歩いてきた。
わたしの友達はその人とすれ違う時に「怖い」と目を瞑った。
当時の「コロナは海外から持ち込まれた」「目からも感染する」というニュースを鵜吞みにしてのことだった。
わたしは彼女のしたことが信じられなかったし、どうしてそんなことが軽率にできるの?と薄っすら軽蔑を持った。
でも友情を壊したくない気持ちから、それを伝えられなかった。
この気持ちが数年経った今も消化できずにいる。

(3)アダルトチルドレンの権利章典という資料をみた

カウンセラーさんに話を聞いていただいた時に、「自他境界を引いていくために役立つ資料がある」とアダルトチルドレンの権利章典という資料を見せていただいた。
そこには人が持つ様々な権利について記載があり、こんなことまで権利として自覚していていいの?と衝撃だった。

小中学生に時には人権学習があったけど、どんな内容だったかを振り返ってみると、部落差別や障がいについて学習していたと覚えている。
わたしはなんとなく、人権っていうのは差別を受けやすい状況にある人を守るための言葉のような気がしていた。
だから自分にどんな権利があるのかなんて気にしたことがなかったし、権利という言葉を使うにしても意見を強く主張したいときに持ち出すようなイメージだ。

差別の実態を知ったり、差別する側の認識を変えていくことはもちろん大事だけど、一人一人がどんな権利を有しているかを考えていくことも人権学習には必要なのではないかと思った。

この3つの理由から差別について学ぼうと思い、この本を手に取った。

現代の差別の実態

前提

障害者が、女性が、人種や肌の色が異なる者が、社会の多数派に合わせて努力しがんばれば、差別がなくなるのではない。マイノリティの当事者に責任を帰すことでは、差別はなくならないのだ。

差別する人の研究

差別のかたちは変わる

差別をなくし、格差を解消するための政策が実行されるにれ「差別のかたち」が変わっていく。
新しいレイシズムは、偏見を公言せず、原則として平等を支持する態度を示しながら、それを実行するための政策には反対し、黒人に対する新たなステレオタイプを作り出したり、人種差別というテーマに触れること自体を避け、結果としてマジョリティである白人に有利な社会構造を維持する。差別・格差是正の政策が進むほど、白人は自分の持つ資源・特権が、下位にいる黒人の要求や利益により脅かされると感じるからだ。

差別する人の研究

※レイシズム=人種主義や人種差別のこと

著者によると、「わたしは偏見ないから!差別しないから!」というのも差別の状況を維持することに繋がるのだそうだ。
この発言は差別はない、という発言になる。
差別は受けている人があると感じればあるものなのだ。

「意識調査だと、部落出身者との結婚には何割が反対する、しない、という数字が出るけれど、結婚に反対しない人が7割だろうと8割だろうと不安な気持ちは変わらない、反対されれば割合なんて関係なく、当事者にとっては反対されたことがすべてだ」

差別する人の研究

カミングアウト

カミングアウトという行為自体も、差別を受けるリスクを伴う。そのリスクを引き受け出身を明らかにし、社会の差別性を問おうとする行為こそ、カミングアウトなのである。そのようなカミングアウトの社会的意味を認めず、差別をさくそうと行動したことでアウティングの被害が認められないのは矛盾である。

差別する人の研究

アウティング=マイノリティを本人の許可なく暴露すること

差別をなくす運動のなかで自身の出身を明らかにした結果、アウティングの被害を受けてもカミングアウトしているという理由から、被害が認められないという現実があるそうだ。

わたし自身になにかできることではないけど、事実として知っておくことは大事だと感じた。

部落差別とは

本書では主に部落差別に関わる研究結果を述べられていて、部落差別についてはじめて知ったことがあったのでここに残しておく。

部落差別とは
・封建時代の身分制度に由来する
・現代の法律によって救済することは法的に困難
・日本政府は部落に対する差別を世系に基づく差別と認めていない

これから

個人の心理に働きかけるだけでなく、問題を社会システムの中でどうとらえ、社会システムを通じての解決を志向することが必要ではないのか。それには、マジョリティの側も自分の怒りと剥奪感を、され科のせいにするのではなく、自分の「痛み」として向き合い、社会的な課題に置き換える力をつけることが必要だ。もちろんそのとき、一人ではなく、共に歩む仲間も大切である。

差別する人の研究

感想

「現実味」というのは、その実態、困難、課題、感情、被害、取り組みなど具体的に知ることではじまるので、少し存在を知った程度で現実味が湧いたなどと言うのは当事者に失礼であると思った。

わたし自身は概ねマジョリティ側に属する人間で、マジョリティである、という安心感を得ているし、この安心感の要素が何なのか自覚できないほどあたりまえに有しているもの。
自分が自覚していないだけで差別意識や偏見を持っている可能性は十分にある。

わたしにそういう傾向が読み取れたら、どうか教えてほしい、と思うけれどデリケートな問題ゆえに伝えるのにはすごく勇気がいる。
実際、わたしも友情を壊したくないがゆえに伝えられなかった。
相手が見ず知らずの人だったからというのもある。きっとわたしの大事な人が差別を受けていたら、友達に伝えることを選んでいただろう。
なにが正解なのかは分からない。複雑すぎる。
だけど他者の気持ちも、自分の気持ちも、なかったことにはしたくない。

お世話になった人に教えてもらって、生きる軸にしている言葉がある。
「あるものはある。ないものはない。あるものをないことにしようとしても、それはないことにはならない。逆も然りで、ないものをあることにしようとしても、あることにはならない。ある、ない、どちらもありのままに感じていいんだよ」
これを軸に、他者と共に考えて、悩んでいける存在でありたい。

わたしは自信が持つ権利についてもっと自覚的であるべきなのではなか?というという問いを持っていた。
本書を読んで、プライバシー権など、権利への知識があることは自分や周りの人を守るための知恵となるのではないか?と感じた。
差別や権利についてはまだ学び始めたばかりなので、知らないことも多い。
これからも気になる書籍があれば読んで学びを進めていきたい。


最初は8月の読了本たちをサラッと紹介しようと思っていたのに、いざ書き始めたら3,000字を越えるボリュームになってしまいました。
興味の分野について読んだり書くのは、難しいけどおもしろさも感じるし、いろんな人と議論してみたいという気持ちにもなりました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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