【読書感想】ぼぎわんが、来る
先月の頭辺りに読んでいた「ぜんしゅの跫」以来、突然のホラー小説ブームが現在に至るまで、わたしの読書欲を席巻している。
と言っても感想をまとめたのは今のところぜんしゅと「黒祠の島」だけなのだけど...。
小野不由美の黒祠の島を読んでから、何を読もうか少し悩みはしたが、やっぱりしっかりしたホラーが読みたくなって、手に取ったのは4,5年前くらいに読んだ「ぼぎわんが、来る」
澤村伊智のデビュー作なのだから、衝撃的である。
3年後にはそのデビュー作が、豪華キャストによって映画化されている。
ちなみにこの映像化に関しては「リング」を想定していたので、エンタメに寄りすぎており、個人的にはあまり好きではない。
物語は田原秀樹の少年時代から始まる。
寝たきりで認知症が始まっていた祖父の家に入り浸っていた田原は、夏のある日、玄関で灰色の存在し得ないモノに遭遇する。女の声で彼の親族の名を列挙するそれは、次第に玄関のすりガラスに近づいてくる。そしてそれを既のところで追い返す祖父。
そんな不気味な少年時代の記憶を持つ彼の周りで、結婚後、奇怪な事件が起こり始める。
まだ誰にも教えていない、生まれてくる娘の名前を語る女の来訪者。
粉々に粉砕された、家の中のお守りたち。
そして彼の親族の名を列挙しながら居場所を尋ねる女からの電話。
次第に近づいてくる「それ」から家族を守ろうと、とあるツテを頼って、霊能力者に相談するのだった。
澤村先生の作品が好きな人ならみんな大好き、野崎と比嘉シリーズの第一弾。いや、みんな好きかは分からないけれど...。
その後、この二人のちょっとした馴れ初めなどが、短編集に収録されていたりするので、シリーズを追うのがまた楽しくなる。
キャラクターも良いけれど、やはり、なんと言ってもストーリーとそこに織り交ぜられている現代社会の闇が絶妙なのだ。
「子育て」を通して、乖離していく思い描いていた「家族」のイメージ。
蓄積されていく違和感は、ある程度大きく膨れ上がらないと、負の感情とは結びつかない。
見て見ぬふりをして、「幸せな家庭」を盲信する。
そしてその定型的な「幸せ」以外の形を認めないかのような発言。
ちょっと抽象的な書き方にはなってしまうのだけれど、本当にその点がうまい具合に書き出されていた。
野崎君の憎悪はとても理解することができる。
子供を作れない野崎君や真琴に浴びせられる、悪気のない無神経な言葉。
いつまでも、結婚して子供がいる家庭という定型が、社会の模範解答の図式となっている。
その模範解答への嫉妬もありはするのだろうけれど、傷つくマイノリティを描き出していることには間違い無いと思う。
三部構成になっているが、それぞれの語り部は異なっている。
そうすることで、「これ」と語られていた一つの事象に対する見方が、次の語り部でガラッと変わる仕組みにもなっている。
ちなみに澤村先生はこの手法がとても得意だと見ている。
ぼぎわんがどこから来るのか分からないから、手近にあった「山」を使う。
相手の気持ちを理解することは難しいから、自分の中のデータベースと照合して、分からないものは手近で類似したものに分類する。
人はそうやって何かを解釈する。
恐らくそこに、理解は存在しないのかもしれない。
社会なんてたくさんの主観から成り立っているのだと、この小説を読んでいてふと思うのだ。
このデビュー作の中では、人も怪異も限りなく恣意的な存在に見えて仕方がないのだった。
おしまい
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