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『傷口から人生。』を読んで、人生を振り返った話
読了しました。
「見たくないことを、見なかったことにしてきた」なんて、どの人も、どこかしらそんな所があるのではないだろうか。
この本は、心の「見なかったことにしていた部分」に刺さるのだ。
私も、その刺さった内の1人だった。
著者のように激しくはなかったけれど、海外をふらふらしていた時のこと、精神的にこもっていた時期のことを思い出しました。
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若い頃長らく、社会に怯えて、いつも誰かのせいにして、繭玉にぬくぬくとくるまっていた。
外の世界で何かある度に、繭にこもった。
「ほら、やっぱり外は危ないところじゃないか!」なんて、再確認できるような現実を無意識に呼んで現実化してしまっていた。
例えば、離婚なんかもそうかもしれない。
作中に出ている「精神的引きこもり」というのがまさにピッタリだった。
中学は通っていたけれど、あとは家で1人部屋に篭って映画観たり、漫画を読んだりするのが好きだった。
私自身は、「こもる」という行為自体は悪いことではないと思っている。
今は有名で活躍している方でも、意外とこもっていた時期もある方もおられる。
演出家の宮本亜門さんもそのひとりだそうだ。
その時期に聞いていた音楽や観た映画、その蓄積が今に繋がっているそうだ。
「こもる」というのは、繋がりを極力減らして、自分の中の何かを醸成するのにはもってこいの時期なのかもしれない。
話がそれるけれど、神道にも「アソビ」と「コモリ」という考え方がある。
2つセットであることが大事なのだけれど、こもっていても、いつかは、どこかしらで解放が必要であることを表しているのかもしれない。
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社会の一部に入って暮らす今でも、嫌なこともあるし、目を背けたいこともある。
でも、私は私の居場所に留まって、毎日粛々と働き、黙々とお迎えに向かい、夜にはパタっと寝る。
この自分で選んだ小さな営みを続けることで、社会と継続的に繋がり、向き合っている。
繭の外は、そんなに悪いところではないって、最近やっと実感としてわかってきた。
悪くないどころか、人と出会えるから楽しくなる。
世界が広がる。
シングル、娘と二人暮らしの私が全然寂しくならないのは、細くでもSNSで繋がってくれている友人たちのお陰だ。
繭を出てたくさん傷つくこともあるけれど、嬉しいことも楽しいこともちゃんとあった。
誰かしらわかってくれる人はいるし、わかってもらえなくても「そういう考えもあるんだね」なんて、ただ「ある」ということをフラットに見てくれる人もいる。
それも出会わないとわからなかった。
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本の最後のページの、「社会はうつくしい。」という言葉が心に残っている。
よいことも、わるいことも、両方ある。
それでも、うつくしい、のだ。
どうしようもない自分も、どうしようもない社会の側面も、愛しんでいく。
たくさんの人に読んでほしい。