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映画『インサイド/アウトサイド』

2005年/製作国:デンマーク/上映時間:57分 ドキュメンタリー作品
原題 inside OUTSIDE
監督 アンドレアス・ジョンセン ニス・ボイ・モラー・ラスムッセン




予告編(海外版1)

予告編(海外版2)


STORY

 アートか? アートでなきゃダメか? アートである必要があるか?
 ヒョウ柄のストッキングを頭から被り、真っ赤なスプレーで消費社会の象徴ともいえる広告モデルたちを殺すゼウス、ブラジルを代表する双子のアーティスト、オス・ジェメオス、「都会の山岳部隊」と名乗り、高層ビルのトップに「タグ」を残し続けるピグメウス、廃材を使用し、あらゆる場所に無断で住居を建設することで消費社会に反抗する、アダム&イッツォ、自作のポスターを街に張りつづけるスウーン、オリジナルインク「KRINK」を開発し、街中に大量のドリップを垂らし続けるKR、IRAKNYのイアスノットなど、彼らの危険を冒しながらもストリートに拘り続ける意味、そこに見出す価値とは何なのか?

DVDパッケージより


レビュー

 GRAFFITIを楽しむための入り口となり得る作品。
 原題の『inside OUTSIDE(インサイド/アウトサイド)』というタイトルは、ダブル・ミーニングとなっていてとても鋭いと思います(小文字と大文字の使い分けとかも)。
 
 本作には世界各地の大都市に住む、10人程のGRAFFITIアーティストが登場します。
 個人的に印象に残ったのは、パリのZEVS(ゼウス)、ジャージー・シティのRON ENGLISH(ロン・イングリッシュ)、ニューヨーク・シティのSWOON(スウーン)、ADAMS&ITSO(アダム&イッツォ)の5人。
 それぞれ自らの考えをストリートにて表現することにより、観る者の感覚に揺さぶりをかけ、思考を誘発して気付きを与え、体制の作り出すシステムの檻や企業の仕掛ける「刷り込みによる思考すり替えの罠」から人々を解放しようと試みます。
 
 作品内でも言及されていますけれども、企業や体制側の管理や洗脳は、メディアの中だけではなく、当然、都市空間においても日々大々的に行われています。その代表は広告。広告に疑問を持たずにボケ~っと暮らしていると、私たちは知らぬ間に思考力を奪われ、洗脳されて、企業や体制側の思惑をどんどん刷り込まれていってしまいます。そして気付かぬうちに、その刷り込まれた思想を「常識」や「現実」であると思い込むようになってしまうわけです。
 そうなってしまうと、例えば多くの女性は「広告のモデルのように自分も美しくなりたい」「広告のモデルこそが美しい女性である」等と思い込むようになり、自分の容姿を否定し始め、やがて持つ必要のない劣等感に苦しむようになります。
 またそのような女性達は大抵の場合、ダイエット関係の物や食品、ファッション、コスメ、整形、等、企業の思惑通りの消費行動へと駆り立てられ、貴重なお金と時間(命)を奪われます。
 要するに、本人たちは「自分で選択しているつもり」でも、実は「企業に選択させられてしまっている」という状況に陥ってしまい、自分の本物の感覚は奪われて、知らぬ間に他人が用意した偽物の感覚にすり替えられ、企業広告が映し出す幻想の世界を追い求め、死ぬまで彷徨い続けてしまうのです。
 
 本作の優れた点のひとつは、人々を管理・洗脳するシステムや広告を「支持」、又は「維持」する側の人々に対しても取材を行っていることです。
 そしてそれらの人物たちの発言と、アーティストたちの発言を対比させることにより、人々を支配しようとする体制側や企業のまやかしの仮面を剥ぎ取り、その素顔を暴いて白日の下に晒し、記録します。
 大多数の人々(いわゆる大衆)が「常識」と思っていることの多くは、実は「常識として捏造された非常識」であるという事実を、観る者に納得させる形で浮かび上がらせるわけです。
 また、登場する殆どのGRAFFITIアーティストたちの活動は、ある部分で破壊を含む攻撃的な側面を持ちながらも、その根本には、表現や芸術を通して世の中を良い方向へと変えてゆこうとする意思や、他者への思いやり、そして共感があり、とても素敵でした。
 
 というわけで本作を鑑賞したなら、日常の風景は、それまでとは違う顔と表情にてこちらを見つめてくるかもしれません。
 
 最後に、3人のアーティストの言葉とGRAFFITIを少し紹介し、レビューを終えます。
 ※世界的に有名な「バンクシー」以外にも、素晴らしいGRAFFITIアーティストが沢山いて、励まされる日々
 
 

ZEVS

「広告が作り出す巨大なビジュアル。それが標的だ。企業は金もうけのためにビジュアルを利用している。それだけ影響力があるわけだ。【Visual Attack(ビジュアル・アタック)】は合気道の論理さ、相手の力を利用し最小限の力で倒す。これは一種の、広告のイメージを殺す殺傷手段だ」
 
「広告の意図を根底からひっくり返す」

  作中、通りがかりにZEVSの【Visual Attack】を見た男性が「酷いことするな…」と話し、女性は「モデルたちには何の罪もないのに…」と話すシーンが登場しますけれども、私は「そうかな?」と疑問に思いました。何故ならモデルたちは企業から高額な金銭を受け取っており、そういう広告の積み重ねによって企業は人々の思考と行動を操作しています。そしてそれらの広告の作り出すイメージにより直接的、または間接的に苦しめられてしまう人や、場合によっては破滅する人もいます。
 ですのでもし、ZEVSの【Visual Attack】を見て、その意図を少しも考えることなく、反射的に上記の男女と同じような感想を持ってしまったなら、その人は無知であるか、既に洗脳が完了済みであるか、またはその両方である可能性が高い……、と言えるかもしれません。 
 ※疑問を持たず、考えず、ほぼ一定の思考パターンによる条件反射によって動いている人というのは、個人手にはある意味「とても怖い」と思います

 

RON ENGLISH

 「ビルボードの管理会社に看板の借用を申し出るが、作品を見せると必ず断られる。広告主の企業批判につながるからってね。(中略)。管理会社の殆どが共和党系だ。軍を支持し、戦争に反対しない広告ならいいと言う。金だけの問題ではない」
 
 「一度システムに組み込まれると抜け出すのは大変なんだ」
 


SWOON

 「私たちが目にする広告などは全て、現実より完璧だけど、少しも人間味の無いイメージなの。私はもっと深いところで、リアルな私たちを描き出したい。人々に共感してもらえるように」
 
 「広告の中のイメージは現実とはかけ離れた世界。偽の現実ね。誰もがなりたいと思う。でも決して、たどり着けない。自分が共感できる人々の姿を表現したい。それで広告のイメージに対抗できればいい。…対抗っていうよりは、別の選択肢ね。違うものを見せることで、風景を変えたいの」
 
 「GRAFFITIの重要な点は、人々の思考や感情を表現できる掲示板であり、しかも街の最下層地域にあるということ。そして最も大切なことは常に誰でもアクセスできる媒体であるということ。街の中で私たちが日常的に目に出来る高さにある。それがいいのよ。逆に屋上から吊るしてもいいけど(笑)」
 
 「閉じ込められている感じ。たまに怖くなる。この2ヶ月で起きた全てを考えるとね。パニックに陥っているような妙な気分。MoMA(ニューヨーク近代美術館)が6作品も購入してくれたし、展覧会も開けた。でも、何だろう?上手く言えない。社会の仕組みやシステムの外側で行っていたはずのことが、システムの内側に飲み込まれていってしまっているようで、変な気分。楽しくもあるのだけど、でもね…」
 




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