ゲルハルト・リヒター 《ビルケナウ》 の彼方に射す希望
東京国立近代美術館でゲルハルト・リヒター展が開催されています(2022年6月7日〜10月2日)。今回の展覧会では、アーティストが手元に置いてきた初期作から最新のドローイングまでを含む約120点が展示されます。それらの作品の中でも最大の見どころ、幅2メートル、高さ2.6メートルの作品4点で構成される巨大な抽象画《ビルケナウ》(2014年)について紹介します。
ゲルハルト・リヒターと《ビルケナウ》という抽象画
ゲルハルト・リヒターは1932年、ドイツのドレスデン生まれ。この年、ドイツ議会選挙でナチスが第一党になります。
第二次世界大戦中、ドレスデンの街は連合国軍の攻撃により壊滅されます。戦後、地元の芸術アカデミーで絵画を学び、東西ドイツの行き来が禁止される直前、西側に移りデュッセルドルフ芸術大学に入学します。1971年から15年以上にわたりこの大学の教授を努めました。
イメージの成立条件を問い直す多岐にわたる作品制作を通じて、評価されるようになり、90歳となった現在、世界で最も注目を浴びるアーティストの一人となっています。
《ビルケナウ》は今回日本初公開。そのタイトルは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所からとられていて、ホロコーストをテーマにしています。リヒターは、以前にもこのテーマに取り組みましたが、なかなか作品として完成させることはできないでいました。
写実から抽象画に変貌した《ビルケナウ》
《ビルケナウ》の制作過程は、展覧会のブロシュアをはじめ、いろいろなところに記載され、詳細にわかっています。なんと、リヒター自身が、真っ白なキャンバスから完成に至るまでを写真で記録していたということです。
発端となったのは、アウ シュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所内で、「ゾンダーコマンド」と呼ばれるユダヤ人捕虜によって隠し撮りされた4枚の写真でした。ゾンダーコマンドとは強制収容所に送られたユダヤ人捕虜の中から選ばれ、ガス室や火葬場の運営を任された人たち。彼らは、同胞の大量殺戮に関与させられたのです。撮影されたフィルムは、歯磨き粉のチューブの中に隠され、ポーランドのレジスタンス活動家によって外部に持ち出されたと言われています。
リヒターは、まず、これら4枚の写真の写実的な像をキャンバスに描きました。その後、この像を覆うように絵具を何層にもわたって重ね、最初の像は全く観ることのできない抽象画にしていきました。絵具を塗ってはスキージでこすり落とす、ブラウン・グレー・ブラックの最初のレイヤーに続いて、赤、そして緑。最後に、黒とグレーのレイヤーを置きました。基本的にはモノトーンで、ところどころ、赤と緑の色が見える重厚な作品です。
作品が完成すると、それをデジタル撮影して写真による複製も制作しました。今回は複製も展示されています。展示を担当したキュレーターの桝田倫広さんは、複製とともに展示したことについて、「唯一無二だと思える大きな厄災も反復しうる」という含意を指摘できると語っています。
制作過程を知ることで導かれる思考
《ビルケナウ》の、一度写実的な像を描いたにも関わらず、絵具を重ね抽象画にしてしまったこと、その制作過程が明らかにされているところが、不思議というか、なぜだろうと考えさせられます。
リヒターは抽象画について、次のように語っています。
多くの抽象画は、鑑賞者が自由に想起する余地があるけれど、この作品の場合は、タイトル、制作過程の情報があり、さらにゾンダーコマンドが撮影した写真もともに展示されていて、アウシュビッツへと思考が動かされる。塗り重ねられ見えなくなった元の像が浮かび上がってくるようにも思えます。この作品と対峙したとき、私たちはアウシュビッツで起きたことや戦争について考えなくてはならないのです。
2017年、《ビルケナウ》の複製が、ドイツ連邦議会議事堂に設置されました。議事堂のホームページに出ている作品の解説が、作品の意味を的確に表現しています。
アートの向こうに見出す希望
リヒターにかぎらず、多くのアーティストが戦争をテーマとした作品を制作しています。しかし、地球から紛争はなくなることはなく、ロシアのウクライナ侵攻も止めることはできませんでした。
それでもアーティストたちは作品を創り続け、人々に気づきを与える。私たち鑑賞者はその作品を観ることで考え続ける、作品の向こうに、ほんの少しでも希望を見出していくことが大切なのではないでしょうか。
最後に、リヒターの希望についての言葉を紹介しましょう。