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大人気漫画ブルーロックに学ぶエゴイズム

四角四面(しかくしめん)
→ 態度などの折り目正しいことや真面目過ぎて堅苦しいこと。

折り目正しいことや真面目なことは決して悪いことではないだろう。

誠実な人という印象を与えることは、プラスに働くことも多いだろう。

ただ、タイトルにあるとおり、折り目正しいことや真面目も度が過ぎると堅苦しいと感じられてしまうというデメリットもある。

特に日本人は協調を重んじる傾向が強く、和を乱すことに関して過度な反応をされることが多い。

空気を読むことや忖度が意図せず働いている場面に出くわしたことがあるという人がほとんどだろう。

日本人にとってのエゴイズムは、ただのワガママとされ、孤立する場合が多いのである。

エゴイズムが否定的な日本

私は比較的エゴイズムをポジティブに受け入れている側の人間だ。

むしろ、エゴイストであるべきだというポジションとタイミングがあるとすら思っている。

というのも、エゴイストの存在というのは、近い言葉との境界線が曖昧だ。

ワガママ、ワンマン、リーダーシップ、主役、独裁者といった言葉と比べたときに、見方を変えることで両面の顔があると思っている。

ましてや、同じことを違う人の言動で、結果としてついてくる言葉が変わってくるし、ポジティブになる人とネガティブになる人が分かれてしまう。

そして、多くの人はエゴイストというレッテルを貼られることを嫌う。

なぜそうなるのか。

私はその根底にあるのが、日本の教育の基本となっている協調性を重視するところにあると考えている。

人と違うことをするとおかしいと言われ、全員と同じことができなければ叱責される場面すらある。

未だに教育現場では、オール3の人間を生み出す教育が軸になっているわけだ。

そんな中にいると、協調性を強いられていることにすら気づくこともなく大人になっていく。

となると、ちょっとしたワガママだというだけで、エゴイストだというレッテルを貼られ、ヒドい場合にはイジメの対象になったりするのである。

エゴイズムを肯定するようになったきっかけ

そもそも、私は自分自身をエゴイストだと感じたことはない。

けれども、空気が読めないとか、協調性がないということは少なからず何度もいわれたことがある。

明らかに空気が変わったという場面に対して自覚はあり、私としては思ったことをそのまま言っただけなのにという感覚だ。

それをワガママだと捉えられたことも多々あるだろうし、私のことを毛嫌いしている人はたくさんいると思う。

もちろん、私が全て正しいなどと思ってもいないし、自分の考え方や感覚がおかしいところがあれば順応するように心がけている。

でも、そんな感覚すらズレている人も多いのが日本社会だと思っている。

ディベート、つまり議論できる人が少なすぎるのである。

くり返すが、私の意見や感覚が必ずしも正しいなどと自惚れてなどいない。

お互いの意見や感覚をぶつけ合って、よりいいものを生み出すことを目指した方が建設的だと主張している。

となると、ある意味でエゴイストになっていないと、ただただその場にいる人になってしまう。

そして、明らかに私の肩が軽くなったきっかけを覚えている。

それは、人生の主人公は自分自身だという言葉を聞いたときだ。

確かにそのとおりで、人生は一度きりで、その人生は自分のためだけにあるものだという考え方は決して間違っていない。

勘違いしてもらいたくないのだが、ワガママを貫き通すということでもなく、全く協調性を持つ必要がないといっているわけではない。

自分中心に考えること、つまり利己主義を持つことはその人の人生を豊かにすることに繋がる部分が大いにあるということを主張している。

言葉だけ先行しているダイバーシティという概念

そして、今の時代は多様性、つまりダイバーシティという言葉を耳にする機械も増えた。

ダイバーシティとは、集団において年齢、性別、人種、宗教、趣味嗜好など様々な属性の人が集まった状態のことを意味している。

もともとは、人権問題や雇用機会の均等などを説明する際に使われていた。

それが、多様な人材を登用し活用することで、組織の生産性や競争力を高める経営戦略として認知されるようになった。

また、ダイバーシティは、ダイバーシティ&インクルージョンという使われ方もする。

Inclusion(インクルージョン)は、受容という意味があり、多種多様な人が互いの考え方の違いや個性を受け入れながら、共に成長することを指している。

単に多様な人材が集まっているだけでなく、共存共栄することがダイバーシティ&インクルージョンの特徴というわけだ。

ダイバーシティ経営とかダイバーシティマネージメントといったタイトルの記事をメディアで見る機会も増えたと思う。

ダイバーシティ経営とは、経済のグローバル化や少子高齢化が進む中で、企業競争力の強化を図るための施策のことをいう。

女性、外国人、高齢者、障害者を含め、多様な人材を活かし、その能力が最大限に発揮できる機会を提供することで、イノベーションに繋げるという考え方だ。

ただし、言葉では理解できると思うが、日本ではこのダイバーシティという概念が形骸化しているという指摘が多いのも事実だ。

結局、協調性を求めるがあまり、エゴイズムに対する耐性がないから、日本という島国のカルチャー以外は排除しようとする傾向が強いからだ。

私はそう考えている。

読んでもらいたい大人気サッカー漫画

そんな風潮に一矢報いるように、とある漫画が人気を博している。

サッカーを題材にした、ブルーロック(BULEROCK)という漫画なのだが、コミックの累計発行部数は1,500万部を超えている。

アニメも放映されていて、まさにエゴイズムをテーマにしたストーリーだといっていい。

つい先日までカタール行われたサッカーのワールドカップは、とても盛り上がったし、私も多くの試合を見た。

日本代表はベスト16まで進み日本国内を大いに湧かせたが、その上まで進むことはできなかった。

そんな日本サッカーの現状に対して警鐘を鳴らしているのが、このブルーロックだ。

日本サッカー界において、ワールドカップに出場することはもはやある意味で当たり前になっているが、ではワールドカップで優勝できるのかというと、その可能性は限りなくゼロに近い。

その理由は、絶対的なストライカー、絶対的なエース、全面的にエゴイズム丸出しのスター選手がいないからだとしている。

そして、ブルーロックという施設で、若手の300人のストライカーを集めて1人のスター選手を生み出すというストーリーだ。

サッカーをよく知らない人からすると、抵抗があるかもしれないが、そんな人でも楽しめると思うので、本当に見てもらいたい作品だ。

コミックでなくても、TVアニメ、Netflix、Amazonプライム・ビデオでも観ることができるので、そちらもオススメだ。

10代という多感な時期の高校生たちが主人公なのだが、その葛藤と成長の様子がとても上手に描かれている。

ブルーロックで負けた高校生たちは生涯、日本代表になれないという圧倒的なリスクを背負っている。

だからこそ、学ぶことができる環境で、成長していく姿に自然と惹き込まれていくのが、この作品の最大の魅力だ。

エゴイストを育てていくというと、否定的に感じてしまう人もいるかもしれないが、見てもらえたらそんなことはないということを理解してもらえるはずだ。

まとめ

冒頭に書いたとおり、折り目正しいことや真面目なことは決して悪いことではない。

けれども、それだけでは一見すると順応しているように錯覚するかもしれないが、実はズレて協調している場合がある。

どこかにエゴイズムを備えている人こそが、一度きりしかない人生を謳歌できると思っている。

誰もが人生の主人公は自分自身だということを忘れないようにして欲しい。

その気持ちがあることで、日々の過ごし方に変化が起きることは間違いないし、充実した日々が過ごせるきっかけになることを私が保証する。


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株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。