イブスキ・キョウコ

クリエイター名は、現在執筆中の小説の、登場人物の名前です。完成したら、公開します。本や映画の感想など、いろいろと書いていきます。

イブスキ・キョウコ

クリエイター名は、現在執筆中の小説の、登場人物の名前です。完成したら、公開します。本や映画の感想など、いろいろと書いていきます。

最近の記事

A・クリスティーの小説に登場する、不思議な魅力を持つ女性たち

A・クリスティーの小説が読まれ続けているその理由のひとつは、その鋭い人物描写にある、と思う。 クリスティーの小説を読んでいると、「ああ、そうそう、こんな人、いるいる」とうなずくことが、何度もある。 そして、それがたとえ不愉快な人物であっても、その人物描写の鋭さに、おかしくて笑ってしまう。 しかし、クリスティーは同時に、不思議な魅力を持った人物も、多く描いている。 とくに、女性の登場人物に、おもしろい人が多い。 たとえば、「ホロー荘の殺人」の、ルーシー・アンカテル。 彼女は

    • イーディス・ウォートンが描く、砂漠の宮殿での恐怖譚。

      「ビロードの耳あて イーディス・ウォートン綺譚集」には、「夜の勝利」「眼」など、男同士の登場人物のあいだにセクシュアルな雰囲気がほのかに漂っているものがいくつかあるのだが、なかでも、「一瓶のペリエ」では、それが濃厚になっている。 考古学の研究をしている若者メドフォードは、イギリスの友人ヘンリー・アーモダムが住む砂漠の宮殿に招かれる。 しかし、訪れてみるとアーモダム本人は用事ができたため出かけており不在である、とのことであった。 メドフォードは、従僕と、何人かの下働きの人間し

      • 「ビロードの耳あて イーディス・ウォートン奇譚集」列車の中での奇妙な出会い、そしてその結末。

        列車のコンパートメント、というのは、こちらの想像力を刺激する場所である。 まず、列車そのものが、閉ざされた空間である。 走行中は、どこにも逃げ場がない。 コンパートメントは、その閉ざされた空間の中にある、さらに閉ざされた空間なのだから。 一人きりで、外の景色を眺めたりぼんやりしたり、または読書を楽しみたい、と考えている人間にとっては、最高の場所であろう。 そこへ、自分以外の乗客が入ってきたら? 相手も、自分と同じように静寂を愛し、マナーを守ってくれる人間であるならば、何も問題

        • 映画のような、夢のようなホテルの世界。「エロイーズ」から、「CINEMATIC HOTEL」まで。

          ここ最近、パイ・インターナショナルから出ている写真集、「CINEMATIC HOTEL ~まるで映画のような世界のホテル~」を見て、空想旅行を楽しんでいる。 世界中のホテルの写真を集めたもので、表紙カバーに印刷されたコピーをそのま引用すると、「一度は泊まりたい、映画美術のように作り込まれた夢の空間。」のようなホテルばかりが、収録されている。 もともと、ホテルの写真集やガイドブックなどを見るのが好きで、去年は、朝日新聞出版の「東京ホテルガイド」がお気に入りだった。 ホテル、と

          「大忙しの蜜月旅行」(ドロシー・L・セイヤーズ)長い長い、ハネムーンのお話。

          ドロシー・L・セイヤーズの「大忙しの蜜月旅行」(創元推理文庫)では、なかなか、死体が登場しない。 貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿と小説家のハリエットが結婚し、ハネムーンで田舎の一軒家にやってくる。 事件はそこで起こる・・・というか、彼らが到着した時点ですでに事件は起きているのだが、肝心の死体が、なかなか現れないのだ。 事件が発覚するのは、かなりのページ数、読んでから。 とにかく、この小説は、進むのが非常にゆっくり、なのだ。 まず、このカップルの「結婚予告」にはじまり、そのあ

          「大忙しの蜜月旅行」(ドロシー・L・セイヤーズ)長い長い、ハネムーンのお話。

          らせん訳によって光り輝く、アーサー・ウェイリー版・源氏物語。

          アーサー・ウェイリー版「源氏物語」の、「らせん訳」を読みはじめている。まだ2巻に突入したばかりなのだが、ずっと読み続けていたい、と思うほどに楽しい。 一度英文に訳されたものを日本語に訳す、という作業、これは普通ならば戻し訳、と表現されるところを、翻訳者である毬矢まりえ、森山恵姉妹は、自分たちの行った翻訳作業について、「らせん訳」と呼ぶ。 アーサー・ウェイリーによる翻訳では、「几帳」は「カーテン」と訳されており、そしてらせん訳でもそのまま、「カーテン」と片仮名表記されている

          らせん訳によって光り輝く、アーサー・ウェイリー版・源氏物語。

          フランソワ・オゾン「スイミング・プール」が見せてくれる、夢と謎。

          フランソワ・オゾンの映画「スイミング・プール」を見たのは、もう、ずっと昔のことだ。 それ以降、一度も見返していないのだけれど、ノベライズのほうは何度も手にとっている。 今回はそのノベライズのほうをもとに、感想を書いていこうと思う。 「刑事ドーウェル」のシリーズで有名なイギリス人の小説家、サラ・モートンは五十代半ば、人生においても創作においても、行き詰まりを感じている。 編集者のジョンはそんな彼女に、南フランスにある自分の別荘へ行くよう、すすめる。 そこでいいアイディアが浮か

          フランソワ・オゾン「スイミング・プール」が見せてくれる、夢と謎。

          優雅な夏休みのための、読書リスト②天国から、地獄を覗く。

          たとえば、自分が一流ホテルに宿泊しているとします。 もしくは、南の島に遊びに来ているか・・・まあ、どちらでもいいです。 そして、ホテルの屋外プール、もしくは海で、泳ぎたくなります。 これからひと泳ぎして、それで、ちょっと飽きたら休んで、そしてまた泳いで・・・本を、持っていこうか?何がいいかな?と、 考えます。 明るく楽しいもの・・・ではなくて、ちょっと、重いものが読みたい。暗くて、怖くて、ちょっと、寒気がするようなもの。残酷なものでも、いいな。青い空の下でそういったものを読む

          優雅な夏休みのための、読書リスト②天国から、地獄を覗く。

          優雅な夏休みのための、読書リスト①

          私には、そのときの季節にあわせて読む本を選ぶ、ということが、よくあります。 これはけっこう、楽しいものです。 たとえば春になると、P・G・ウッドハウスの「春どきのフレッド伯父さん」を読みたくなってくるし、梅雨時には、ある六月の一日を描いたヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」が気になってきます。 そして秋には、アニタ・ブルックナーの「秋のホテル」なんて小説があったなあ、と、思い出します。 それから、ここ何年かクリスマスには、アガサクリスティーの「ベツレヘムの星」、そして、

          優雅な夏休みのための、読書リスト①

          いつかかならず、実現する夢。「白孔雀のいるホテル」

          小沼丹によるこの短編を読む前に私は、タイトルから、以下のような内容を想像していた。 田舎の、小さなホテル。 そこでは、白い孔雀が飼われている。 夏。宿泊客がちらほらとやってくる。 長い夏のあいだ、ホテルで、さまざまなことが起きる。 客同士の恋愛のようなものがあったり、ちょっとしたアクシデントなどもあって、ときどき、ホテルの人間関係に小さな波紋を呼び起こす。 しかし、とくに大きな事件には発展せず、彼らの夏は、ゆっくりと過ぎてゆく。 そして、夏も終わり、一人一人、このホテルから去

          いつかかならず、実現する夢。「白孔雀のいるホテル」

          高楼方子「時計坂の家」。夏休みには、何かが起こる。

          何か夏にふさわしい本を・・・と思い、数年前に読んだ、高楼方子の「時計坂の家」(福音館)を再読してみた。 推理小説を読んでも、しばらくすると、トリックや犯人を忘れてしまうパターンがあるが、この「時計坂の家」に関してもそうで、私はこの物語を、主人公と一緒に謎を追いかけるような気持ちで、いっきに読んだ。 十二歳の少女フー子は、夏休みがはじまる一週間前に、汀館(みぎわだて)に住むいとこのマリカから、こちらに遊びに来ないかという、手紙をもらう。 それほど頻繁に会ったことはない、しかし

          高楼方子「時計坂の家」。夏休みには、何かが起こる。

          山尾悠子「初夏ものがたり」。これからやってくる季節のことを、思いながら。

          「初夏ものがたり」は、1980年コバルト文庫より刊行された「オットーと魔術師」に収録されていた作品である。 山尾悠子とコバルト文庫、という意外な組み合わせには驚くが、このたび、「初夏ものがたり」だけがちくま文庫より復刊、ということになり、全集には収録されていない、山尾悠子の20代の頃の作品を読めることになった。 「初夏ものがたり」に収められている四編の物語の中心となる人物は、「タキ氏」という、不思議な紳士である。 第一話「オリーブ・トーマス」は、このタキ氏が、ホテルの食堂で

          山尾悠子「初夏ものがたり」。これからやってくる季節のことを、思いながら。

          映画「Shirley シャーリイ」公開の前に。「わたしは作家よ」と、シャーリイ・ジャクスンは言った。

          シャーリイ・ジャクスンの短編集「なんでもない一日」(東京創元社)には、小説だけでなく、著者自身の体験をもとに書かれたエッセイも収録されている。 そのなかでも、とくに印象的なもの三篇について、書いてみる。 まず、「序文 思い出せること」でシャーリイ・ジャクスンは、家族とともにカリフォルニアから東部へ引っ越した、十六歳の頃のことを書いている。 それは「とりわけ苦しい時期」であり、彼女は新しい学校、新しい風習になじもうと努力していた。 その、苦しかった出来事のひとつ。 「ほらほ

          映画「Shirley シャーリイ」公開の前に。「わたしは作家よ」と、シャーリイ・ジャクスンは言った。

          岸本佐知子の新刊「わからない」を読んで、いろいろ思い出したり、気になったり。

          岸本佐知子のエッセイ、書評、日記をまとめた新刊「わからない」(白水社)を読んだ。 順に読むのではなく、開いたページから適当にだらだらと読み、その後あらためて、はじめから読み直した。 そして、いろいろなことを思い出し、いろいろなことが、気になった。 まず、いちばんはじめに収録されている、「カルピスのもろもろ」。著者の、子供時代の記憶。 毎日幼稚園で泣いていて、泣かなかった日が三日くらいしかなかったこと。 お人形が嫌いだったのだが、友達にあわせて(そして、親の期待にも応えて)、

          岸本佐知子の新刊「わからない」を読んで、いろいろ思い出したり、気になったり。

          驚くべき新婚旅行の話・山尾悠子の「山の人魚と虚ろの王」

          「山の人魚と虚ろの王」(国書刊行会)は、「これはわれわれの驚くべき新婚旅行の話。」という文章ではじまる。 われわれ、というのは、「私」と、それから、「私」の遠戚に当たる、年の離れた、寄宿舎育ちの妻のこと、「さほどよく知りもしない」で結婚した妻のことである。 そして「私」は、「それにしてもどこから始めるべきなのだろう」と、さまざまな記憶をひとつひとつたぐり寄せるように、新婚旅行の話をはじめる。 話は時系列通りには進むことなく、前後したり、また、過去の記憶や目にしたものが、一枚

          驚くべき新婚旅行の話・山尾悠子の「山の人魚と虚ろの王」

          「公園のメアリー・ポピンズ」・「どっちが、物語のなかの子どもなの?」

          メアリー・ポピンズのシリーズはどれもおもしろいが、「公園のメアリー・ポピンズ」(岩波少年文庫)は、メアリー・ポピンズの「四度目の訪問の物語」でなく、今まで彼女がバンクス家を三度訪れた中の、「そのあいだに起きたエピソード」を集めたものだ。 町の人たちが集まってくる公園という場所を舞台に書かれた6つのお話は、どれもみんな楽しいものばかりで、私がとくに好きなのは、「物語のなかの子どもたち」だ。 五月最後の土曜日、天気が良くてさわやかなこの日にぴったりだと思うので、この話について、

          「公園のメアリー・ポピンズ」・「どっちが、物語のなかの子どもなの?」