A・クリスティーの小説に登場する、不思議な魅力を持つ女性たち
A・クリスティーの小説が読まれ続けているその理由のひとつは、その鋭い人物描写にある、と思う。
クリスティーの小説を読んでいると、「ああ、そうそう、こんな人、いるいる」とうなずくことが、何度もある。
そして、それがたとえ不愉快な人物であっても、その人物描写の鋭さに、おかしくて笑ってしまう。
しかし、クリスティーは同時に、不思議な魅力を持った人物も、多く描いている。
とくに、女性の登場人物に、おもしろい人が多い。
たとえば、「ホロー荘の殺人」の、ルーシー・アンカテル。
彼女は、朝早くに、まだ眠っている従妹の部屋を平気で訪れてしまうような女性である。それも、自分の勝手な理由で。
友人がとまどっていても、あら、どうかしたの?といった風情で、笑っている。
このように、ルーシー・アンカテルには人の迷惑を考えないようなところもあるのだが、しかし、なぜか、憎めないキャラクターだ。
いつも夢見ているような、ファンタジーの世界に片足を突っ込んたまま生きているような雰囲気を持っており、人間、というより、作中でもたとえられているとおり、まるで妖精のようである。
それから、「春にして君を離れ」で、主人公ジョーン・スカダモアが、列車の中で出会う女性。
ジョーンは、末の娘の病気見舞いの帰りに列車の中でロシアの公爵夫人と一緒になるのだが、この女性が、実に個性的な人物なのだ。
その女性は数か国語を自由に操るコスモポリタンであり、人間と人間のあいだに壁などない、とでも言うように振る舞う。
それはまるで、「どこへ行っても、心ひとつで素晴らしい人間関係と世界を築ける」ということを見せてくれているようでもあり、その様子は、周囲に魔法の粉を振りまいているようにも見える。
この物語の主人公にして語り手のジョーンは、独善的で、傲慢な主婦である。しかし、この女性に出会うことで、一時的に、心を開かされたような気分になってしまうのだ。
それから、「メソポタミヤの殺人」に登場する、ルイーズ。
この作品を読んだあとで、「アガサ・クリスティー自伝」の文庫版の下巻を読み、ああ、と思った。
クリスティーが夫とともに中東での発掘調査に関わった際に知り合ったキャサリン・ウーリー、彼女がルイーズのモデルだったのか、とわかったからである。
ここでは、自伝に書かれた、キャサリン・ウーリーのほうについて取り上げてみる。
彼女は、「気まぐれな人で、人を気楽にも神経質にもしてしまう妙な才能があった。気がついてみると、彼女はひどくまめにみんなから給仕されているのだった。」とのことであるが、これだけで、彼女がどんな人物であったか容易に想像できる。
クリスティーは、彼女がいつもみんなからあれやこれやと「サービス」されているのを目撃し、「どうしてみんなはこんなに彼女のことをこわがっているのだろう」と不思議に思う。
あるとき、クリスティーはキャサリンに、彼女に対して献身的に尽くす彼女の夫に感心して、「とてもすばらしいご主人ね」と言う。
それに対してキャサリンは、「そうかしら?」と驚き、そして、こう続ける。「あ、でも、レンはそれを特権だと思ってるのよ」
そして、キャサリンの言う通り、夫は、それを特権だと思っているのであった・・・。
キャサリン・ウーリーのような人物は、人間関係を混乱させる。
周囲の人々は、キャサリンの持つ「魔力」に魅せられ、彼女のことが好きになりなんでもしてあげたくなってしまったり、また、それほど好きでもないのにあやつられるように彼女に従ってしまったりする場合があるからだ。
また、それと同時に、彼女をひどくおそれ、嫌う人もいることだろう。
そういう意味で、彼女のような人は、その場のエネルギーを支配し、ひっかきまわしてしまうのだ。
こういうタイプの人間に接するときは、自分自身を強く持っていなくてはいけない。そうでなければ、相手のペースに巻き込まれてしまう。
相手の支配する世界の住人となり、その人の下僕になってしまうおそれがあるので、じゅうぶん、気をつけなくてはならない。
人間の魅力というのは目に見えるもので決まるのではなく、その人の存在そのものから発せられる雰囲気、エネルギーのようなもので決まる。
そして、その目に見えないものが、人間関係を支配し、喜劇を、そしてときには悲劇をつくりあげるのだ。
しかしクリスティーは、このキャサリン・ウーリーのエネルギーが周囲に及ぼす影響をそばで見ていて、「おそろしい」と思うと同時に、「おもしろい」と感じたのではないだろうか。
キャサリンのような人物は、先にも書いたように接する際には注意が必要だが、やはり、魅力的であることは否定できないし、何よりも、作家の好奇心をそそる人物でもあるのだから。
その結果、キャサリン・ウーリーは「メソポタミヤの殺人」でルイーズとなって現れることとなったのだ。
最後に、「動く指」のジョアナ・バートンの発言について書いておこう。
ジョアナも大好きなキャラクターなのだが、彼女については別の記事で書いたので、ここでは、彼女が発した鋭い発言についてのみ、記しておく。
「動く指」は、小さな町、リムストックで起きる殺人事件の話である。療養のために小さな村を訪れたジュリーと、その妹ジョアナははあるとき、弁護士の家で家庭教師をしているエルシー・ホーランドという美しい女性と出会う。
しかし、この女性について、妹ジョアナは「美人は美人でもセックス・アピールのない人もいる」と言い、そして、彼女がそうだ、とずばりと指摘するのである。
そして、また、こうも述べるのである。
この、ジョアナの鋭い観察眼と批評は、アガサ・クリスティー本人のもの、と言っていいだろう。
クリスティーは、いつもこうやって、周囲の人々を見ていたに違いない。
この人を小説のネタにしてやろう、などと意識しなくても・・・そんなことをわざわざ考えなくても、彼女の鋭い目は、いつも、働いていたのだろう。