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「ビロードの耳あて イーディス・ウォートン奇譚集」列車の中での奇妙な出会い、そしてその結末。

列車のコンパートメント、というのは、こちらの想像力を刺激する場所である。
まず、列車そのものが、閉ざされた空間である。
走行中は、どこにも逃げ場がない。
コンパートメントは、その閉ざされた空間の中にある、さらに閉ざされた空間なのだから。
一人きりで、外の景色を眺めたりぼんやりしたり、または読書を楽しみたい、と考えている人間にとっては、最高の場所であろう。
そこへ、自分以外の乗客が入ってきたら?
相手も、自分と同じように静寂を愛し、マナーを守ってくれる人間であるならば、何も問題はない。
だが、その乗客が、こちらに向かってうるさく話しかけてきて、しかもその内容が支離滅裂だったら?
どう見ても気がふれている、としか思えない、奇妙な人物であったら?

「イーディス・ウォートン綺譚集 ビロードの耳あて」(国書刊行会)の表題作「ビロードの耳あて」では、列車のコンパートメントで、まさに、そんな奇妙な貴婦人と出会った教授の話である。

女嫌いで偏屈な学者、ローリング・ヒバート教授は、病に罹患したことがきっかけで、医師から、暖かい気候の土地で過ごすようすすめられ、しばらく南フランスに住むことを決める。
彼はボストンから船に乗るが、それは騒々しい客たちでいっぱいの船で、落ち着くことができない。
やっと船を降りて特急列車のコンパートメントに腰を下ろすことができた彼は、ポケットからビロードの耳あてを出し、耳を覆い、窓から見える風景も、それから音も、何もかも遮断して、時分一人の世界に入り込む。

しかし、コンパートメントに入ってきた女性のおかげで、彼の世界は乱されてしまう。
何か話しかけてくる彼女。
教授は、耳が聞こえないふりをするが、その女性は、彼の耳あてを、「弾き飛ばす」という行為に及ぶ。
「耳が聞こえないですって?そんなわけないでしょう」と、ぴしゃりと言う女性。

そしてこの奇妙な女性は、「あなたに相談したいんです」、と話しはじめるのだが、その話の内容は、実に謎めいたものであった。
自分が「ロシア難民」だということ、公爵夫人だということ・・・そして彼女は、お金に困っても、「ビロードの耳あてをした蒼白くて知性的な顔の男」が賭け事によって自分を救ってくれる、とコーカサスのジプシーに告げられた、と言い、教授の手に、紙幣を握らせるのだ。

教授は、何がなんだかわからないまま、列車を降りる。
そして彼は、いつのまにか、賭博場に足を運んでいた・・・。

この話は、読み手が予想もしなかった思いがけないところに着地をする。
この教授は、自身が何よりも嫌っている存在である女に、乱暴に耳当てをはずされたことにはじまって、奇妙な夢のような経験をし、自分がこれまでいた世界とは少し違う世界へとたどりついたような心地になる。
彼は悪夢の中に迷い込んで戻ってこられないのではないか、と思っていたのだが、予想外の展開だった。
おそろしい夢を見て汗びっしょりになって目が覚めて、それが夢だった、とわかり、ああよかった、と胸をなでおろすまで数秒かかるときがあるが・・・あのときの感じと、よく似ている。
どういった経緯でこうなったのか、あらためて確認するために、はじめからもう一度読み返したくなる小説。

この教授が書こうと考えているのがアインシュタインの相対性理論に対する反論」なのだが、彼が、アインシュタインをやっつけてやる!と息巻いている感じが、なんだか滑稽で、笑ってしまう。
この経験を経たあと教授は、反論を書きあげたのだろうか?
もしかして、まったく違うものを書くようになったかもしれない。

冒頭でコンパートメントのことを書いたが、ジョナサン・キャロルの「パニックの手」にも、電車の車室での不思議な出会いが書かれている。
主人公はそこである母娘に出会うのだが、これも不思議な印象を残す話である。
コンパートメントというのは、こういった奇妙な出会いにぴったりな場所のようだ。






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イブスキ・キョウコ
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